第3話 たった一つだけの簡単な問題

「試験を開始したら裏返して問題を解いてね。さあ、準備はいい?」

「大丈夫です」

「では、試験開始」


 言われた通りに紙を裏返すと、たった一つだけ問題が書かれていた。神様の宣言通りだ。


 問題一、あなたの名前はなんですか?


 そんなの簡単……あ、れ?

 わたしの名前は、……わたしは、わたしで。生まれてから18年、ずっと呼ばれていた名前。毎日のように使っていた名前。


 その他のこと——高校までの道のり、太陽が燃える理由、traditionalの日本語訳、友達と一緒に行ったカラオケの楽しさ、平方根の使い方、静電気の逃し方、家の住所、自分の電話番号、母さんの穏やかな表情、父さんの滅多に見られない笑顔——はたくさん覚えているのに、名前だけが思い出せない。わたしの名前も、家族の名前も、友達の名前も。


 そうだ……! 神様がわたしのことを名前で呼んでなかったっけ?


『ねぇ君』『ところで君は』『君なら』


 振り返ってみるが、わたしのことはいつでも『君』と呼んでいる。

 わたしは、わたしで、わたしだから……。


 こうしている間にも時間は進んでいく。とうとう残り30秒と言われてしまった。

 考えて……、分からないよ。思い出して……、思い出せないよ。こんなにも大事なことなのに——。



「試験終了」


 とうとう紙にインクが付くことはなかった。その代わりにぽろぽろと涙が落ちる。


「ごめんね、本当は分かってたんだ。君が名前を覚えていないこと」


 神様はわたしが落ち着くまで頭をそっと撫でていた。その手が温かくて優しくて、試験の結果を知っていた神様にどうしようもなく苛立って、それがとても苦しくて、わたしはすぐに涙を止めることはできなかった。


 さっきまであった椅子はソファに切り替わり、机と紙、万年筆はどこかへと消えた。神様は、何の反応も返さないわたしの頭を撫でて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「名前は身体に付けられるもので、記憶は魂に重ねられるもの。身体から魂が離れると、魂は名前を忘れてしまう。名前を忘れた魂は、すでに名前がある身体には戻れない。名付けというのはね、魂を身体に紐づけるものなんだ」


 その口調はまるで小さな子どもに言い聞かせているよう。不思議と心地良さを感じてしまった。わたし、これでも18歳なんだけどね。……神様イケメンだからなぁ。それも一つの心地良さの理由だったりするのかな。

 ほら泣き止もう、わたし? 神様がイケメンだってことを考えられるくらいには調子戻ってきているじゃん。


 神様はそれ以上、何も語らなかった。わたしが名前を覚えていたら、もしかしたら帰らせることができたのかもしれない。帰せなくてごめん、暗にそう言っているような気がした。



「……さて、そろそろ落ち着いたかな?」

「……はい」


 神様は穏やかな表情でうんと頷いた。

 我ながら予想以上の鼻声に驚く。死んだ後、魂だけの存在になったとしても鼻声ってなるんだね。すごくどうでもいい気づき。


「それじゃあ、異世界行こうか。そしてとりあえず君、人間やめようか」

「え、……人間をやめる!? そ、そんな軽い感じでいいんですか?」


 思わず突っ込んでしまったじゃないか。そんな、コンビニ行こうかみたいなノリで。人間やめようかってどういうことですか……。

 あ、人間以外の種族になるってことか。なるほどなるほど。今まで積み重ねてきたオタッキーな知識がこんなところで役立つとは、人生終わった後も何があるのか分かりませんね。


 ……ところでさ、さっきまでのしんみり感どこ行った?

 本当に、神様ってよく分かんない。イケメンだけどさ。

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素直に推せないイケメン神様と異世界へ行くまで! 色葉充音 @mitohano

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