一ノ瀬祐希の事件録

@keroyon1120

第1話

資産家の黒川裕一(48歳)が自宅の書斎で死体となって発見された。椅子に座ったまま机に突っ伏していた彼の姿は、心臓発作で突然死したかのように見えた。書斎は内側から施錠されており、窓も閉ざされていて、完全な密室だった。死因が「溺死」と判明したとき、捜査は混乱に陥った。


溺死であれば水が必要だが、書斎にはその痕跡がない。隣接する洗面所の床も乾いており、家中の水回りを調査しても異常は見つからなかった。また、被害者の体には争った形跡もなく、他殺の可能性を示す証拠は皆無。遺体の周囲には水滴も残されておらず、犯行の痕跡はどこにも見つからなかった。


捜査は難航し、ついに迷宮入り。公式には「自然死」として処理された。しかし、被害者の家族や知人たちの中には、「裕一は殺された」と主張する者も少なくなかった。黒川は冷徹な実業家として知られ、金銭トラブルや恨みを買うような行動も多かったからだ。それでも証拠がない以上、事件の真相を暴く術はなかった。


「祐希さん、久しぶりです」と、野村沙織の明るい声が一ノ瀬の探偵事務所に響いた。おてんばで元気いっぱいの彼女は、祐希の刑事時代の後輩だった。数年前に出会い、その後、彼女もまた一人前の刑事として活躍していた。


「沙織前も来ただろ、今回は何の用だ?」祐希は静かに尋ねた。相変わらずの冷静な声に、沙織の明るさが少し照らされるようだった。


「今回も持ってきましたよ、難解事件!!、2年前に起きた、黒川裕一の溺死事件です」と沙織は資料を机に置き、続けた。「2年前、彼は密室の書斎で発見されたんです。溺死していたんですけど、不思議な点が多すぎて…」


祐希は資料をじっと見つめた。写真に写っている書斎と、その隣にある洗面所が視界に入る。


「密室状態での溺死?」祐希が問い返すと、沙織は頷いた。「部屋には鍵がかかっていて、窓も施錠されていたそうです。それなのに水を使っての溺死。これ、おかしくないですか?」


「確かに、不自然だな」と祐希は一言、呟く。数多の難事件を解決してきた彼でも、この状況は少し考えさせられるものだった。


「密室で水を使った死因。窓から逃げるというのも、普通では考えられない状況だ」と祐希はさらに言葉を重ねる。「しかも、その間に部屋を外から施錠していたとなると、誰が鍵を操作したのかが疑問だ」


沙織は頷きながら、資料を見続ける。黒川家では、未だにその不可解な死因を説明することができないでいる。


「当時の黒川家の人々も裕一氏の死を納得できなく、誰もが口を閉ざして真相を追求する人がいない状態だったのも影響して、当時は自然死として処理されたんですけど」と沙織が続ける。「でも、密室という点が引っかかります。誰かが書斎に閉じ込め、殺した。そんな風にしか考えられないんです」


祐希は一度考え込むように目を閉じた。その冷静な視点が、事件の核心に迫るための道筋を探っている。


「部屋の鍵と窓を閉めるということは、誰かが中にいる間にそれを操作した可能性が高い」と祐希が再度言う。「だが、それには証拠が必要だ。溺死だということは資料にある洗面器が、密室を作り出すカギになるのかもしれない」と資料を見ながら続けた。


沙織が資料を差し出しながら、言う。「洗面器ですか?確かに死因は溺死だとしても、密室で殺害されたのに洗面器がどう繋がるんですか」


祐希は洗面所の写真を見つめ、じっと考える。「洗面所と密室が、どう繋がるのか――そこに何か仕掛けがあるのは確かだと思うんだが」と静かに答えた。


沙織は再度頷き、「祐希さん、何か手がかりを見つけ出せると思うんです」と訴えるように言った。


「ならば、この密室の隠された扉を見つける必要がある」と祐希は断言する。「隠された手がかり、洗面器が何を隠しているのか――それを探ることから始めよう」


沙織もその言葉に力を得たように、もう一度資料を広げる。黒川裕一の不可解な死に隠された真実。それは今、二人の捜査によって明らかにされる時を待っているのだった。

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