第4話 『落日の帝国において幼龍は目覚める』

※筆者註:今回の章は、主にこの作中における「現代」に至るまでの歴史を説明する回です。気合い入れて書いたので読んで頂ければ嬉しいですが、物語本編が気になる方は第5話に直接進んでください。



 時に統歴1374年、帝国歴167年、大陸に覇を唱えたソレイア帝国の威光は突如として翳りを見せる事となった。

 この時、帝国において北狄王とも称されたイェンリヒ王国の王、ウーグマイ1世が千の騎馬軍団を率い帝国の北壁を突破。瞬く間に帝国の北半分を手中に納め、皇帝ソキウス1世率いる禁軍を鎧袖一触に轢き潰し、帝都メデアルクスの宮城に自らの旗を掲げるに至ったのである。

 王は配下に三日間の期限を設けて帝都での略奪を許し、自身も政庁であった明堂殿と皇帝個人の宮殿であった昆岳宮を劫掠してありとあらゆる物を奪い去った。

 金銀財宝は勿論の事、帝国各地世界各国から集められた名物珍品、帝国国内の詳細な地形及び水路を記した地図、兵器船舶の設計図、徴税台帳、戸籍謄本、古典経典、食料、酒、宮殿の大扉、梁、庭石と大凡荷駄に積み込める物ならばその全てを運び出そうとするほどであった。

 そして何よりも、この統歴の始まる時からこの大地の覇者の証として代々の帝国に継承された伝国璽を手中に納めた。

 被害にあったのは物だけでは無い。その当時宮殿で身を潜めていた人間も「戦利品」としてその全てがウーグマイの財産とさせられた。

 官吏貴人はもちろんの事、降伏した衛兵や女官、下働きの下民に至るまでが一切の区別分別をする事なく全員荷馬車に積み込まれた。

 さらに、なんと皇帝自身もイェンリヒに囚われる事となったのである。


 帝都へと逃げ延びた彼は、宮殿に閉じこもり自身の寝台の上でシーツを被り震えていたところを発見され捕えられたという。


 ともあれ、現役の皇帝とその証に政府要職を担う高級官僚と軍の中枢の大半がイェンリヒ王国首都アヴィスブルグへと移送される始末となり、ソレイア帝国はその8代167年の歴史に幕を閉じるかと思われた。

 しかし、偶然その時帝都を離れていた皇弟テオドリックが南都レクサントンへの脱出に成功し、同地の総督クエンティン・ナイトリーと共に反イェンリヒの軍を結成する。

 彼は同地にて戴冠の儀式を執り行い、コンストラクラ1世を名乗ることでソレイアの皇帝ここにありと宣言した。

 ウーグマイはこの機に帝国全土を併呑し、我こそが次代の世界の中心にならんと意気込んでいた為、この南方の残党の殲滅も目論んだ。

 しかし、どれだけ気勢を上げたところで馬で水を渡ることは不可能である。

 帝国北部の平原において獅子奮迅の働きをした千戸騎団も、帝都の南を流れ大陸を南北に分断するローン河を越えることは叶わなかった。

 さらに、ここに来てやっとソレリア帝国軍も軍主力の全壊による混乱から立ち直り、テオドリック・ゾーディ改め新たなる皇帝コンストラクラ1世、レクサントン総督クエンティン・ナイトリー、高級軍人の数少ない生き残りとなった北平将軍ユストゥス・アルカン、そしてテオドリックと同じく帝都陥落時に辛うじてイェンリヒの魔手から逃げ延びたソキウス帝の息子であるフィネガン・ゾーディを核とし、敗残兵や都市の衛兵、都市民及び農民からの徴募兵をかき集め、なんとか帝国軍の再編を成し遂げた。

 そして、彼らは自身を帝国四将と号した。

 尚、皇子フィネガンはこの時、10に満たぬ幼な子であった。


 イェンリヒ軍はあらゆる手段でローン川を渡る事を図ったが、四将の働きにより悉くが川底に沈む事となった。

 しかし、港湾都市レクサントンで整えられた大船団により水上においては大勝利を収められた帝国も、北岸に着くやいなやイェンリヒの騎馬隊により全てが川縁から突き落とされた。

