猫に生まれればよかった

ブロッコリー展

ある日の妻のこと


朝のほうから“おはよう”と言ってくるような朝には気をつけた方がいい。


僕はそんな朝の気配を感じつつ、リビングで椅子に腰掛け、コーヒーを飲みながらスマホを見ていた。


ネットニュースをあれこれ見ているうちに、ひとつ記事に目が留まった。


それはネコに関するある不思議な事件の記事だった。


内容はこうだ。



🐈



【先月来、世間を騒がせていた、都内の若い家ネコたちが一斉に失踪していた件で、捜査を続けていた警視庁ペット課から進展があったと発表があった。 それによると、家出した家ネコたちは、ロックンロールのカリスマ猫として若いネコたちの絶大な支持を集めるネコザキ氏の主催する“永遠の猫の自由フェス”に参加していたとのこと。 都内某所にで開かれているこのフェスは猫の昼寝の時間以外はずっとノンストップで行われ、猫だけの自由な楽園の創造という夢に向かって一致団結を図るものでもあり、猫たちのその意思は硬く、飼い主たちの説得にも全く応じる様子はない。今のところ帰宅した家ネコは1匹もおらず、当局は引き続き……】




そして、この記事ではほかにもイベントに参加したある若い家ネコのインタビューも載せていた。



【🐈「ネコザキはオレの全てだし、やっぱ、恵まれたセレブペットショップをあとちょっとで卒業って時に中退して、ノラになって……そういうのマネできないとこだし、言葉に嘘がないっていうか、猫かぶってないっていうか、とにかくネコザキいなかったら今の猫としてのオレはないし……」とそこで涙で声を詰まらせで……】



さらには、動画ニュースのリンクも貼ってあった。そこに飛ぶと、カリスマ猫のネコザキがステージ上で絶唱している動画を観ることができた。



【「🔈自由になりたくないかい?自由っていったいなんだい?」】


時に飛び跳ね、時に倒れ込み、感情の全てを投げ出すかのようにそのネコは歌っていた。


ひととおりそれらを見たところで、僕はもうすでに冷めてしまったコーヒーをテーブルの上に置いた。


なかなかユニークなフェイクニュースだった。


念のため一応、ファクトチェック機能を利用しようとしたら、この記事の方が逆に今、僕をファクトチェック中とのことで、できなかった。そんなのってありだろうか。



……そういえば、今朝は妻がなかなか起きてこない。


実は昨夜、些細なことでちょっとした言い合いをしてしまって、妻はそのまま自分の部屋に閉じこもってしまったのだ。


妻は最後に「猫に生まれればよかった」と泣きながら言って扉をぴしゃんと閉めた。ケンカするといつもだいたいそのセリフで終わる。


どんなケンカでも妻は翌朝にはケロっとしてるんだけどな……。今朝はちょっと長引いているみたいだ。


ちょっと心配になったので妻の部屋をノックしてから、そおっと開けてみた。


── いない。


棚の上に妻の字で書き置き。


『私のことは探さないで下さい』


妻が探さないでと言っている時にはそれは探してくれということなのだ。


大変だ。


ふと気づくと部屋の中には音楽が流れていた。ロックンロール。


「🎵自由になりたくないかーい? 自由っていったいなんだーい?」


こ、これは、ネコザキの曲じゃないか。


まさか妻がネコザキを聴いていたなんて……。


よく見ると、この部屋は確かに落ち葉に埋もれた空き箱みたいだったし、もっとよく見ると、ネコザキのファンクラブの会報誌が何冊もある。しかしながら、その中身は全部ネコ語で書かれていて読めない。


翻訳アプリで対応しようとしたら、スマホが僕を「シャーッ」と威嚇して、さらに引っ掻かれた。


スマホに引っ掻かれるなんて初めてだ。


僕はそこでハッとした。まさか、妻はネコザキの音楽に感化されて、その呼びかけに応えて猫の自由運動の一員になりにいったのでは……。


常々「猫に生まれればよかった」と言っていた妻が思い浮かんだ。


ありえなくもなかった。


そして僕の脳裏を“盗んだ何かで走り出す妻”がよぎった。


かぶりを振ってそのイメージを拭い去る。


とにかくすぐに妻を見つけ出さなきゃだ。


急いで身支度して、玄関へ。


おっと危ない! 足元注意だ。


玄関へ続く廊下にはびっちりとマキビシが撒かれていたからだ。それになんて痛そうなマキビシなんだろう。


とにかく妻は探される気満々のようだ。


おそらくはいつも僕が履く靴の底は妻によって接着剤で床とくっつけてられていて、履いたらコントになってしまうだろうからパスして、靴箱の中のものを出して履く。


玄関の扉は少しだけ開いていた。やはり、上部に“黒板消し落とし”(教室で先生に仕掛けるあれ)が仕掛けられていている。


黒板消し、って……


車のところまで急ぐ。車には若葉マークみたいな“小さな勿忘草マーク”が貼られている。


乗り込んでエンジンをかける。


よかった、かかった。


ほっとして発進したら、後部から無数の空き缶のガラガラ音に襲われた。


ブライダルカーのトラップだ。


でもそれらを一つ一つ取り外している時間はないので、そのまま行くことにする。沿道の人たちもまさかブライダルカーで妻を探しに行くところだとは思わないだろう。


家の出口のところに妻の手作りの『右折』の標識。


一番最初から逆いかれた困るからだろう。


僕はガラガラと、やかましい音を立てる車を飛ばして、例のネコザキのいるキャットタワー野音を目指した。


走ること1時間。


たくさんのキャットタワーに囲まれた野音ステージが見えてきた。


それぞれの家を飛び出してここに来たたくさんの若い家ネコたちが熱狂している。


僕も一応、その中に混じって一緒に揺れる。


ステージ上でネコザキが尻尾を振り乱して割れんばかりの声で歌っている。


髭がマイクに当たりまくっている。


僕はとりあえず近くのネコたちに「家に帰った方がいいよ」とか「こういう人を知らない?」とか話しかけてみる。


🐈たち「シャーッ」


  僕「ごめん」


アンコール!アンコール!


