第5話 魔法の薬

 異世界では、めっきは工業製品にとって切っても切れない加工技術ですが、素材から使用環境まで幅広い知識がないと金銀銅メダルのように、すぐにハガレたり変色たりしてしまいます。素材の上を耐食性、光沢外観などを持たせてきらびやかに仕上げるので、汚れて埋もれていた素顔を眉目秀麗に仕上げる魔術の一つとなっています。めっき加工時に毒物や劇物など数多くの有害物を高い濃度でふんだんに扱うことで、各社各様の機能を持たせているため、加工で出てくる厄介者に合わせて処理方法を変える必要があります。そのため、排水処理には基本原理だけでなく加工技術で使う各種薬剤に含まれる成分の影響を一つずつフル回転させながら確かめる必要があります。

 ところで、異世界では大手工場の海外移転に伴って国内の工場が次々と減産したため、親亀がこけた子亀孫亀のように、下請け中小企業のめっき工場数も激減の一途を辿っています。めっき技術が衰退すると言うことは、悲しいことに、工業立国もいよいよ終焉を迎え、工業の檜舞台から転落することに他ならないのです。排水処理に必要な「魔術」の基になる分析と表面技術の知識を活かしながら、退職後のボケ防止で異世界のめっき排水処理に取組んできましたが、異世界のお役所は基準を甘くすること以外対応できないのです。規制に対応できる薬剤に挑戦することは金と時間がかかるので経済観念に乏しいものがすることと思われているため、残念ながら、挑戦せずに屈する、臆病者か怠け者しかいない世界のようです。異世界に飛び込んだ諦めの悪い私は挑戦する錬金術師となって、処理の難しい規制物質を安全で安価に成仏できる「魔法の薬」を開発し、排水処理で困っている企業に社会貢献が趣味の魔術師とともに提供し始めました。

 排水処理でいろいろな有害物を成仏できる「魔法の薬」の力は原子を結合させた分子の力を利用したものですが、どういう訳か薬品の原理説明を始めるとめっき工場の排水担当者のほとんどが、キョトンとした目付きで無反応になります。金勘定の得意な分野の人ばかりで聞きなれない言葉なのかもしれません。めっき薬品を毎日扱っているにもかかわらず、質問したら「教科書を読めば最初に書いてありますよ」と言われ、不勉強をさらけ出すことになりそうで、気が引けるので質問できなかったのは過去世界の人のことで、そんな話は異世界では、分からなくても全く気にもならないようで、疑問や質問さえ起こらないようです。このことからも、もはや工業立国を返上するのがふさわしいようです。「魔法の薬」を使うには、企業ごとに異なる適切な添加場所や溶液のpHなどを操った「魔術」が必要になり、結果を示すために魔術師が“その場”で手品のように処理して見せると、「百聞は一見にしかず」ということわざのとおりで、目を輝かせ興味津々となり、魔術のタネが何だか分からなくても納得できるようです。

 プラスチック、ガラスやセラミックスなど電気の流れない物質にめっき出来るのは無電解ニッケルめっきという特殊な加工方法で電気製品、自動車などの部品に多用されています。それを使ってめっき加工している工場では、5~6数回使うと効果が落ちてめっき出来なくなるので、常に濃度の高い廃液が出ます。そのまま排水処理しようとすると特殊な成分が多量に含まれていて処理出来ません。これまでは、産業廃棄物取り業者に高額な対価を払って委託していました。廃棄物引き取り業者は忙しいのでなかなか取りに来てくれません。1トン未満だと少量でも値段が変わりません。そのため、液体を長い間保管せざるを得なくなります。この廃液処理に魔法の薬を応用し、誰でも処理できる方法を見つけるため、錬金術師なって根本から考え直してみると今でにない考え方ができそうです。そこで、誰でもできるのは排水に有害物が最初から入れなければ良いことに気付きました。そのためには、排水に有害物を流す前に処理してしまうことです。排水に有害物を流すと他のものと混ざって薄まってしまいます。薄まる前の濃度の高いときに処理してしまうのです。濃度が高いほど液量が少なく、しかも、分離しやすくなるため、処理薬剤量が少なくて済むはずです。そこで、魔法の薬を濃度の高い廃液にすぐに加えるのではなく、一旦、多くの有害物を予め沈殿させておいて、少量になった上澄み液に魔法の薬を加えてみました。すると、予想した以上に魔法の薬が少なくて済んだのです。少量で済む魔法の薬の処理は廃棄物引き取り業者の価格より遥かに安価であるだけでなく、液体を処理した後には固体に変わるので、どこにでも積んで貯めて置くことができ、しかも乾燥しやすいので廃棄量を減らせるのです。闇の商人や役人が取り組まないこの方法は自然環境にも優しく社会貢献につながります。これに意気投合した魔術師と二人で、魔法の薬の普及活動に入りました。