 かくして帝国と王国の戦線はローン川を挟み膠着する事となった。


 帝国の将兵は、川向こうの霞に帝都の尖塔を仰がんと南岸に立っては涙したという。


 この双方の渡河をめぐる戦いは、およそ10年以上にわたりローン川流域のあちこちで繰り広げられる事となる。


 膠着する戦争が変わり始めたのが統歴1386年、帝国歴179年の時である。

 既に帝都が陥落してから10年以上の時が経過し、両国は共に戦に飽き始めていた。

 帝国側においては、コンストラクラ帝による南方遷都の時以前から勧められていた殖産興業が実を結びつつあり、帝国の収入としては戦前と遜色のない水準に至りつつあった。今更北部地域を苦労して取り戻す魅力が薄れていたのである。

 王国側としては、元来遊牧の民であった彼らは都市や農村を支配する生活が性に合わなかった。結局は現地の元帝国人有力者に管理を委託して上前を頂戴する形で占領統治を進めており、これもまた取り分の差と得られる利潤の量こそ異なれど戦前の状況に回帰しつつあった。

 そしてイェンリヒ王ウーグマイにしても、想定を遥かに超えて長引く戦乱をひとまず仕切り直したいと考えており、帝国に対し占領地の開放と多額の賠償金を交換する事を条件に講和を呼びかけてきたのである。

 その北狄王の呼びかけに対し、皇帝コンストラクラは一も二もなく同意した。彼は己が育て上げた江南の地をも失う事を恐れていた。

 総督クエンティンは終わりの見えぬ戦費の拡大が収まる事に喜んだ。

 将軍ユストゥスは前の二人に追従した。

 しかし、帝国四将の残る一人。ソキウス前帝の息子、フィネガン皇子がこれに反対し、徹底的な抗戦を叫んだ。

 彼は未だ帝国に囚われたままである父を、そして帝都の市民たちを敵王都アヴィスブルグまで攻め入ってでも救出しなければならないと強く主張したのである。

 前皇帝の妻、つまり皇子の母であるテオドラ皇后は長子フィネガンの生後まもなくこの世を去っていた。

 そして政治において意志薄弱、軍事において柔懦無能な皇帝も、配偶者に関しては側近の提言及び諫言を頑なに受け入れる事がなく、再婚を拒否し側室を娶る事もなかった。

 故に、皇子には兄弟も姉妹も存在しなかった。

 つまり、父、ソキウス1世ことフィリオ・ゾーディこそが皇子の唯一の肉親であり、彼と再会を果たすまで戦いを終えることはできないと考えていたのである。

 大した孝行息子であるが、これだけではさしもの皇族と言えども国家の大義に私情を挟むべからずと一蹴されていた事だろう。

 しかし、フィネガン皇子は人としての道理だけではなく戦の理からも講和に反対した。


 曰く、今我々は江南で富を作るが、奴らは江北で草原の富を費やす。

 故に、出血を重ね続ければ先に地に倒れ伏すはイェンリヒであり、短期において時間は帝国に味方する。

 しかし、この講和がなれば荒れ果てた江北は我々が癒し、敵はなんの労もなく我々の富を得る事が可能になる。

 北の富が回復し、我々が富を消費したまさにその時ウーグマイは再び来襲する。

 次の戦において、敵は我々の財貨でもって兵を整え壁を超え、我々の技術でもって船を浮かべ岸に至る事だろう。

 長期において時間は敵に味方する。戦争を、出血を途絶えさせてはならない。と言うのである。

 この論に対し、他の三将軍は有効に反駁する事が叶わなかった。


 先に述べたように帝国四将のうち講和、もしくは妥協に傾く者が3名、継戦を望む者が1名と数においては和平派が優勢ではあった。

 しかし、クエンティンは文官であり、戦略補給の観点から意見はできても戦場には疎かった。そしてこれ自体は彼だけの責任ではないのだが、民衆は総督を生活にのしかかる税の本元として嫌っていた。

