第4話

 病院に戻ってからは、また家に帰りたくてずっと脱走してたみたいでよく連絡が入ってました。看護師さんも対策を立ててましたが、それを超えていたので達人だったと思います。


 それから、期間が空いた後心臓にも病気が見つかったのですぐ手術の日程を決めて準備に取り掛かりました。

 手術前日、私自身勘が鋭く今日会わなけれ行けないと思いましたが、サボり続けていたツケが周り習い事に行かなくてはならず、会うことはかないませんでした。それでも希望を持ったまま眠りにつきましたが朝方4時くらいかな?電話が来て、やっぱり…と思い涙ながらにシーンとした車の中でたくさんの思い出を振り返ってました。


  私の家は父が普段は優しく気遣いを過剰なほどするタイプですが、とにかくすぐ怒って手がつけられない状態になる時があります。

 そんな時の避難場所が父方の祖父でした。この時にはもう私は中学生、弟達はまだ小学生。特に私は父からかなり理不尽な事で怒られ、末の弟は異常に可愛がられていましたし、母も特に私のことをよく責めるようになって来ていたので家族のバランスが崩れていたのでしょうね。

 家に帰る気も起きず、何かあれば父方の祖父の家にお泊まりしたりでした。何があっても会えないタイプの私にこっそり、困ったらこのお金使いなさいと言ってくれていたので多分1番心配だったのだと思います。

 父と母の大喧嘩の時、小学生の弟は末の弟をおんぶして祖父の家に避難しました。只事じゃないと思った祖父は、仲裁に入ってくれたそうですが、その頃から私も家にあまり寄り付かないようになってました。


 そんなこんなで、病院に着いて、祖父の顔見た瞬間現実味がなかったのと、現実を受け入れなければと言う葛藤があり、でもやっぱり現実なのだと思いました。後悔もありました。まだ聞いてるはずだから、最後に言葉をかけなさいと言われましたが、涙が止まらずありがとうだけしか伝えられませんでした…それが唯一の後悔でした。

 葬儀中もほとんど記憶がなく、本当にショックでしたが、無事に先に亡くなった祖母と会えたのかなあとは思えました。それにずっと近くにいるのを感じてましたから。

 火葬で残ったお骨を見るとこんなに小さくなった体で私たちを優しく守ってくれていたんだな、たった1人で数十年仕事一筋で子供2人を育て上げ、人工透析に通いながら大きく私達を守っていてくれたのだと感謝してもしきれないです。


 それから次の日、夢を見たんです、亡くなった祖父の。祖父の家の仏間でお供物やろうそくにお線香が空いてあり、祖父の香りまでしていました。ふと横を見ると、白い服を着た祖父が布団を北向きに敷いていました。北向きに敷くのには特に厳しい祖父だったので、「じいちゃん、北向きだから違うよ。____が手伝うね!」と言うと、祖父が布団の上に座り「あっとるよ」本当にいつもの方言で返して来ました。

 よく見ると、白い服は着物でした。そして、頭に白の三角の物を巻きながら、顔をこちらに向け「_____ちゃん、言い残したことあるやろう?今聞けるけん、いわんねー。」と言ってきました。ずっと我慢ばっかりする私の事を心配して最後に戻って来てくれたのかもしれませんね。

 「うん!じーちゃん今まだ本当にありがとう!じーちゃんいたから楽しかったよ!助かったこともあるよありがとう!まだ言い足りないけど、結婚式も見せたかったし、じいちゃんは結婚式までは無理って言ってたけど生きとって欲しかったよ!何伝えたら良いか分からんけどありがとう、感謝しかないよ!ありがとう!」と言うようなことを伝えたと思います。その後抱きしめあってとても暖かくて、でもひんやりした祖父の感触でした。

 起きたら自分の部屋でたくさんの涙が流れて夢だったのかもしれませんが確実に、祖父と抱き合っていた感触には間違いがないので来てくれていたのでしょうね。


 その年の49日もお盆も怪奇現象多発で翌年にはなくなったので、イタズラ好きな祖父の最後のイタズラだったのかもしれません。


 その後も母と父が喧嘩した時に母の夢に、「___ちゃんごめんねー。言い方の悪かもんね!おかしかもんねー」って感じで母の気持ちに寄り添いにきたこともあるそうです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

cherche l'amour @ryuukyu24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る