第3話 乳白色の愛情
目が覚めると、茫洋とした天井が目に映った。
どうも、寝覚めが良くないらしい。
俺は回らない頭に強い不快感を感じながら、寝ぼけ眼を擦った。
ベッドサイドに置かれたデジタル時計に目を向ける。
今日は土曜日だ。
「二度寝するか……」
布団をずり上げた時だった。
耳馴染みのないメロディが耳朶を打つ。
それが電話の着信音だということに気付くのに、俺は長い時間を要した。
スマホの画面に表示されていたのは、桜庭紅巴という名前。
着信に気付かなかったフリをするかどうか、真剣に三十秒ほど悩んでから、俺は通話ボタンを押した。
『おはよう! 音穏くん!』
「あ、ああ……おはよう……」
そしてお疲れ――そう言って電話を切りかけたが、さすがにそれは何とか我慢した。
『あ、もしかして音穏くん、寝てた?』
「いや……今、ちょうど起きたとこだけど……どうした?」
『どうもしなくても電話くらいさせてよ……もちろん、用はあるんだけど』
「………」
まあ、用はそりゃあ、あるだろう。
デジタル時計に目を向ける。
現在時刻、朝の八時半。
たとえ俺と桜庭が親友だったとしても、用もないのに電話をかけていいかは、微妙な時間だ。まして、俺と桜庭は親友でも何でもないので、なおさら。
『私たちって、ほら、エクソシストじゃん?』
「………」
桜庭の話は、そんな出だしから始まった。
この話題は、先月から幾度も繰り返している。俺は幾度となく違うと主張しているのだが、俺の推しが弱いことも相まってか、桜庭はなかなか主張を取り下げてはくれないのだった。
――というバックボーンがあるので、ここは否定しても仕方ないと、沈黙でもって返す。決して、認めてないところがミソ。
『それでね、実は先月辺りから、「悪魔に関するお悩み募集」って触れ回ってたんだけど、それにようやく、相談が一件引っかかったんだ』
「……引っかかったのか」
会ったこともないのにこんなこと言うのはアレだが、相談者はたぶん相当なアホか、もしくは限界まで追い詰められた極限の人間なんだろうと思う。よくそんなものに相談を寄せたもんだ。普通、怪し過ぎて関わりたくもない。
というか、その相談自体、普通に悪戯の可能性だってある。
とはいえ、悪魔の存在を知るものとして、その相談を無視することはできないので、聞かなかったことにはできない。
『相談者さんと今日のお昼に会う予定なんだけど、音穏くん、同席してくれる?』
俺は天を見上げた。
知ってる天井が目に映った。
◆
「あ! 音穏くん! こっちこっち!」
呼び出されたファミレスに顔を出すと、そこには桜庭と、知らない少女がいた。
年の頃は俺と同じくらい。髪は赤茶でサイドアップ。手鏡を眺めながら、カールの利いた毛先を弄りまわしている。
そいつは桜庭が声を掛けた俺にちらりと視線を向けると、値踏みするような視線を向けてきた。
……まだひと言も話してないけど、もう苦手だ。帰りたい。
「来てくれてありがとう。こちらは依頼人の
「どうも……専門家じゃないけど、よろしく」
視線を窓の外に向けながら挨拶する。
「……ふ~ん。思ってたよりネクラ――ねえ、アカリ先輩。この人、ホントに大丈夫なんですか?」
「大丈夫、これでも悪魔を前にしたら、すっごい頼りになるから!」
「いや、全然。本当に大したことないから、全く期待するな――俺は、ほら、そこら辺に転がってる石ころみたいなもんだと思ってもらえればいいから」
「音穏くん! 依頼人の前でくらいしゃきっとしてよ!」
ボッチは期待されることに慣れてないから、上げられたハードルは瞬時に自分で下げていく習性がある。
とはいえ、いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、俺は悩んだ末、桜庭の隣に腰掛けた。もちろん、最大限距離を離して。
そして、ウェイトレスさんが持ってきたサービスの水を口に含み、「俺からは何も話しませんよ」オーラを全開にする――具体的には、窓の外を眺めて黙ってるだけでオッケーだ。興味なさそうなフリをしとけば、発言を求められることはない。