 一方で、無口ながらも銀糸紅玉の眉目秀麗で、イェンリヒとの戦いで華々しく活躍し、燃える帝都からの脱出劇や囚われの父王との再会を誓う皇子といったわかりやすい物語性を持つフィネガン皇子を支持する声は大きかった。

 ユストゥスは武官であり、指揮官としても決して無能ではなかったが、彼は年々拡大する自らの権益と欲望に溺れつつあった。戦働きより金勘定に精を出す上官を兵士たちは軽蔑していた。

 一方で、同じ釜の飯を食い、天幕こそ違えども同じ陣で床につき、轡を並べて共に戦場に立ち、剣を振るえば天下無双のフィネガン皇子に憧れを抱く将兵は少なくなかった。

 コンストラクラは皇帝であったがその帝位はあくまで臨時のものとされていた。

 レクサントンには即位の儀式を執り行える正統な宮殿が存在せず、皇帝の証を示す印璽も彼の手元にはなかった。

 そして何よりも、彼の持つ継承順位は皇子の下位であり、彼の即位そのものに帝国内で疑問が投げかけられていた。

 当の皇子が今は非常の時であるが故にこれを問う事を禁じ、そのために辛うじて成立する玉座であったのである。

 民に慕われ、兵の羨望を集め、正統な嫡子であるフィネガン皇子の意見を三将は無碍にする事ができなかった。



 ある時一つの噂が流れ始めた。

「皇子は血に酔っている。戦争が徒に引き延ばされ続けているのは皇子の責任である」というものだ。

 そして、その言葉はある側面から見れば確かに真実を含んでいた。

 長引く戦争は戦費の増大に繋がり、たとえ直接の戦火にまみえずとも戦時増税や徴兵という形にて民衆の生活に重くのしかかっていた。

 そして、良くも悪くも戦争はローン川沿いにて停滞しており、イェンリヒに直接危害を加えられるというのは川向こうの他人事という風潮が生まれつつあった。

 さらに、ここ数年に至ってはイェンリヒの渡河作戦が行われる頻度が目に見えて減少しており、イェンリヒはとうとう諦めた。相手が武器を置くのだから我々ももういいじゃないかという言説まで流れ始めていた。

 

 そしてついに、統一歴1389年、帝国歴182年、総督クエンティンがフィネガン皇子に国家反逆の企みが「あったかもしれない」と告発し、将軍ユストゥスが軍内部の者として皇子の不正を証言し、皇帝コンストラクラはこの訴えを承認したのである。

 戦争が遠い存在になり、しかし厭戦は深まる中、それでも抗戦と継戦を叫ぶ皇子の元から民心は離れてしまった。

 戦場が遠くなり、かつ戦闘の数の減少は、戦いにおける皇子の活躍の記憶を色褪せさせた。

 戦争の鈍化は一時的な戦費の余剰を産み、その金は宮廷の暗がりにおいてとある個人からとある個人へと直接手渡されて用いられた。

 かくして、皇子フィネガンは全ての役職を解任となり、皇族としての身分を剥奪され、山奥の寺院にて蟄居する事を命じられた。


 そして、その山寺への護送中に匪賊の襲撃に遭い、24歳の若さにして儚くもその命を散らしたという。


 ともあれ、ここにおいて両国で継戦を望むものがいなくなり、和議が結ばれる事とあいなったのである。

 結果、王国は帝国地域からの撤兵と15年前に拉致した前皇帝及び玉璽を帝国へ返還する事を定めた。

 皮肉な話だが、父の帰還をあれほど切望していた皇子の死によって、皇帝は帝国へ帰ることができた。

 そして帝国は毎年多額の銀と絹、そして帝国北部地域において収穫される農産物の2割を王国に下賜する事、また帝位を臨時の皇帝から正式に即位している正統な皇帝への奉還、つまりフィリオ・ゾーディをソキウス1世として復位させる事が定められた。

