妖怪同心、あやかし兵衛
狸穴亭銀六
[女郎蜘蛛]
花の大江戸八百八町、隅田川を望むエンターテインメント溢れる両国の町。芝居に相撲に落語に見世物、そんな楽しい町にも当然[番屋]がありまして芸事を管理する寺社奉行の同心と荒事を取り締まる町奉行の同心が務めている
「おい、
「何をでございますか?田中様」
「
「千束なら、いつもの吉原絡みの痴情のもつれでしょう?我々寺社奉行には関係ございますまい」
「
「普通ではござらぬと?」
「まだ大っぴらにゃあ言えぬが下手人は腕の立つ剣術家だという話がある」
「ならばお気に入りの遊女に入れあげて近寄る男共を斬り伏したか、連れ去りでしょうな」
「今回はそうじゃ無いらしい」
「勿体ぶりますねぇ」
「どうせ
「剣道場行くつもりでしたが、私に有無を言わす気も無いんでしょう?」
「そういう事だ」
兵衛は渋々
「これは田中様に
「五兵衛、昨夜の
「まだ検分は終わってませんが、上州屋の
「五兵衛さん、見ても良いかい?」
一畳の戸板に転がされ
「凄腕だろ?キレイに首だけ斬れてらァ」
「確かに
兵衛はすっくと立ち上がると吉原の方へと向かう
「どちらへ?」
「吉原の会所です。
「まだ
「そうでしょうが恐らく協力を仰がれるでしょうね」
「
影御用とは表立って捜査が出来ない事や下手人が一定以上の権力が関わる身内のケースが多い
「そうなると、
兵衛は剣客の線は考えていない、それに正太郎は女にはだらしないが
なぜなら正太郎の首には苦し紛れに引っ掻いた傷がついていた、刀で斬られたのであるならばそんな傷がついてはいない
そうこうしてる内に吉原の会所に
「おや。田中様、来るには早く無いですか?」
「今日は仕事なんだよ。ホラ、あの上州屋のドラ息子の」
「ああ、あの。金払いの良い方を亡くしました」
「済まないが、その正太郎の懇意にしてた店を存じて無いか?それがしは田中殿の同輩で綾樫と申す」
「正太郎さんの?確か浮雲屋だったかな…」
「すまぬが案内を頼めますか?」
案内を頼んだ刹那、兵衛はいきなり刀に手をかけ後ろを振り返った!
「ひっ!?」
「どうした綾樫!」
後ろには
「すみません、後ろに何か居たような気がしたもので」
「脅かさないでくださいよぅ」
仲之町通りを角町に向い数件先にある浮雲屋、貫禄ある女将さんが応対してくれる
「上州屋の?なら
「損…とは?」
数ヶ月前、亜麻糸太夫と正太郎が浮雲屋で会っていた折に旗本の次男坊が酒に酔って暴れて
「なるほど!じゃあ今回の正太郎も旗本の次男坊…」
「田中様、だとするとおかしいンですよ」
「アレだろ?亜麻糸の後追いで土蔵の中で首吊ったって。一時それで持ちきりだったし
「女将さん、太夫についていた
「お夏の事かい?だったらその
「なるほど。では田中様、それがしのを預かって下さらぬか?」
「そりゃあ良いがよ、早くしろよ?」
「先程から向かいの店を気にしてますが、何かありましたか?」
「気にもなりましょう、田中様ァ向かいの狭霧にぞっこんでさぁね」
田中は慌てて居住まいを正そうとするも兵衛は意に介さず奥に案内される、そこには少々痩せた少女がそこに居た
「君がお夏ちゃんかい?」
「ひっ!」
「大丈夫、怖いモノは持って無いよ」
「やめて…怒らないで」
兵衛は腰に吊るした印籠から琥珀色の飴玉をひとつ取り出してお夏の手に渡す
「甘いのは好きかい?女将さんには内緒な」
お夏は飴玉を口に入れて、やっと年相応の笑顔を兵衛に向けた
「お侍さまも飴が好きなの?」
「それがしは疲れた時に甘いのが欲しくなってな、こうやって印籠に少し入れておるのよ。美味いか?」
「うん」
「亜麻糸太夫ってどんな優しい人だったか教えてくれないかな?それがしは太夫の無念を晴らしたいのよ」
お夏は兵衛の雰囲気に心を許したのか、ぽつりぽつりと亜麻糸太夫の事を話しはじめた。かなり信心深いようで特に蜘蛛やヤモリに対して
「悪い虫から守っておくんなンし」
