第2話 ノーマの休日02

「だから、ウチの居間を改装させてやるっつってんさね」

「それが他人に物を頼む態度ッスか?」


 陽だまり亭に行くと、早朝だってぇのに間抜け面を晒したキツネ顔の大工がいた。

 暇人さねぇ、この男は。


「あんた暇なんさろ? 仕事をくれてやるっつってんだよ」

「お前んとこと違ってこっちは大忙しなんッスよ!」

「はぁ~あ!? ウチは大忙しで昨日まで四連続徹夜してたさよ!」

「こっちは五連続ッス!」

「いや、お前ら、寝ろよ」


 睨み合うアタシと大工の間に、ヤシロが割って入ってくる。

 アタシらの前にコーヒーが二つ置かれる。


「それ飲んで落ち着け」


 ヤシロからコーヒーを勧められた。

 今朝の夢のように……


「に、苦いからって、ダメさよ!?」


 思わず、口を両手で押さえてヤシロから距離をとっちまった。

 だって、今朝の夢が鮮明に……


「ノーマはまだコーヒーが苦手だっけ? じゃあミルクを入れるといいぞ」


 夢と同じようなことを言う。

 ただ、夢とは違って、ここは陽だまり亭。

 牛乳がないなんてことはあり得ない。


「じゃあ、今から搾……」

「すぱー!」

「食堂内は禁煙だっていつも言ってるだろう、ノーマ?」


 大丈夫さよ。

 火はつけてないからね。


 ……状況が違うってのに、どうして同じ行動を取るんだろぅねぇ、ヤシロって男は。


「ノーマさん、ミルクをお持ちしました」

「あぁ、ありがとぅね、店長さん」


 小さなミルクピッチャーを、店長さんが持ってきてくれる。

 たっぷりとミルクを注げば、コーヒーは黒から褐色に変わる。

 これで、幾分飲みやすくなるさね。


「ノーマさん、お家をリフォームされるんですか?」

「ん? いや、どうしてもってわけじゃないんだけどね?」


 夢で見た風景が素敵過ぎて、いつかの日のために居間をリビングに変身させようかと思っていることは伏せておく。

 こういうのは、他人に話すんじゃなく、自分の心に秘めておくのが乙女の慎みさね。


「ノーマん家の居間、畳の匂いが落ち着いて好きなんだけどなぁ」


 と、ヤシロが言ったから、リフォームは中止。


「大工はもう用なしさね」

「なんでッスか!? お前ん家のリフォームくらい、片手間で出来るッスよ!」


 人の家のリフォームを片手間とは何事さね!?

 まったく、信用の置けないキツネだよ!


「キッチンをリフォームすると、お料理が随分と楽になりますよ」


 店長さんがそんなことを言う。

 なんでも、ウーマロにリフォームしてもらった厨房が機能的で快適なのだとか。

 ま、ほとんどがヤシロのアイデアなんだろうけどね。

 言われたことを言われた通りにやっただけなんだろぅ? えぇ、キツネ顔。


「ちなみに、やるとしたらどんなキッチンにしたいッスか?」

「オシャレなキッチンがいいさね」

「具体的に言うッスよ!」

「都会的で洗練された、ワンランク上のハイソなキッチンさよ!」

「今出てきた言葉、全部抽象的ッスよ!?」


 なんで分かんないんかねぇ!?

 鈍い男さねぇ、まったく!


「じゃあ、対面型キッチンとかどうだ?」


 鈍ちんのキツネ顔とは違い、ヤシロはすぐに案を出してくれる。

 こういうところを見習うんさよ、キツネ!

 しっかりするさね、キツネ!

 ヤシロはあんたの一歩、二歩、いや、百歩は先を行ってるさよ!


「対面型キッチンというのは、どんなものなんですか?」


 店長さんの問いに、ヤシロが説明を始める。

 アタシもウーマロも、興味津々でその話を聞く。


「流しや作業台って、だいたい壁に向いてるだろ? そうすると目の前は壁だし、料理する時は一人ぼっちになるよな」


 確かに、料理は一人でやるものってイメージが強いさね。

 店長さんとは、たまにここの厨房で並んで料理してるけどさ。それでも、個人戦って印象が強い。


「キッチンをリビングとの境に作って、向こうが見渡せるようにしておくと、リビングにいるヤツと話をしながら料理を出来るし、リビングから見える外の景色がキッチンからも拝めて開放感がすごいんだ」