「それじゃあ、二度手間で悪いんだけど、もう一度、奏ちゃんが遭遇した悪魔のことについて話してもらえるかな?」
「まあ、はい……先輩がそう言うなら」
四方山はいまだ俺のことを訝しんでいるようだが、反面、桜庭のことは信頼しているようだ。
そこら辺は、やっぱり彼女のコミュニケーション能力の賜物だろう。
「これは、三日前のことなんですけど……」
三日前といったら、六月二十七日の水曜日だ。
雨が降っていたかな……そんなことを考えていると、続く四方山の言葉に、俺は言葉を失った――あ、いや、元からひと言も発してはいないのだけれど。
「妹の
眼を剥いた。
なぜって、本当に妹が攫われたなら、それは俺らなんかに相談すべきことではなく、いの一番に警察に通報すべきことだからだ。むしろ、俺らなんかに教えるべきではない――しかし、それでも俺らに相談したということは……。
悪魔が関わっているということは、つまり――
「悪魔に、攫われたんだよね?」
桜庭が確認するように訊いた――もちろん、気遣うような声音で。
「夜、一緒にコンビニに行った帰り、急に暗がりから手が出てきて……」
「手?」
「……よく見えなかったけど、背中から大きな羽根が生えてる化け物だった。手は、人間の手みたいだったけど、色は緑で……」
「そいつに、妹を攫われたと?」
四方山は躊躇いがちに頷いた。
「これって悪魔の仕業だよね?」
「………」
「聞いてる、音穏くん?」
「……ああ、俺に聞いてたんだ」
「他に誰がいるの⁉」
「いや……えっと……まあ、それは悪魔の仕業と見て間違いないだろうな。そんなキメラティックな生物がこの世に存在するとは思えんし――何より、四方山が、よく見えなかったって言ってるのが、確信できる要素足りうるだろう」
「どういうこと?」
「悪魔は悪魔と契約した人間しか見えない――でも、稀に、普通の人間でもシルエットがぼんやりと見えることはある。四方山が見たのは、悪魔のシルエットなんじゃないか?」
「そうなの? 奏ちゃん」
「そ、うですね……混乱してて、よく覚えてないですけど……そうだったような気がします」
その時のことを思い出したのか、四方山はぶるりと身体を震わせた。
なんて声を掛ければいいのかわからず、俺は閉口する。
代わりに、桜庭が質問を続けてくれた。
「警察には相談した?」
「はい――でも、信じてくれなくて……」
ま、怪物がどこからともなく現れて、妹を攫って行ったんです――なんて言っても、信じてくれるわけないだろう。
「警察の人は、誘拐犯に恐怖を覚えるあまり、記憶がそういう風に書き換えられてしまったんだろうって……でも、私、見たんです!」
「うん。わかってる。大丈夫。大丈夫だよ。私たちは奏ちゃんの味方だから」
興奮した四方山を桜庭が宥める。
俺はそれを眺めながら、遠慮がちに口を開いた。
「警察はどんな対応を?」
「……下手に犯人を刺激したら危ないから、犯人から連絡があるまではあまり大規模な捜索はできないって――犯人なんていないのに……」
「……なるほど」
なにが『なるほど』なのかはわからないが、質問しといて何も返さないのは変かと思い、適当な相槌を打っておいた。
そうすると、四方山が不審な目を俺に向けてくる。
「ねえ、ホントに、心奈のこと、助けてくれるの?」
「ココナ?」
「あたしの妹」
「ああ、攫われたっていう……ああ、まあ」
明言はしかねる。
だって、なにがあるかわからない――こんなことはもちろん言わないが、悪魔に攫われた以上、既に殺されている可能性だって……。
「一応……お金、持ってきたけど……」
「え? ……ああ」
玉虫色の返事しかしない俺に、何を勘違いしたのか、四方山はバッグから茶封筒を取り出した。
入っていたのは、新旧入り雑じった一万円札が、ちょうど十枚――十万円。
バイトもしてない高校生では、なかなか見ることのない大金が、目の前にあった。
「十万あるんだけど……足りない?」
「………」
足りる足りないの問題ではなく。
さすがに不審に思ったのか、桜庭が問う。
「このお金……どうしたの?」
