第3話 僕の師匠、アーシャ・ライル
「さて、今日はここまでだ」
実技1時間、そして評価に40分。合計して2時間足らずの稽古がようやく終わった。
その間、アーシャは僕に対し大立ち回りした後、地面に腰を下ろす事もなく、逆に大地にへたり込んだ僕を見下ろしていた。
その間、顔には汗の一筋も無く、息は全くの平静であり、立ち姿はまるで鉄棒か何かが体の芯を貫いているかのように一切のブレがなかった。
「今日の成果は、次の機会に君の体に聞くとしよう。鍛錬は積み重ねだ、忘れるな」
「ありがとうございました…」
対する僕は疲労困憊の極みである。
いや、身体的にはそこまで疲れがあるわけではなんだけれども、精神的な疲れがものすごい。「自分は何故失敗したのか」について懇切丁寧一から十まで理路整然と丸裸に説明させられて、あの深い青の目でじっと見つめられるとこっちの何もかもを見透かされる気分になる。
親にこってり絞られる悪ガキの気分になり、いつのまにか正座していた時もあった。
「食べなさい」
あらかじめ採っておいた山菜籠からアーシャがベリーを取り出し僕に渡す。
甘酸っぱい汁の味で頭の奥の凝り固まった何かがほぐれて行くような気がした。
「食べたらそろそろ帰るぞ。村に戻ればもう良い時間になるだろう。今日の午後は任せる。必要な用事をするなり、自分がすべき事をしておけ」
「わ、わかったよ」
このアーシャという女性は、名前をアーシャ・ライルと言うらしい。
1年前のことだ。
山に入っていた僕は、この広場で木の根元に座り込む彼女を見つけた。
ボロボロの鎧には血がべったりとこびりつき、折れた剣を握り締めた手は震えていた。顔の半分が赤く染まり、その瞳には生気が感じられなかった。
山が明るくなっていてよかったと思う。もし夜で真っ暗な時に出会っていたら亡霊か何かだと見間違えた事だろう。
ともあれ、名前を尋ねて帰ってきた言葉が「アーシャ・ライル」と言うものだった。
そして幾つかの押し問答を経て、僕とアーシャは取引をした。
そこに至るまではまあ色々あったんだけども、結果だけを言うと、「双方が求める物を与える限りにおいて共に暮らす」という事が決まり、そして、とりあえずは僕が彼女に「生活」を提供し、彼女が僕に「鍛錬」を行うという生活が始まったのだ。
「私はマーサ先生のところに薬草を届け、その足でジェンの所に行って弓の手入れを手伝ってくる。夕暮れまでには家に戻れるだろう。香草と魚を貰える事になっているから夕飯はそれで何か作ろうか」
とは言え、僕が供与している事になってる「生活」だけれども、「衣」は当然僕の物なんて使えないし、「食」は彼女の方が狩猟でも採取でも交換でも要領よく見つけてくる。ついでに料理も達者だ。
一応、住居こそ僕の家の空いてる寝床を使ってもらっているけど、今の彼女の村への溶け込み具合を見るに、あの時会ったのが僕じゃなくてもぶっちゃけどうとでもなったんじゃないだろうか。
最初こそ突然やってきた見知らぬ、しかも血だらけの逃亡兵を警戒していた村のみんなだったけど、一年経ってみると案外すんなりと受け入れられていた。
特に男どもが早かった。
正直気持ちはわかる。アーシャすごいもん、顔とか。
まあ、薪割り用の斧を軽々とぶん回す彼女の姿をみて不埒な事を考えるやつは居なくなったけど。それでも、何かと理由をつけて一緒に仕事をしようとする輩は多い。狩人のジェンもその一人だ。
女性陣からの評判も悪くない。例えば、さっき名前が出たマーサおばさんなんかは、一応薬師だなんて言われてるけど、ちょっと前まではおじさんのハーブ畑を枯らさないので精一杯だった。それが今では森の薬草も安定して回収できるようにまでなって、薬の在庫もやっと余裕ができたと喜んでいる。
週末は広場で子供達に勉強を教えていたりもする。
愛想こそ良くないものの、器量よく、
何かと都合をつけて頼みを聞いてくれる美人なんていう存在が忌避されるわけもない。
…もし、もしの話だけども。アーシャが村の誰かといい感じになってそいつの家のやっかいになるなんて言い出したら僕は引き止める事ができるんだろうか。
僕にはまだアーシャが、彼女の力が必要…
「アルフレッド!」
「はイ?!」
思考の渦に沈みかけていた僕の意識は、アーシャの大声で急に釣り上げられた。
「何を呆けている。帰るぞ」
既に山菜籠を担いだアーシャが僕を見下ろしていた。
「あ、ごめんごめん。ちょっと午後何をするか悩んでた」
そう言いながら慌てて立ち上がる。
「うーんどうしたもんかな。次に町へ持っていくためのわら籠を編んじゃうか、トマスおじさんの畑を手伝いに行くか。それともカイルのとこ顔出しとこうかな!」
思ったより思ってもいなかった事がペラペラと口から出てきた。
「…好きになさい」
まあ、こんなデカい独り言言われたところでそうとしか言えませんよね!
ハァとため息までつかれた!
「まったく、何に焦ってるのか知らんが私はまだまだ君を頼らせてもらうつもりだよ。鍛錬を打ち切るつもりも無い」
しかも、考えてる事完全にバレてる!!
「君には、私を超えてもらわねばならんのだ」
来るの!?
そんな日が!?
またため息つかれた!!
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