第4話 初恋の行方
王とルリの距離は徐々に近付いた。
二人は、毎日のように共に中庭に出た。
ルリが自由に空を飛ぶのを、王は黙って見守る。
「飛ぶのは好きか?」
そう聞けば、ルリはいつも嬉しそうに頷く。
控えめな微笑とは違うその顔が見たくて、中庭に出る度に王は尋ねた。
しかし、冬は終わりに近付こうとしていた。
春になって気温が上がれば、小鳥族はもっと涼しい場所を求めて北上して行く。
約束通り、獣王国を出ていくのだ。
王が震えを感じない程に寒さが緩んだある日、王はルリに言った。
「もうすぐ仲間の下に帰れるな」
瞬間、ルリが満面の笑みを見せた。
飛ぶのが好きかと尋ねた時よりも、もっと輝く笑顔。
王の胸の奥がチリと痛む。
分かっている、これは身勝手な感情だ。
だが、どうしようもなく王の胸は痛み続けた。
春の風が吹き始めた頃、王は後宮の妃達を、それぞれの種族の下へ返すことを宣言した。
もちろん残りたいと望むのならそれでも良いが、人質としての役割は失くすと決めた。
代わりに、各種族から隔たりなく有識者を募って議会を発足するという。
絶対王政であった獣王国を、変えていこうというのだ。
混乱は必至だが、王は変革を進めると固く決意していた。
この変化を快く思わない者もいた。
その内の一人が狐だ。
狐族の娘は、後宮を去ることになった。
獅子と狐では、どうやっても子は望めないからだ。
しかし、これから各種族から隔たりなく有識者が集められるのだとしたら、今まで知恵者として重用されてきた狐の立場はどうなるだろうか。
狐は考える。
今、王の心を掴んでいるのは、間違いなく小鳥族の
そして、そのルリが去ることを、王は心から悲しんでいる。
ならば、ルリが去らなければどうだろう。
王の側に、ルリを留め置くよう進言するのだ。
王女が留まれば、来年以降も小鳥族は獣王国の森を冬の宿地とするだろう。
そうすれば、毎年森の手入れも成されて、一石二鳥。
それを進言して主導したのが自分となれば、今後も王の覚えはめでたかろう。
狐はニイと笑った。
ある日、小鳥族が発つ日が森から知らされた。
それから目に見えて溜め息が増えた王に、狐はそろりと寄って囁いた。
「偉大なる陛下に申し上げます。ルリ様をこのまま、王の側に置かれませ」
「小鳥族は獣王国の者ではない。ルリは預かり者。約束通り返さねばならぬ」
「確かにそうです。しかし、飛べなくなれば、去ることは叶いません」
その言葉に王の怒気が湧く。
「何を言う!」
狐は慌てて数歩下がり、低く伏せた。
「な、何も翼を折れと言うわけではありません。鳥は翼に風切羽根という羽根を持っております。その先を、少し切ってやれば良いのです」
「切るだと!?」
「そうです。その羽根を切れば、鳥は均衡を保てず長くは飛べません。しかし、毛と同じで先を切っても痛みはなく、短い距離であれば飛べるとか」
狐は、王を気遣うように耳を倒して見上げた。
「ルリ様自身には何の損傷もなく、換羽期に羽根が生え変われば、また飛べるようになりましょう。ただこの春、渡り鳥として去ることが出来ないというだけ。それならば、来年まで続けて陛下の側に置いておいたとして、何の問題がありましょうか」
狐の声は、王の疼く胸の内を撫でていく。
側に置きたいと、望んでいただろう。
飛べなければ、去れないのは当然のことではないか。
いや、しかし、羽根を切った王を恨みはしないか。
いやいや、ルリは心優しい娘。
王の想いを知れば、時間を掛けてでも許し、受け入れてくれるのではないか……。
王の中で、混濁の迷いが渦を巻いた。
いよいよ明日、小鳥族が出発前の挨拶をする為に王城に上がることになった。
ルリは、女王と共に去ることになる。
中庭で空を飛ぶルリを見上げ、王は決意した。
この時間を終えて居室に戻れば、ルリの風切羽根を切る。
切っても少し飛べるというのなら、
胸中でそんな身勝手な言い訳をした時、ゴウと春一番の突風が吹いた。