「それは……」
「まさか、家から持ち出したんじゃないよね?」
「違います! ちゃんと自分で稼ぎました」
「……稼いだ?」
「………」
しばらく沈黙を保っていた四方山だったが、話が進まないと損するのは自分だと気付いたのか、訥々と話し始めた。
「これは……その……ちょっとエンコーで……」
エンコー――つまり、援助交際。
援助交際にも種類はあると聞くが、十万も稼ぐとなると……。
「だって……お年玉も、お小遣いも、全部使っちゃってて、貯金なかったから……昨日の今日で、お金用意する方法、これしか思いつかなくて……」
どこか言い訳がましく金の出所を説明する四方山は、なんだか痛々しかった。
妹のために藁をも縋る思いで、俺らを頼った。
身体を売ってまで、お金を用意して。
――どうやらこの件は、そうそう気軽に取り合っていいものではないのかもしれない。少なくとも、話を聞いてあげるだけでいいか――なんて考えは、俺の中からは消えていた。たぶん、桜庭も一層真剣になっている……と思う。
「わかった」
気付いたら、そんなことを口にしていた。
「その金は成功報酬でいい。妹のココナゃん……だっけか? が、無事に助かったら、その時、そのお金はもらう」
「あ、ありがとう……ございます――先輩」
上目がちに礼を言う四方山にドキッとして視線を逸らすと、湿度の高い視線を俺に向ける桜庭と目が合った。
◆
その日の夕方、俺は桜庭と四方山を伴って、心奈という少女が攫われたという場所を尋ねに向かった。
道案内をしてくれるのは、四方山奏。場所さえ教えてくれればと言ったのだが、着いていくと言って聞かなかったのだ。
事件現場はファミレスから遠く、バスを何本か乗り継いで向かった。
「ここらへん来るの初めて。音穏くんは来たことある?」
「……ある」
「先輩、この辺に来たことあるんですね。何もないところですけど。何しに来たんですか?」
すっかり俺に対しても敬語を使うようになった四方山が、俺らの話題に交じってくる。
あまり深堀されたくない話題なので、俺は素早く話を逸らすことにした。
「……それで? 四方山の妹が攫われたのはどの辺なんだ?」
「もうちょっと行ったところです」
そしてしばらく歩いたのち、四方山は立ち止まった。
「ここです」
指をさすは、細い道路。
車が一台通れるかどうか。少なくとも、対向車とすれ違うことは絶対にできない。街灯の一つも設置されておらず、夜になれば真っ暗になることは想像に易い。
「この道……」
「何かあるの?」
「いや、確かこの道の先って……廃校になった小学校があったような……」
「よく知ってますね、先輩。そうです。心奈が一年生まで通ってた小学校があります――でも、そこは警察の人もちゃんと捜索したはずです」
「悪魔の見えない警察官が捜索したんだろ?」
「……あっ!」
「行ってみる価値、ありそうだね」
桜庭が揚々と言った。
「妹さん、いくつだっけ?」
廃校に向かう道すがら、間を埋めるためか、桜庭が四方山にそんなことを訊いた。
「九歳の小学三年生です」
「じゃあ、生意気盛りだ」
「はい。でも、あたしには懐いてくれてて、可愛いですよ」
四方山はそう言ってはにかんだ。
――その一時間後、柔らかく笑っていたはずの四方山の顔は、どうしようもないほどに歪んでいた。
恐怖に。
悲哀に。
或いは、憤怒に。
「うっ……あ、あ……」
四方山の口からは、人の言葉は出てこない。
時刻は六時過ぎ。
予定通り廃校に辿り着いた俺らは、難なく校舎内に侵入し――そして発見した。
一階にある理科準備室。
空の薬品棚に隠れるように、部屋の隅に転がる、四方山心奈の残留物。コンビニの袋とそこからはみ出たアイスのパッケージ。
そして数十本の歯。
冷たい地面に煩雑にばら撒かれた、小ぶりな、乳白色の歯。見たところ、二十本近くある。
背景のように壁や地面に滲み付いた血痕が、その光景の凄惨さに拍車をかけていた。
「嘘……そんな……」
桜庭もまた、その光景に言葉を奪われている。
悪魔は、なぜか人間を惨たらしく殺すことを好む――桜庭には、そのことを既に教えていた。