一度はけていたネコザキが再びステージに戻ってきた。


ニャウォーという大きな歓声が起こる。


ネコザキMC「アンコールどうもありがとう。それでは最後にボクが一番大切にしている曲を歌います。聴いてください、『猫が猫であるために』」


弾き語りが始まる。しっとりとした曲だ。


観客の若い猫たちはみんなまるで神を見るような目で彼を見つめて、聴き惚れている。


そして熱唱が終わる。


終演。


チャンスとばかりに僕は彼の楽屋へと走った。


ドアを開ける。


と、彼はまだ先ほどまでのステージの興奮そのままに、汗をタオルで拭ってバンドメンバーと腕(前足)や手(肉球)を合わせて讃えあっている。(念のため、みんなネコです)


僕「ちょっとすいません、こういう人がここへ来ませんでしたか?僕の妻なんです」


ネコザキ「あー、あれはあなたの奥さんだったんですね、来ましたよ。ボクの志しに賛同してくれて、一緒に運動したいと言ってくれたんですがお断りしました。やはり、人間はメンバーにはなれないので……、奥さんはとてもがっかりしていらしてましたがね」


僕「そうですか……。でも、断ってくれてどうもありがとうございました」


ネコザキ「ボクはにんげんの夫婦のことはよくわかりませんが、例えば、“軋む何かの上でやさしさを持ち寄って”みたりしてはどうでしょうか」


僕「ええ、そうしてみます。どうもありがとう」


僕がそう言って楽屋から出ようとすると、「あっ、ちょっと待って」と彼は僕を呼び止めた。


ネコザキ「これは誰にも言ってないことですが、実は、今日をボクのラストステージにしようと思ってて、これからもう一度ステージに上がってみんなに伝えようと思うんです」


彼は僕にその様子を全てのマスコミ各社へ伝えて欲しいと頼んできた。


本当はあんまりそんな時間はなかったんだけど、カリスマ猫ネコザキの頼みを聞かないわけにもいかないし、なにより、この情報を待っている沢山の飼い主さんたちのこともある。


僕「わかりました」


ステージ。スポットライト。一筋、ネコザキを照らす。


予期せぬ再々登場にファンの家ネコたちは大熱狂だ。


静まるのを待ってネコザキは話し出した。


「みんなー聞いてくれー。実はボクは今日大事な決断をした。ボクは今日限りでマイクを置くよ。ボクはずっとネコだったことを忘れていたんだ。集団行動が苦手なこととかもね。ちょっと組織がデカくなりすぎたみたいだ。自分がどんどん猫じゃなくなっていくことに疑問を感じていたんだ。そして思い至ったんだ。“もう一度猫だった頃に戻ろう”と。闘いからの卒業をしようと……。みんなはきっとそれぞれ帰るべき場所があるはずだ。たとえ、離れ離れになってもボクはみんなを愛している」


🐈たち「ネコザキー ネコザキー やだよー ネコザキー」


突然のことに涙を流して叫ぶファンの家ネコたち。


彼らを見ていてなんだか僕もジーンときてしまい泣きそうになった。


こんなこと人間の僕が言えた義理じゃないが、「君たちはまだ若い、きっとまた何かを見つけられるよ」。


僕はそれらの様子を克明にマスコミ各社へと速やかに伝えた。


混乱の果てに、


ネコザキはどこかへと姿を消し、


ファンの家ネコたちは、迎えに来た飼い主さんとともにそれぞれの家へと帰っていった。


さあ、僕も妻を探さなきゃだ。目の端の涙を拭った僕は、再びやかしましい車に乗って走り出した。


その途中であることを思い出した。


それは以前、外国のある研究チームが“家ネコが普段、飼い主が知らないうちにどれくらいの冒険をしているのかを調査した結果が載った記事を読んだことだった。


結果➡️『わりと近くをうろうろしてた』らしい。


つまりは、そんな感じのところで、そのあと僕は妻を発見することができた。


近所のペットショップにて。


展示された子猫を、ガラスに張り付くようにしてじっと見つめる妻がそこにはいた。


僕に気づいてこちらに顔を向けると、妻は一言こう言った。


「猫に生まれればよかった」


猫に  生まれれば  よかった。


「うん」と僕は頷きを返す。


そう、僕はつい今しがた、猫にたくさんの感動をもらったばかりなのだ。


僕「さあ、家に帰ろう」


妻「うん」


建ち並ぶビルの中


ちっぽけな僕らは


手を繋いで家に帰った。


僕「イワシのトマト煮つくったら食べる?」


妻「ありがと、今日は食べない」


猫に生まれたとしても僕は妻と結婚したと思う。






     


                      終

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