第二話 煽り運転にご注意

「あんたは知ってるか? べとべとさんのこと」


 典文は病床に半身を横たえつつ、ゆっくりと語り出す。

 重要なのは雰囲気だ。

 説得力がなければ、保険屋という実利の番人を納得させることは出来まい。

 そう言った覚悟を決めて、彼は語りはじめた。


「男が夜道を歩いている。あたりに人気はない。供連ともづれもいない。ところが、いつからか足音がついてくる。背後から、ひたっ、ひたっと。ハッと振り返ってみるが、人の姿はない。ネズミ一匹いやしない。また歩き出すと、ひたっ、ひたっと聞こえてくる。怪現象はずっと続くんで、やがてそれは、べとべとさんという妖怪の仕業だとされた。これをやり過ごすには……いや、いまはいいか。とにかく俺たちは、そのべとべとさんから煽り運転を喰らったんだ」


 黒い巨漢は沈黙し、どうやら典文の話に聞き入っている。

 しめたものだと、彼は隣に腰掛けたままの彼女、絵梨へと目配せをする。

 すると彼女は頬のガーゼにふれてから。

 こくりと頷き、切っ掛けとなる言葉を吐きだした。


「一週間前の深夜よ、わたしたちは、そいつと遭遇したの」

「郊外にある足引峠あしびきとうげでの話だ」


 続きを引き受けながら、典文は情感たっぷりに、怪談話を口にする。


「俺は愛車のGR86ハチロクころがしてた。理由? 理由はねぇよ。誰だってイカした車を持ってたら、深夜にとドライブしたくなることがあるもんだ。ちょうど点検も終わったばかりで足回りは良好。気持ちよく走って、峠にさしかかった。そんなときだ」


 ぐっと身体を前に乗り出して。

 敢えて声を抑えて。

 典文は、ぼそりと、言う。


「クラクションが、聞こえてきたのさ」


 立て続けに三回。

 激しく鳴り響く警笛。


「すぐさまバックミラーに目をやったけどよ、後続車両の姿なんてどこにもない。俺も、絵梨も聞き間違いかって笑ってたんだ。そしたらまた、クラクションが鳴った」


 二人は車を止めて、もう一度背後を確認したが、しかし車に類するものの姿はやはりない。

 夜陰に紛れているわけでもないらしい。

 二人が首をかしげたとき……エンジン音が鳴り響いた。


「並の車のそれじゃなかった。大型車か、よほど排気量の多いレーシングカーか……ともかく、それが背後からぶっ飛ばしてくる。俺たちは泡を食った。怖くなって。慌てて車に飛び乗って、思いっきりアクセルを踏み込んだ」


 だが、エキゾーストノートはどこまでもついてくる。

 どれほど速度を上げても、どれほど道を走っても。

 彼らは恐怖に駆られ。


「それでとうとうハンドルを切り損ねて、ガードレールにドカン。このザマだよ」


 言って、典文は首のギブスをさすった。

 顔をしかめながら「ホラ話だと思っていたんだ」と悔恨を口にする。


「足引峠ではって話は、知ってた。べとべとさんの名前も、ガキの頃に見たアニメで覚えてた。でも、まさか当事者になるなんて……なあ、助けてくれよ、あんた」


 怪我がなければ縋り付いていた、そんな必死さで訴える典文。

 絵梨もまた、巨漢の保険屋へと潤んだ瞳を向けた。


「わたしからもお願い。ただでさえケーサツに切符切られて、ガードレールの修繕費用も車の修理代もこっち持ちなの。保険が下りなかったら、このひと入院だって続けられないわ」

「そうなんだよ! オカルト特約なんて冗談でかけたけどよ、こうなったら唯一の頼みの綱なんだ、頼むよ!」


 両者から懇願されて。

 黒い調査員――案山子清十郎は、黙ってすべてを聞き終えて。


「……切実なお話、よく解りました」


 岩壁にヒビが生じる如くその口を開き。

 地の底から響くような声で、答える。


「ご安心ください。自分はお客様の味方です」

「本当かっ。だったら金を」

「いえ」


 飛び上がって喜ぼうとする典文に。

 その様子をじっと見詰めながら、清十郎は冷たく言い放つ。


「それは、調査で結論が出てからになります。怪異について、常識的、或いは法的なアプローチから、存在を肯定する材料は引き出せません。一般論としてそれは迷信と断ぜられ、古の時代実在していたナニカも、いまでは迷信か、科学で説明出来る現象に成り果てています」