「こんな……惨い……心奈……心奈ぁ……」
四方山は涙を流す。
俺は何も言えなかった。
――そんな時だった、そいつが現れたのは。
「……っ⁉」
西日の逆光でよく見えなかったが、そいつは地下準備室と繋がった、理科室にいた。
背丈で言えば一七〇センチほどの、人型のシルエット。
見間違いと断じるにはあまりに大きすぎるその異形は、こちらが気付いたと察するやいなや、弾かれたように駆け出した。
「――待てっ⁉」
慌てて教室を出ると、そいつは既に学校の内階段を駆け上がっている最中だった。
ヘッドホンを頭に装着し、呟く。
「
後ろから追いかけてきた桜庭の足音が緩慢になる。
ゆっくりと、微々たる速度で離れていく影を目標に、俺は駆け出した。音と同じ速度で異形に追いすがる。
夕暮れの廃校は、電気も通ってないせいで薄暗かった。
が。
悪魔と契約した俺は宵闇というものを知らない。
影と馴染むようなその異形を、俺は、この目でしっかりと見た。
「……は?」
それは、全裸の成人女性だった。
……………………。
それは、全裸の成人女性だった。
「……は?」
二回言っても意味がわからないほど、それは狂気の光景だった。
百七十センチの人型は、ただ背が高いだけの大人の女だったのだ。
廃校になった小学校を全裸で徘徊してる、ただのストリーキングだった。
あらゆるグロテスクな見た目の悪魔と相対してきた俺だが、全裸の成人女性は初めて見る。
長い黒髪の、西洋絵画に描かれそうなほど完璧な肉体美を誇る、ナイスバディな日本人女性だった。
「………」
というか、あまりのことに詳細に描写してしまっているが、これ、目を閉じた方がいいのだろうか。普通に考えて、ここは紳士として目を閉じるべきか。しかし、相手は露出プレイにご満悦なわけで、なら、逆に見てあげるのが優しさか。
――そんなしょうもないことを考えているうちに、タイムアップを迎えた。
俺の契約能力は、ひと呼吸の間しか適応できないという弱点がある。その完璧な肉体美に息を呑んでしまった時点で、俺の音速の世界は終わりを迎えた。
世界が、音と速度を取り戻す。
その瞬間、手を伸ばせば届きそうな距離にいた女性は、足早に階段を駆け上がっていってしまった。その美脚を存分に生かしたストライドで、たちまち俺の視界から消える。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
心臓が早鐘を打っている。
断っておくが、これは決して、全裸の女性にドキドキしているわけではない。単に、俺の契約能力の対価が動悸なだけだ――念のため。
はぁはぁ言ってるのも、不自然に乱れた脈のせいで呼吸が乱れてるだけだ。決して、全裸の女性に興奮してしまったわけではない――念のため。
「音穏くん! 大丈夫?」
すぐに追いついてきた桜庭が、焦ったように俺の肩に手を置いた。
「大丈夫――ちょっと興奮しただけだ」
「興奮?」
「間違えた――ただの契約対価だ、心配するな」
「何と何を間違えたのかな?」
「追うぞ。見失う」
「ねえ! 何と何を間違えたのかな⁉」
騒ぐ桜庭を無視して全裸の女を追いかける。
ただのストリーキングを追いかける必要があるのか――という疑問もあるが、しかし、俺はある可能性に気付いていた。
彼女を取り逃すのは、あらゆる側面に置いてよろしくない。
九十九折りの階段を駆け上がる。
二階、三階を四階を通り過ぎて、五階へ――そしてさらにその上、屋上へ。
屋上に続く扉は施錠されていたが、しかし、その脇にある窓は割れていた。そこから屋上に出ると、強い西日が網膜を焦がす。
眩んだ視界の中には、地平の彼方に沈もうとしている太陽を背景に、女性のシルエットが立っていた――屋上をぐるりと囲む落下防止用のフェンスの、その上に。
「女の……人?」
桜庭が困惑したような声を漏らす。
彼女もまた、俺らに気付いたようで、肩を大きく震わせた。
「ひうっ」
怯えたような声。
それはまあ、怖かろう。急に追いかけられたら、誰だって逃げる。まして俺らは高校生で、彼女は――