 頭の中で想像してみる。

 いつもの、少し暗い我が家の炊事場が生まれ変わって、光の差す明るい対面式のキッチンに――




 あ、いい……かも。


 アタシが料理をしてて、そんでリビングにはソファでくつろいでいるヤシロが……




「夕飯、もうすぐ出来るからちょぃと待ってておくれなね」

「手伝うか?」

「いいや、構わないさよ」


 アタシの料理を食べさせて「美味い」って言わせたいしねぇ。くふふ。


「ヤシロは座って情報紙でも読んで……あれ? ヤシロ?」


 身を乗り出してリビングを見るけど、ヤシロの姿はない。

 どこ行ったんかぃね~? と、探していると、突然目の前にヤシロの顔が現れる。


「きゃっ!?」


 どうやら、しゃがんでこっそり近付いて、キッチンの向こうに身を潜めていたらしい。


「もう、イタズラはヤメておくれな!」

「あはは。『きゃっ』だって。可愛いな」

「か、かわっ!? か、からかうんじゃないさよ!」


 可愛かったらしいさね!

 これは……密かに練習して咄嗟の時に出せるように体に刻み込んでおかなければ!

 火事場で驚いた時は「ぉうどゎぁああ!?」って太い声が出がちだけれど、徹底的に練習すれば矯正できるはずさね!

 アタシはやるさね!


「なぁ、ノーマ。見てていいか?」

「へ?」

「ノーマの手料理の、美味さの秘密を探ろうと思ってな」


 にこにこと、アタシを見つめるヤシロ。

 秘密ったって……


「特に何もしてないさよ。味付けだって、いつも感覚でやってるしさ」


 アタシの料理はプロのそれとは違う。

 毎日繰り返している、素朴なものだ。

 カウンターを回り、キッチンに入ってきたヤシロが、アタシの後ろから手元を覗き込む。

 いくらヤシロが探そうとしたって、特別な秘密なんかありゃしない。


「じゃあ、ノーマが俺に作ってくれる手料理が一際美味いのは、隠し味のせいなのかもな」

「隠し味なんか入れちゃいないさよ」


 そこまで手の込んだことをやっているわけではない。

 アタシはいつも、普段通り――


「いつも入れてくれてるんだろ?」


 不意に、背中から抱きしめられる。

 ヤシロの吐息が耳に当たり、少し低音の声が鼓膜に響く。



「愛情っていう、隠し味を」




「ほにゃぁぁああああ!」

「ビックリしたッスね!? なんなんッスか、急に!?」


 一気に妄想の世界から引き戻された。

 ……妄想?

 はっ!? 妄想だったんかぃね、今の!?


 ……はぁ、やけにリアルな妄想で、心臓がどきどきしてるさね……


「む、胸がどきどきするさね……」

「え、どれどれ?」

「ちゅぴぃ!?」


 突然、現実のヤシロが視界に飛び込んできて変な声が出た。

 たぶん、生まれて初めて口にした、「ちゅぴぃ」なんて。


「もう、ヤシロさん。ダメですよ」

「お、おぅ……まさか、そんなに驚かれるとは思わなくて……悪いな」

「い、いや……大丈夫、さね」


 こっちが勝手に勝手な妄想しちまってただけだから。

 ただ、心臓が痛いんで、しばらく視界には入らないどくれな。


「そんで、対面キッチンにするんッスか? どうしてもっていうなら、今日からでも作業にかかってやってもいいッスよ」

「そんなの、まだ心の準備が出来てないのに無理さね!」


 あんな、心臓に悪いこと……まだ、無理さね。


 とことん空気の読めない鈍ちんなキツネ大工を突っぱねて、アタシは陽だまり亭を逃げるように飛び出したさね。


「……なんなんッスか、あいつは?」


 なんて、ウーマロの呆れたような声が聞こえたが無視をする。

 あんたには分からないんさよ。

 ちょっとしたことで揺れ動く、繊細な乙女心なんてもんはね。



 ただ、若干イラっとしたので――


「マグダに嫌われればいいんさね」


 ――足早に引き返して、一言だけ言ってすぐに出てきてやったさね。


「なんてこと言うんッスか、お前はー!?」


 なんて叫んでいたけど、いい気味さね。


 せっかくの休日。

 アタシは少し四十二区の中を歩くことにしたさね。


 対面式キッチンの導入時期を入念に脳内シミュレートしながら。






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