 典文は不安を覚える。

 この言い様は、否定されるときの文句だ。

 彼はこれまでの人生で何度も、似たようなシチュエーションを味わってきた。

 どれほど熱意を込めて話をしても、たっぷりと期待を持たせてから裏切られる。

 それは絵梨も同じで。

 だから二人は意気投合し、車を――


「ですが……この時代まで姿を変え、性質を変えながら生き延びたものたちはいるのです。怪異は実在します。我々はこれを――現代適応怪異と呼称し、取り扱っているのですから」


 典文は唖然とする。

 巨漢が紡いだ言葉は、彼の想像とは別の方向を向いていたからだ。

 言葉は暗く、重々しく、温度も感じない。

 にもかかわらず、寄り添おうとする気概だけは、伝わってきて。


「吉田典文さん。あなたの申請した事故が、保険適応内であるか、我々は見定めなければなりません。その上で、お力になりたいと、自分は心より思うのです。ですから、まずはこちらの質問に、どうか正直にお答えいただきたい」


『――待ちなさい。その問答もんどうは、私の仕事よ』


 突如、三人しかいなかったはずの病室に、まったく別の声が響いた。

 典文と絵梨は顔を見合わせ。

 清十郎は渋面を作り、重い息を吐く。


「失礼」


 彼は断りを入れると、懐からタブレット端末を取りだした。

 ぼうっと光る画面の中を覗き込んで、典文はぎょっとなる。

 この世のものとは思えない風体の美少女が、そこに映し出されていたからだ。


 体躯たいくは細い。

 黒い大男せいじゅうろうと比べてではなく、一般的な人間よりもずっと細く、そして薄い。


 身につけているのは翡翠色の和服。

 その上に椿が舞う白い羽織を着崩しており、肩から腕のラインにかけて引っかけたようになっている。


 着物の裾は異常に長く、貴人の服か、十二単のように垂れて、足下から身体に巻き付くようにして三巻きと半分してもなお余り、時折ゆらゆらとうごめいていた。


 頭髪もまた長い。

 足下まで続いており、濡れたように深い色合いをしている。

 

 身体と頭を繋ぐ首は、細く、すらりと長く。

 唇は桜貝の如く可憐。

 歯は米粒のように白く整然と並び。

 時折、艶めかしい赤い舌が、ちろりと覗く。

 虹彩は黄金に輝き、瞳孔は極めて細く縦に長い。


 そんな少女が、夕暮れの波打ち際、砂浜に置かれた椅子に腰掛け、画面越しに一同を見渡しているのだ。

 あまりに奇々怪々な有様に、吉田達は言葉を失い、パクパクと口を開閉する。

 奇妙奇異奇っ怪な少女は、そんな彼らのことなど気に留めず、透き通るように白い肌へ歓びの朱をともしながら、艶然と微笑む。


『やっと暑苦しい胸筋から解放されたわ。爽快感にときめいちゃう。これって愛? それともLOVE?』

「無駄口は辞めろ、珠々じゅじゅ。真っ当に仕事をやれ」

『なによ、堅物。べー、だ』


 舌だけを突き出しながら抗議をする少女。

 筋骨隆々たる黒の男が、ため息とともにその肉体をいくらかちぢませ、典文たちを見据える。


「重ねて失礼を。こちらは、弊社の保有する人工知能〝磯姫いそひめ珠々じゅじゅ〟。自分の、相棒バディーです」

『お目付役と言って欲しいわね。或いは知恵の神』

「神などと、高尚なものではないだろう、いまのおまえは」


 画面の向こうに向かって声を投げかけるときのみ、清十郎の言葉はぶっきらぼうなものになる。

 それが彼と人工知能の距離感を示しているように典文には思えた。

 端末の中の少女が、口元を吊り上げる。


『あなたたち二人の愛はたっぷり伝わってきたわ。だから質問よ。確認したいのは三点だけ。ひとつ目、当時運転をしていたのは、あなたたちのどちら? ふたつ目、絵梨さんの頬の傷はいつついたもの? そしてみっつ目』


 珠々が清十郎を見遣り、清十郎は頷く。

 問いかけが、鋭く放たれた。


『〝瓢仙ひょうせん〟って、知っている?』


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その保険調査員、オカルト特約専門につき ~現代に適応した神秘・妖怪・都市伝説、その真贋を、いまよりここで判定する~ 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo

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