 名目としては王国が帝国を兄と仰ぎ見て、帝都攻略における最大の戦果を手放した形になるが、実益として莫大な財貨と皇位継承への関与という権威を得た。

 15年の時を経て北狄の王は良く言えば成熟、悪し様に言えば妥協を覚え、大陸の覇者という名声をひとまず諦め、実利を選んだのだ。


 そして未だ強靭な抵抗を可能とする帝国国内に権力闘争の火種を撒く事にも成功した。

 帝国に残る三将軍は、皇帝ソキウス1世の帰還と復位を皮切りにウーグマイの目論見通り対立を始める事となったのである。


 レクサントン総督であったクエンティン・ナイトリーはフィリオ・ゾーディの帰還を迎えるためにメデアルクスへと移った。そして復位したソキウス1世の勅令により、彼は宰相へと就任する。

 そして、15年もの間異国の地に隔離され、頼るべき臣下を失った孤独な皇帝を宰相として「輔弼する」事で宮廷内の差配を自ら行うようになり、その実権を手中に収めていった。

 これを面白く思わないのが皇帝コンストラクラ1世改め、今再び皇弟となったテオドリックである。

 彼は総督不在となったレクサントンにそのまま留まり、そして実質的な支配者となった。

 そしてこの地が通商や交易の要となる港町であるという特性を活かし、商人や中央からあぶれた気鋭の官僚を取り立て、帝国内部の法と経済の改革を試み始めた。

 官吏たちは純粋に改革による帝国のさらなる飛躍を夢見ていたものの、テオドリックが求めていたのは権力の源泉を伝来の法と権威から自らの法と富へと移す事により、帝国内の権力重心をもレクサントンに移す事にあったのである。

 ともあれ、動機はさておいて帝国内の改革が進められようとはしたが、所詮レクサントンは首都ではない。あくまで大規模な、そして皇族の威光によりある程度の独立が容認されている「地方政府」でしかなかった。

 しかし、法の改正と整理により二重三重に重複していた政府役職の大掃除がなされ、それだけでも数年分の官費が削減された。

 その成果をレクサントンの官吏たちは誇った。

 自らを新法派と号し、これは他の都市も倣うべき偉業であり、旧態依然とした量だけは多いメデアルクスの旧法典なんざイェンリヒに帝都土産のちり紙として押し付けるべきであったなどと嘯いたという。

 この二人と二都市の対立が深まる中で、三将軍の残る一人ユストゥス・アルカンは独自の利益を得る事を模索し始めた。新法旧法の双方に、そしてどちらか一方に偏る事なく関係を持ち始めたのである。

 彼は、メデアルクスとレクサントンのおよそ中間に位置するレギ・ペトラの総督となる事を希望し、これを拝命した。

 総督という地位は確かに人臣としては高位であるが、権力としては宰相に叶うはずもなく、権威としても皇弟に遠く及ばない。財貨人脈兵数の全てにおいても、クエンティンとテオドリックの両名と比して数段見劣りするものであった。

 しかし、いざユストゥスがクエンティンとテオドリックのどちらか一方に加担してしまえば帝国内の趨勢は決まってしまう程度の権勢は備えていた。故に新旧両法のどちらもがユストゥスを捨てることができない。そんな立場に収まる事に成功したのである。

 そんな彼を世の人々は若干の皮肉を込めて均衡派と呼んだ。

 かくして北狄王の天下三分弱体策は講和の成立後瞬く間に成立してしまう事態となったが、当の三者はそれを気づく事もなく、自らの勢力拡大にのみ腐心する有様だった。


 しかしこの時、統歴1390年、帝国歴183年、世には新たなる龍が既に産声を上げており、今まさに天下に飛躍せんとしていた事なぞ、かの北狄王の深謀遠慮を以てしても知る術はなかったのである。

 

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