とお願いしていたのはよく覚えていたと兵衛に告げた
「蜘蛛…ねぇ」
兵衛は田中と浮雲屋で別れ、神田の剣道場に足を向けると門番の
「おお、綾樫殿では無いか」
「遅い刻限に申し訳ござらぬが、
「笹木先生なら今、速水様と話をしてられますな。ちっと待っておくんなせぇ」
「先客がござったか、では明日にでも…」
「いや、速水様が「もしも綾樫が来たら通せ」と言伝てを受けておりやして」
「流石は速水様、それがしの動きがバレておるわ」
行信の娘、雪乃の案内で奥に通される
「笹木先生、速水様。綾樫兵衛にござります」
「うむ、入れ」
「はっ」
部屋に入ると下手に行き、頭を下げて待つと速水
「良い、頭を上げい」
「猪之吉から聞いた。知恵を借りたいそうよの?」
「畏れながら、単刀直入に打刀の一刀で首を落とす事が出来ましょうや?」
兵衛の問に行信は腕を組んで考えてしまった
「あの宮本武蔵でも無理よの」
「無理…と申されますと?」
「
「では、提灯の
「
「綾樫、お前の見立てではどう見る?」
「
「…明後日、
翌日、兵衛は朝早くから妖怪専門の見世物小屋の
「御免、早朝に相済まぬ」
「おや?綾樫の旦那」
応対したのは小坊主に見えるが小屋の番頭の
「榊の
「若旦那でしたらいつもの大橋かと」
「そうか、ではそっちに行ってみる」
隅田川にかかる大橋にその
「榊殿」
「これはこれは綾樫の旦那」
「すまぬが知恵を借りたい」
「見世のネタになりますか?」
「どうかねぇ…他人の不幸を喜びたがる下世話な話かも知れん」
「単純に怖けりゃ何でも」
「まだコレは確定じゃあ無いンだが
兵衛は実名を出さずに事件の顛末と自身の推察を榊に話した上で
「で、本題。
「理屈では出来ますよ。髪の毛みたいに細くて鉄の様に硬い糸なら」
「そうなると手前の指もちぎれそうだ。そんで
「蜘蛛…でしょうなぁ」
「やっぱり蜘蛛かぁ…」
「嫌そうですねぇ、妖怪同心の綾樫様でも蜘蛛は苦手ですか?」
「理解のある
兵衛が向かった先は呉服問屋の上州屋、忌中札を貼った細い竹で編んだ
「御免」
兵衛の姿を見て大番頭の
「これは御武家様。何かお探しでしょうか?」
兵衛は吉蔵に深々と頭を下げ
「此度は誠にご愁傷に…」
「頭をお上げください。ささ、こちらへ」
兵衛は店の奥に案内されると、奥から上州屋の主の
「不肖の倅が御迷惑をかけて申し訳ございません」
「上州屋、それがしは叱責に来たのでは無い。事の真相を説明に参った 」
「下手人が分かったので?」
「分かったとしても相手が悪い」
「旗本の次男坊と小耳に挟んではおりますが…」
「旗本の倅ならまだ怒りの矛先があるだけマシだったな」
兵衛は懐から1枚の紙を喜平に渡す。
「正太郎は
「なんと!?」
「それがしはこれより正太郎を成仏させ、上州屋に遺恨を残さぬ様に牛頭天王の怒りを鎮めに動きたいのだが…表向きの葬儀だけ行って、こちらの方は任せて貰えぬだろうか?」
「分かりました、そちらの方はお頼み申します」
兵衛は
「後は亜麻糸太夫か…」
吉原に向かう兵衛の足取りは決して軽いものでは無い。人の因業は振り子の様なもの、幸福の頂きから不幸のどん底に落とされ怨霊と化した亡者は兵衛も退治した事はあるが怨霊を通り越して妖怪となった者の力は尋常では無い
最悪を想定して細い鎖を編み込んだ
「あれ?綾樫の旦那じゃあござんせんか」
「寅三さん、亜麻糸太夫の菩提寺をご存知ありませんか?実は上州屋さんに頼まれまして」
「そういう事でしたか。ようがす、アッシが案内致しやしょう」
亜麻糸太夫の菩提寺に到着すると寅三を吉原に戻し、寺の住職に今日1日だけ墓所に誰も近づけ無い様に厳しく注意してから途中で買った手向けの花と饅頭を卒塔婆しか建てられていない亜麻糸太夫の墓前に供えた
ふっと周囲の空気が重くなり周囲の景色が一変し墓場が
「
於菊虫の顔には大きく鮮やかな
「そこに居るは亜麻糸太夫か?」
『そうでありんす。邪魔をしては不粋でやんしょ?