葉や花弁がブワと舞い上がり、流れていく。
ルリは一瞬体勢を崩したが、すぐに持ち直して旋回すると、王の側に降りて来た。
「大丈夫か?」
近寄った王に、ルリはそっと両手で包んだ何かを差し出した。
「……何だ?」
ゆっくりと開いた手の中には、小さな赤い花が一輪。
大きな鼻先に寄せられると、ふわりと甘い香りがした。
春の香りだ。
「ス、キカ……?」
たどたどしい獣人語で、ルリが言った。
驚きに目を見張る王の右手の平に、ルリは花を乗せる。
「ハル……スキ?」
ルリが花のように微笑んだ。
寒さが苦手で、共に中庭に出ては小さく震えていた王を、ルリは気付いていたのだ。
温かな春が来て、王が寒さに震えずに過ごせることを、彼女は喜んでくれている。
王は震える手の平で、花を包んだ。
ルリのこの心根が、この微笑みが、愛おしい。
それなのに、なぜ自ら壊そうとしているのか。
翼のほんの一部であっても、それを身勝手に損ねることは、鳥が空を飛ぶ自由を奪うこと。
彼等の尊厳を汚すことであるのに……。
王は心を込めて、微笑んで見せた。
「ああ、好きだ。……ルリ」
「好きか?」と問い続けた王の言葉を、ルリが真似たのは分かっている。
それでも、最後にその言葉を聞けたことが嬉しかった。
王はルリを掬い上げると、そのままの勢いで彼女を上空に向けて放る。
そして叫んだ。
「担保の役目は終わりだ! よく務めた! このまま仲間の下に戻ることを許す!」
戸惑い、上空を旋回するルリから視線を外し、王は
翌日の王座の間には、最初の時と同じようにルリも並んでいたが、王は儀礼的に謁見を終えると、その場を去った。
小鳥族は一羽残らず王城から飛び立ち、北の空へ消えたのだった。
それからの十年は、獣王国の歴史に残る変革期となった。
種族間でぶつかり合うことも多く、獣王国から離脱する選択をした者達もいる。
種族ごとの特色や主張を力で抑えつけてきたのだから、当然の結果と言えるだろう。
それでも内乱に発展しなかったのは、獅子族が属した種族を力の限り庇護してきた歴史の表れかもしれない。
王は、中庭を歩いた。
風は日に日に冷たさを増している。
苦手な冬が、また来るのだ。
それでも、ルリと過ごしたあの日々を思い出せば、つい中庭に足が向くのであった。
ふと、どこかで聴いたことのある歌声が耳に届いた気がして、彼は空を見上げた。
雲一つない青空に、光弾く瑠璃色の翼を見て、大きく目を見張る。
優雅に降り立った小鳥族は、成人の女性だった。
彼女は怯えの欠片もない黒曜の瞳を細め、膝をつく。
「お久しぶりです、陛下。私を覚えておいでですか?」
「……もちろん。勿論だ、ルリ」
「今年、この国の森を再び仮の宿場とすることをお願いしたく……担保になりに参りました」
ルリは流暢な獣人語でそう言うと、顔を上げて控え目に笑んだ。
その笑顔は、大人になっても変わらない。
「私を、貴方の側に置いて頂けますか?」
「……残念ながら、もう人質を取るような真似はしておらぬ。国の在り様を変えたのだ」
「まあ、そうなのですね。では、どういたしましょうか」
既に知っていたのであろう。
ルリは少しも驚くことなく、そう言った。
王は破顔した。
「ならば、我が想い人として側にいてくれ」
立ち上がるルリを、大股で側に寄った王が掬い上げる。
羽根のように軽やかなルリが、抱え上げられたところから腕を伸ばし、王の太い首に抱きついた。
長い鬣と銀灰の髪が風に舞い、輝く瑠璃色の翼が光を弾いた。
《 終 》
王の初恋 幸まる @karamitu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
うちのオカメさん/幸まる
★171 エッセイ・ノンフィクション 連載中 111話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます