第4話 水面を翔ける少女

 カヌースラローム・ジャパンカップは年間4回、日本の北から南まで開催地を転々としながら開催される。全部に出場する必要はないがいずれかの大会で上位の成績を納めれば10月に東京のカヌー・スラロームセンターで開催される日本選手権への出場資格を得ることができる。

 カヌー・スラロームセンターは、国内初で唯一の人工カヌースラロームコースで、2021年開催の東京オリンピックのために作られた施設である。日本選手権で上位の成績を納めることができれば国際大会出場の代表選考会で代表選手に選ばれる可能性も高いと言える。代表選手に選ばれればナショナルチームとして国際大会に向けた国内外の強化合宿にも参加することとなる。ここまで行くとかなりの面で私生活や学業に影響が出ることは否めない。そしてカヌー・スラローマーにプロという資格がない日本において、たとえ国際大会で金メダルを獲ったとしても将来への保証はなにも無いのが実情だ。

 

(まゆまゆ)

『ジャパンカップ第3戦のレザルト見たよー、優勝おめでとう!』


(かけるん)

『ありがとうございます。たまたま自分に合ったコース設定だっただけです。運がよかったと思います』


(まゆまゆ)

『いやいや凄いって。10月の日本選手権に向けてもうひと踏ん張りだね』


(かけるん)

『それなんですけど……』


 スラローム競技の場合、トレーニングすると言っても公共の河川にゲートを設置するには許可が必要で、常設することは通常認められない。例外的にスラローム選手の育成に力を入れている自治体では常設のスラロームコースがある所もあるにはあるが、日本においてそれは例外中の例外と言える。だから大半の選手は練習するときだけゲートを設置し、練習が終わったら撤去するという手間が必要なわけだが、公共の河川と言う手前それすら許されない場合だってある。できたとしても1人で設置、撤去するとなると2、3ゲートくらいがせいぜいで、本番競技と同等の15~25ゲートの環境を用意することは事実上不可能と言える。つまり個々の選手がゲート練習するにはかなり高いハードルがあるということだ。

 そのためカケルちゃんは今後普段のトレーニングの他に、近隣で開催される競技会や草レースにも積極的に参加して一戦一戦経験と戦績を積むということになった。


 カヤックの運搬には自動車が必要だが、カケルちゃんはもちろん運転はできない。カケルちゃんのご両親は民宿を営んでいるから負担が大き過ぎる。そうなるとやはりカケルちゃんのおじいちゃん(師匠)がその役を引き受けることになる。


(かけるん)

『おじいちゃんは儂が連れて行ってやるって言うけど、おじいちゃんも年だし、おじいちゃんの体の方が心配なんです』


(まゆまゆ)

『あのじいさん、そんな簡単にはくたばらないと思うよ( ´艸`)、ってのは冗談だけど。でも、まあ大丈夫なんじゃないかな』


(かけるん)

『でも日本選手権の開催は東京だし。それにもしもその先もって考えると、学校のこととか両立できるのかなって不安なんです』


(まゆまゆ)

『サポーターとか学校とかは一旦置いとくとして、カケルちゃんの気持ちは? 世界を見て見たくない? そこが一番重要だと思うよ』


(かけるん)

『私は…… 自分を試してみたいです。でも、もし私が日本代表になれたとして、世界の選手とタイムを競って、それが本当に自分がしたいことなのかって、思っちゃいそうで、正直自信ないんです』


(まゆまゆ)

『とりあえず日本選手権を目指してがんばって、その間に色んなこと見たり聞いたり経験積んだりして、それから結論出すってのじゃダメかな?』


(かけるん)

『……分かりました』


 でも10月の日本選手権、そこにカケルちゃんの姿はなかった。

 時を同じくしてE川崎では今年2回目の「川中文吉杯カヌー・カヤックスラローム大会」が開催された。


「カケルは優しすぎるのじゃ。汚い手を使っても、他人を蹴落としてでも自分が代表になってやる! くらいの気持ちが無いと所詮世界では通用せん」

「でも、私、そんなカケルちゃん、見たくないです」

「ふん…… 儂もじゃ。まあ、これでよかったんじゃろう」

「はい」

 E川崎のいつもの「瀬」に設置されたスラロームゲートを軽やかに楽し気にくぐるカケルちゃん。それを私と師匠は目を細めて見つめていた。

「水面(みなも)を翔けるが如く、じゃな」

 師匠がぽつんと呟いた。


「師匠、私もスラロームがやりたいです」

「それは構わんが、スラローム艇は高いぞ」

「おいくらくらいですか?」

「ぴんからきりまであるが、まあ中古の軽自動車が買えるくらいの値段じゃな」

「うげ! 30万円くらいですか!?」

「まあ、儂の伝手で中古艇を探してきてやろう。それだと5万円くらいであるじゃろう」

「ありがとうございます!」


 来年はカケルちゃんといっしょに「川中文吉杯」のK1クラスに出場したい。

 また冬を乗り切って、春にはこの川をいっしょに漕ぎたい、カケルちゃんと2人で。

「クーン」

 足元でクマが鳴く。いや、2人と一匹で、だね。


「おじいちゃん、マユさん、何を話してるん?」

 レースを終えたカケルちゃんが私たちのところにやって来た。吹っ切れたような彼女の笑顔が眩しい。私はそんな彼女の笑顔を見て内心ほっとしていた。これからも彼女は今まで通りここに居てくれる。ここに来たら会える。


「クマー、私の漕ぎ見ててくれた?」

「ワン!!」

 しゃがみ込んだカケルちゃんの顔をべろべろ舐めるクマ。そんな1人と1匹をじっと見ているとカケルちゃんはクマと一緒にいたいから私の側にいてくれるんじゃないかって疑いたくなる。当面のライバルは「こいつ」だな。でも逆に言うとクマがいる限りカケルちゃんは私の側から離れないってわけか、ふふ……


「マユ、声に出とるぞ、馬鹿もん!」

「ええ! まじですか!?」

 慌てて口を抑えるがもう遅い。カケルちゃんは素知らぬ顔でクマの頭を撫でている。10月の、まだ昼間は泳げるくらい暑い晩夏の日差しが河原に立つ私たちに降り注いでいた。

 



               ~ おわり ~  





最後までお読みいただきありがとうございます。

本編「カヌーのお稽古」の方もお読みいただけると背景がより鮮明になって2倍お楽しみ頂けると思います。

↓「カヌーのお稽古」はこちらから!

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