兵衛は背中に寒気が走る。普段から吉原に遊びに行ってる田中ならいざ知らず、初対面の
亜麻糸太夫の隣には2人の男が糸で巻かれて転がっている1人は武家独特の
「それがしには太夫の悲しみは分からぬ」
『ならば邪魔をするな!』
亜麻糸太夫の左袖から1匹の蜘蛛が兵衛の首に絡みつくが兵衛は眉ひとつ動かない
『何故じゃ!何故首が斬れぬ!』
兵衛の読みは当たっていた、亜麻糸太夫は細く鋭い
「これ以上悪業を積んではならぬ、それがしは太夫を救いたいのだ」
『黙れっ黙れぇっ!』
兵衛が太夫への説得を続けていると周囲の空間が歪み、背後に漆黒の
『居たか、兵衛?』
「それがしが居らぬと
『人の
「存じております。ですが太夫の処遇は任せて貰えませんでしょうか?」
『情でも移ったか?』
「それもありますが、お夏殿と約束したのでございます。亜麻糸太夫を助けると」
『お夏が?』
あの時、旗本の次男坊が酔っ払って乗り込んで正太郎を斬ろうとしていたが、正太郎は斬られる瞬間に亜麻糸太夫を
「それで2人に裏切られた太夫は怨念を通り越して妖怪になってしまったのです。それがしからすれば太夫は被害者なのでございます」
『…女』
『へぇ』
『綾樫兵衛の
『覚悟の上でありんす』
『相分かった、これより綾樫家の憑き神として徳を積むが良い。兵衛、お主も命ある限りこの女が罪を重ねぬ様に監視せよ』
「畏まりました」
漆黒の男が消えると同時に
『綾樫様』
「すまぬな、
『不束者ではありんすが今後ともよしなに』
そして両国の片隅にある綾樫邸の奥座敷、兵衛の呼びかけで住み込みの奉公人が集まっている
「済まぬが今日より
兵衛の許しを得て奉公人全てが妖怪の姿に変わる
『綾樫様、皆が妖怪でありんすか?』
庭師[網切り]の鉄之助、門番[塗り壁]の平佐、飯炊き女中[釜鳴り]のお千代、下女[白
「兵衛の旦那、とうとう人間の嫁を諦めたンですかい?」
「鉄っつぁん!下世話な言い方はよしとくれ」
『よ…嫁って…』
考えもしなかった[嫁]という選択肢に亜麻糸太夫は耳まで紅く染まる
「千代と文三は酒と肴を
『糸って誰の事で?』
「お主の事に決まっておろう?まさか亜麻糸太夫って呼ぶ訳にもいくまいて」
『いえ…本当に
昔、糸は借金のカタで
「お糸さんっ大変だったんだねぇ」
涙もろい文三と千代は号泣し、泣いてる所を見られたく無い鉄之助は背を向け、平佐と絹は慰めようと頭を撫で、珠は糸の膝の上に乗って
「
皆の反応を見て兵衛は席を立つ
「では、糸の事は任せる。それがしはもう一仕事するゆえ」
『あの…』
「案ずるな、支度が出来たら呼んでくれ。千代」
兵衛は懐から財布をだし、一朱銀を4枚程お千代に手渡す
「あら?豪気だねぇ」
「下りものの
お糸達が出かけると鉄之助が話しかける
「旦那も
「何がだ?」
「
「そうだな、そうなるとそれがしは極悪人の外道じゃな」
「俺達ゃあ
「それがしは皆の業を少しでも良きモノに変えれたらそれで嬉しいのよ。ただの自己満足だがな」
「お糸だけでも人に戻せ無ェのか?」
「そいつは神仏の気まぐれよ。堕ちるのは楽だが登るのは相応の覚悟が要る」
そうしてお糸を迎えるささやかな宴会が催され、兵衛はしれっと抜けて縁側で座って居ると
「退屈でありんしたか?」
兵衛にもたれかかる様にお糸が横に座る
「太夫から見ればこっちの方が退屈ではござらぬか?」
「散財するだけのバカ騒ぎと心からの歓迎は別物でありんす」
兵衛はお糸に着ていた羽織をそっとかける
「ふふ、あったかい」
「明日、旗本の速水様の所へ伺う。旗本と聞いて嫌な思いをさせるがどうか暫く我慢して欲しい」
「綾樫様が傍に居られるならわっちは大丈夫でありんす」