 無電解めっき会社の役員から時々排水処理後の濃度が高くなって基準値を超えて困っているという連絡が入りました。話を聞くと、時々、ろ布を洗って排水濃度が高くなるとのことです。そこで早速、高濃度のろ布洗浄液の処理方法を紹介しました。すると、「凝集しなくなって困っている。」と言う連絡が入りました。どうしたら凝集させられるか想定外の対応に迫られました。出来るだけ添加剤の量を少なくして凝集させる方法を見出さなければなりません。原理を考えると、分散しているということは、互いに反発し合っていることになります。反発している表面を互いに引き寄せるものを見つければ凝集できそうです。そこで、異なる電荷にすることで引き寄せ、凝集できないか取り組んでみました。その結果、カルシウム成分の安価薬剤が見つかりました。無電解めっき会社の役員に処理方法を伝えましたが、その方法でも相変わらず"うまくいかない"とのことです。薬剤そのまま使うと粒子のまま固まって分散しにくく大量の添加が必要になっているようです。いったん薬剤を溶かして表面にまとわり付き易いようにイオンにしてから少量魔法の薬を加える方法を紹介しに工場の現場に行って見ました。やり方をその担当者に説明している間もひっきりなしに製造の作業者から次々どうしたらよいか質問にやって来て、気忙しくアタフタして、どうやら異世界の悪役令嬢ポカにいつもまとわりを付きまとわれているようです。そのため、薬剤が固まっていることに全く気付かなくさせているのです。悪役令嬢ポカが付きまとっている担当者は自分の作業を早く済ませようといった「欲」が強く、一手間かかるその方法は上の空で使おうとしませんでした。

 別の工場では悪役令嬢以外にも魔法の薬を効かなくさせる伏兵が現れてきました。時代劇を彷彿とさせるような常習屋です。常習屋が提供してきた薬剤を多量に使って無電解めっき液を処理してきた排水処理担当者は、常習屋から袖の下を貰ってきました。しかし、これまでの薬剤が購入できなくなると袖の下が貰えなくなる危機に直面します。そうなると、盆暮れの付け届けまでもなくなるので一大事です。そこで、魔法の薬が効果なかったことにするために、背水の陣を引いて、効果がないよう目論むため常習屋に助けを求めます。常習屋は「ここが知恵の見せどころ」とばかり、待ち構え方を伝授します。そこで、魔法の薬が効かないように、予め排水濃度を高くするため濃厚液を事前に混ぜる方法を教え、測定するpH計の目盛りをずらして調整する方法だけでなく液のかくはん速度を遅くする方法などを事細かに紹介し、立ち会い試験でも悟られにくくなるように伝授します。しかし、魔術師は手慣れたもので、導電率やpHを確認することで、排水処理担当者の小細工を見破り、ポーカーフェイスであたかも手品をするように、分散して乳化していたものを一瞬で凝集させたため、「アッ」と驚くほどの効果が現れました。その処理液を分析会社で測定してもらうことになりました。しかし、その分析値は処理前とほぼ同じ値とのことでした。処理後、沈殿していたにもかかわらず上澄み液が処理前と同じ値ということはあり得ません。どうやら悪役令嬢ポカの仕業で担当者が処理前の液と間違えたか、すり替えたようです。

 芥川龍之介の「魔術」に登場する魔術師ミスラ君が「欲があると魔術は使えない」と言っていたように、作業担当者が常習屋の袖の下を狙った欲を、魔術師が打ち砕いたときには、魔術の見せ場ができたようです。しかし、悪役令嬢が執念深くまとわり付いた欲深い担当者がいるところには魔術師の手品のオーラも届かないようです。悪役令嬢や常習屋に縛られている担当者にカツを入れて目覚めさせることのできる社長がいる会社を探しながら、未知への挑戦を続けざるを得ないようです。     了

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闇と魔術 榊 薫 @kawagutiMTT

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