その保険調査員、オカルト特約専門につき ~現代に適応した神秘・妖怪・都市伝説、その真贋を、いまよりここで判定する~

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第一章 べとべとさんの煽り運転

第一話 黒づくめの保険調査員

 病室の中に、山がある。

 黒い山脈がそびえていると、病床の主たる吉田よしだ典文のりふみには感じられてならなかった。


「えっと……財団保険の人、ってことか?」


 山がを、包帯とギブスまみれの身体で受け取る。

 紙面には、


 保険調査員 案山子清十郎


 という肩書きと名前が、毛筆で刻まれていた。


 もう一度視線を山へと戻す。

 案山子かかし清十郎せいじゅうろう

 巨漢であった。

 偉丈夫であった。


 身長は二メートルに迫り、体重は優に百キロを超えているだろうと容易く想像出来る。

 事実、着込んでいる漆黒のスーツは、隆起した筋肉でいまにもはち切れそうであり。

 名刺を持つ指は、岩を数珠繋じゅずつなぎにしたような無骨さだ。

 しかして、身体の上に載っている顔は、不吉。


 表情は陰々滅々としており、堀深い顔立ちは目元に強いかげをかけている。

 一族郎党に不幸があって、連日連夜法事を重ねたあとだと言われても信じるほど、典文はその男に不吉さを覚えた。


 なるほど、そう考えれば黒いスーツにも合点がいく。

 喪服なのだ。

 顔つき自体は二十代の自分とさして変わらないのに、もっと年老いて見えるのはその所為かと、典文は納得する。


「はい」


 黒い男が頷いた。

 巨岩が地面に沈むような迫力。

 その声音も、極めて重低音で。


保険調査員オプには間違いありません。ですが……財団保険は通称となり、正式名称は――」


 長々とした呪文のような、或いは念仏のような、病院という場におおよそふさわしくない名称がぎんじられる。

 黒い男が唱え終えたところで、典文は「はぁ」と気の抜けた声を出してしまい、隣から肩を叩かれた。

 見舞い来てくれていた恋人の絵梨えりであった。


 こっちは大怪我をしているのだぞとムッとなりかけて、絵梨の頬に張られた大ぶりなガーゼを見て、典文は正気に返る。

 その下には、隠しきれていない古傷があったからだ。


 落ち着きを取り戻したことで、直前に聞いていた〝呪文〟の意味も理解した。

 外資からなっているその保険会社は、正式名称があまりに長く、あまりに覚えにくく、それでいて官民問わず、国内のどこでも名前の聞かれる大手であったから、いつしか自然と〝財団保険〟と呼ばれるようになったらしい。


 らしいというのは、典文が人伝に聞いたからだが、しかし実際に耳にすると、確かに覚えられない。

 そういう意図でつくられた造語だと言われた方がしっくりくる。


「さて――本題に入らせていただきます」


 黒い男が、小脇に抱えていた分厚い書類を取り出す。


「手前味噌ながら、弊社は国内屈指の業績を誇ります。一方で、保険の支払額も大きいものです。これは一つの矛盾ですが、明確な理由が存在しています」


 黒い保険屋は、典文達の前に幾つかの資料やパンフレットを並べていく。

 あまりにその声音が低くドスが利いているので、恫喝されているような気持ちになっていたが、どうやらこれはただのプレゼンテーションらしいぞと、典文はそこで気が付いた。

 顧客への当然の説明として、自社のことを語っているのだ。

 口調が外見と齟齬を起こすほど丁寧なのも、それが理由らしい。


「通常、保険会社の業績と支払額はトレードオフの関係にあります。お預かりした金銭を払い戻さず、他の事業にてるほど儲かるからです」


 それは典文にも解る。

 例えばパチンコに行くからと恋人からせびった金は、使い切ってしまった方がたくさん遊べる。

 ギャンブルというのはつぎ込んだ分だけ挑戦する回数が増えるので、わざわざ返そうと投資金額を出し渋れば、逆に大負けしてしまうものなのだ。


「しかし当保険では、豊富な特約をもうけ、幅広い事態に対応することで、この問題点を解消しました。万が一の場合を除けば、特約の差額は運営に充てられるからです。捜査機構とも十全に連携をしており、おおよその場合、正当なジャッジを下すことが出来ます。一方で今回のような、不幸にも――」


 じろりと三白眼めいた眼差しを向けられると、典文は窮屈さを覚えてしまう。

 大金が転がり込んでくることは嬉しいが、後ろめたさも彼の中にはあったからだ。

 それを認めてか、巨漢が小さく息をついた。

 らちがあかないとでも思ったのかも知れない。


「……不幸にも、保証ができない事態も起こりえます。自分はそのような特殊なケースにおいて、被保険者さま――つまりあなたがたへ、本当に保険金をお支払いすべきか調査する人員なのです」

「それって」


 典文は、なけなしの勇気を振り絞り訊ねる。

 そうしなければならない、切実な理由があったからだ。


「まさか、俺たちは金をもらえないってことか?」

「調べてみなければ解りません。とくに、あなた――吉田典文さまが付帯されていた特約は」


 清十郎が、懐から新たな書類を取り出す。

 分厚い契約書。

 そのうちの数ページをめくり、巨漢が頷く。


。すなわち、法律上は存在を認定出来ない、妖怪、怪異、神秘都市伝説といったものによって引き起こされた損害を、保証するものです」

「待ってくれ! 俺たちはこうしてマジで怪我してる。間違いなく、これは妖怪の仕業なんだ!」


 典文は怪我を押して、必死にまくし立てた。

 保険会社へ報告した内容を、そのままに。


「俺たちは――確かにベトベトさんからあおり運転を喰らったんだよ!」

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