悪眠

早川映理

悪眠

「あぁ、あと二時間で定時か」村山は怠そうにあくびしながら、後輩の安井に文句をぶちまけた。

「早く家帰りてぇー!帰ったら即寝る!」


「先輩、そんなに疲れたんっすか?」

 安井の視線はパソコンの画面から離れることなく、そのまま返答した。


「疲れたというか疲れ切った。いくら寝ても疲労が取れねぇ。マジしんどいよ――」

 最近は特に何かした記憶がないというのに、日に日に倦怠感が増し、ストレスがどんどん溜まっている。


「寝ても疲れが取れないのなら、先輩もしかして寝付けが悪いのでは?」


「そうでもない……ただ、いくら寝ても足りないような……とにかく寝ることが恋しいような……」


「知ってる?」

 それを聞いて、安井はキーボードを打つ手を止め、村山に向く。

「世界のどっかで寝ることを懲罰として悪人に課すところがあるらしいよ」


「寝ることを罰?そんな天國みてぇな話あるか!」村山は鼻で笑う。


「あるよ!悪眠あくみんという強制睡眠の刑らしい」


「強制睡眠の刑?バカバカしい!君もよくこんなでたらめをすらすら話すのね」そんな場所あるなら、移住してみたいと、村山は思うのだ。


「先輩は怖くないんっすか?僕は怖いよ」


「何が?」


「だって、長い眠りに陥って、起きたくても起きられないのはいやじゃないんっすか?」安井はやけに真剣そうな顔で言ったから、村山も少しだけ気が変わった。


「考えてみてよ。起きたら、いきなり10年、20年が経つというのは、つまりそれぐらいの寿命が無駄になるってことじゃないか?」


「10年、20年!?……そんなに?」


 なるほど、だから刑罰といえるわけか。

 確かに、もし30歳の時にその強制睡眠の刑に課されたら、次起きたらもう立派なおっさんなのだ。さすがにやだなぁ。


 残酷と言えば残酷な話だ。


「まぁ、でも結局そんな場所ないだろ」

 どう考えてもこれはただの冗談にすぎない。


「先輩、信じないんっすか?」

 でも、安井はどうやらこの話の真偽にこだわっている様子だ。


「信じるも何も……」


 ――本当だったら洒落にならないなぁ。


 ただでさえ人生はあっという間。

 生きる時間を剥奪することを懲罰として定めるっていうのは巧妙じゃ巧妙だが、これを考えてさらに実行するところはさすがにやばい。

 

 服役することも一種の時間剥奪とはいえ、罪を犯した人間はただ生きる時間と空間が制限されるだけで、。檻の中の生活を体感することには意味がある。あくまで理想上の話だが、そこでルールに従い、労働を課され、罪を償いながら、反省もする。 


 ところが、寝る時、人は何もできない。償いも、反省もできないわけだ。


 生きていることさえ実感できない。


 要するに、一見無害そうで、何の警告にもならないこの刑罰はよくよく考えたら、一番人道に反して、何の意味も果たせない純粋な暴力にもいえるのだ。


 それは罪人に課すものだからまだしも、とはいえ、万が一、何かしらの間違いで、自分にもそんな懲罰が与えられたら――


「そっか。先輩はちょっと怖気になったのか」

 村山の思いを察するように、安井はどっかで満足そうに笑顔をこぼした。

 それはどういう意味か知らないが、実に不気味な笑顔だ。


「もうこの話やめろ」村山はなぜかちょっと焦った。おかげで、眠気はすっかり飛んでしまった。


 安井はもはや後輩ではなく、いつの間にか舞台の上で怪談話をいう噺家はなしかに化けた。そして、村山は極力にそのオチを聞くのを避けたいのだ。


「なんで?ちょうどいいところだったのに」

 残念そうな顔をする安井は諦めるつもりはなく、オフィスチェアをそのまま村山の隣にスライドして、異様な目付きで村山を捕まえた。


「ここからは本番なんだ」


 何かが来る。 

 村山が怖がっている何かが。


「どうやら、悪眠あくみんの実行に使用した技術には一つの副作用があってね。それは刑を課された人間は眠っているのに、当人はそう感じなくて、自分はずっと起きているだと勘違い、逆にのだそうだ。そして、気づいた時、どうあがいでも起きることができなく、ただただその絶望を繰り返し、味わうのだ」


 ――やめろ。

 村山は心の中で叫んている。


「それもそうだろ。懲罰だから。そう簡単に逃れるわけがない――って、あれ?先輩、顔色悪いっすよ、もしかして僕の話に、心当たりがある?」


 わざとらしい安井のその聞き方に対して、村山は何も答えない。

 

 村山はもう動けないのだ。

 ものすごい圧が全身を覆っている。

 金縛りのようだ。


 ところが、ここまで話を進んで、安井は急に何事もなかったように、自分の席に戻して、爽やかな顔で村山に聞いた。


「どう?ちょっとは睡魔を退治したのか?」


 安井のこの言葉は一種の合図のように、金縛りが解けた。

 

「な、なんだ。やはり冗談か」そう言ったが、村山はちっともホッとしない。

  

 これは後輩のちょっとした悪戯心でありたいが、払拭できない何かが背筋に付着していて、湿っぽい感覚が悪寒をもたらした。


 今度こそ本気で家に帰りたい。もちろん寝るためではなく、ただこの場所悪眠から逃げたいのだ。


 定時まであとどれくらいだ?村山はもう一回時計を見て――


「あぁ、あと二時間で定時か」村山は怠そうにあくびしながら、後輩の安井に文句をぶちまけた。

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悪眠 早川映理 @hayakawa0610

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