「その「綾樫様」って変じゃのぉ「兵衛」で良い」
「はい、兵衛様」
その様子を見ていたお千代とお絹は
「あらあら、結構似合いじゃないかい?」
「そうね、お糸さんなら旦那を頼めるかもね」
「でもさぁ、お糸さんってヤケにあの人に
「それアタシも思った」
そうして翌日の
「御免。寺社奉行同心綾樫兵衛、速水雅臣殿の招致で参った。お取次ぎ願い申す」
「暫時、お待ちくだされ」
兵衛とお糸は速水邸の母屋に通される
「待たせたな、綾樫。そちらの娘御は」
「後でお話致します。此度の一件、こちらにほぼ収めまして御座います」
兵衛は顛末書を手渡し、雅臣はじっくりと目を通す
「ふむ、新たに怨霊になる事も無く野辺送りにしたか。そしてその娘御が書いてあった亜麻糸太夫か」
「
「速水様、わっちの顔に…何か?」
「綾樫が私情を挟む訳よの」
「申し訳ございません、この責は総てそれがしが…」
「良い。太夫よ、実はワシも驚いておる」
お糸はまだ分かってない
「お主の顔立ちや姿がワシの娘…綾樫の妻に瓜二つでな」
「!?」
「速水様、その件はそれがしから言いますので今はご容赦ください。実は…」
「旗本、矢沼家の方はワシの方で話をつける。影御用ご苦労であった」
雅臣は
「4つとは出しすぎではござりませんか?」
「矢沼家の不祥事の口止めよ」
「なれば謹んでお受け致します」
速水邸を出た2人は真っ直ぐ屋敷に戻らずとある寺に向かう
「兵衛様?ここは」
「それがしの両親と妻が眠っておる」
お糸の胸にチクリと痛みが走る
「今より3年前、火盗改めだった父上が昔捕らえた元盗賊共に襲われてな。その時に両親と妻の桜を亡くした、それがしは寺社奉行の使いで日光に行っておったゆえ惨事は早飛脚で知る事となったのよ」
「瓦版で知りました、それで…」
「盗賊共は全てそれがしが早馬で戻って斬った、まぁ…
「では御屋敷の
「皆、父上の友よ。一人残されたそれがしが不憫で残ってくれたのかも知れぬ」
兵衛は墓前に花を供え
「父上、母上、桜殿。綾樫家にお糸という家族が増えもうした、それがし共々見守ってくだされ」
兵衛の隣でお糸が墓前に手を合わせる
(桜様、兵衛様はわっちが必ずお守り致します)
「さ、報告も済んだし帰りに何かしら買い食いでもするか。
「兵衛様は下戸でございますか?昨日も酒には手をつけておられんしたなぁ」
「呑めぬ事は無いのだが速水様に出す書類があったゆえ仕方無き事。それに大半の仕事は書き物やら頭を使う事が多くての、甘いのが欲しくなるのよ」
「そう言えばお夏に飴をあげてましたなぁ」
「やはり
「気付いてやんしたか」
「確証は無かったがな、だが面白いな。それがしの
「わっちは荒事は苦手でありんす」
「それがしの首を狙ったとは思えぬ言葉よの。安心せい、お珠でも入れぬ場所の潜入に向いておるなぁと思ってな?まさか蜘蛛が間者とは思うまいて」
「わっちを道具と見てるでありんすか?」
「違う違う、羨ましいのよ」
「羨ましい…?」
「それがしは皆の様な
女郎蜘蛛の鋼線をものともしなかったアンタが言うでありんすか?と言う言葉をお糸はぐっと飲み込んだ
数日後
「では、行って参る」
「兵衛様、お弁当にございます」
「いつも済まぬな、お糸」
「行ってらっしゃいませ。今夜は兵衛様の好きな煮魚とトロロ飯にございますのでお早いお帰りを」
「ならば疾く戻らねばなるまい」
兵衛とお糸の新婚の様な甘ったるいやり取りを見ていたお珠が一言
「リア充爆発しろ」
妖怪同心、あやかし兵衛 狸穴亭銀六 @ginnrokumamiana
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