「……っ」
意を決したように息を呑む所作が見えた。
フェンスの上の立つシルエットが、ゆっくり向こう側に倒れていく。
「
それは最悪の事態として予測済みだったので、ヘッドホンをあらかじめ装着していた。
ゆっくりと際限なく減速していく世界の中で、女性の影が緩慢に、されど確実に落下していくのが見えた。俺は駆け出す。間に合う自信はあった。
息を止めたまま疾走する。屋上を横断し、落下防止のフェンスを飛び越える。フェンスの向こう側の、屋上の
「はぁ⁉ ……はぁ……はぁ……はぁ」
短時間での能力の二連発はキツい。
心臓がロックバンドのギターかよってくらい激しいリズムで拍動している。気を抜くと、意識が飛びかねないくらいの不規則な脈拍だ。
が。
今、気絶するわけにはいかない。この手は、少女の命綱なのだから。いや、或いは彼女なら、この高さから落ちても無事かもしれないが――。
「あ……あぅ……」
霞む視界の中、全裸の女性と目が合った。
非常に整った顔立ちは、絶世の美女と称して差し支えない。そして同時に、その顔は四方山奏と、ほんの少しだけ似ているような――さながら、四方山奏と姉妹であるかのような顔立ちだった。
俺は問う。
「四方山心奈ちゃん……だよね?」
全裸の女性は――全裸の少女は、躊躇いがちに頷いた。
◆
「〝再生〟の契約能力やね。契約対価は糖質。発動条件はなし――常時発動型の能力や」
その夜。
既に営業終了の看板を出した和菓子店『紗琳堂』の店内で、彩華さんは眼鏡を外しながらそう言った。
「常時発動型の契約能力……ね。そんなのあるのか」
「あるにはあんで。珍しいけどなぁ」
そうか、知らなかったな。
俺が納得してると、首を捻った桜庭が口を開く。
「えっと……どういうこと?」
「だから、目の前にいるこの人が、探し人だった四方山の妹、四方山心奈ちゃんなんだって」
「それがわからないんだけど……心奈ちゃんって、確か、九歳だよね?」
桜庭の丸い眼が、身長百七十センチほどの女性を射貫く。
まあ、どう見ても二十代の見た目だ。ここまで成熟した小学三年生がいたら、絶対ニュースになる。実際、探していたはずの四方山心奈とは見た目が異なるのは間違いないようで、件の四方山姉は四方山心奈とどう接するべきか、距離を測りかねている――そして、そんな姉の反応に、妹もまた……。
「ここ三日で成長したんだろ」
「そんなことあり得るの?」
「音速で動く人間とか、血液を操る人間がいるんだから、そういうことがあってもおかしくないだろ――まあ、個人的には〝成長〟の契約能力とかを予想してたんだけど……」
「肉体が最も完璧な状態に〝再生〟し続ける能力ってことやろうね。スタイルやらも抜群やし。羨ましいわぁ」
彩華さんが補足説明を入れてくれる。
ちなみに、「羨ましい」とか言ってるが、彩華さんも結構スタイルはいい。和服の上からでもわかってしまうほどに、抜群のプロポーションだ。
「じゃ、じゃあ、理科準備室に落ちてたあの歯は……」
「抜けたんだろ、成長して。乳歯から永久歯に生え変わったんだ」
それで、説明がつく。
理科準備室に乳歯が散らばっていたのも、彼女が全裸だったのも――そして、彼女が失踪していた理由も。
「誘拐じゃなくて、失踪……」
「そう。四方山心奈は、悪魔に誘拐されたんじゃなくて、悪魔と契約してしまったから姿を隠してたんだ」
正確には、悪魔と契約して姿形が変わってしまったから。
常時発動型の能力によって肉体が急成長し、九歳の四方山心奈は、成人女性の姿を手に入れてしまった。
怖かったのだろう。
自分の変化が。
そして何より、変わってしまった自分に対する、周囲の反応が。
「心奈……なの?」
俺らが見詰める中で、四方山奏が四方山心奈に話しかける。
躊躇いがちに。
おっかなびっくり。
「う……うん……」
消え入りそうな声で、四方山心奈は答えた。不安と恐怖と――そして期待の入り混じった、複雑な声音だった。
その泣き出してしまいそうな妹の声に、姉は当然の如く応える。
四方山奏は一歩踏み出した。四方山心奈に近付くように――姉のような姿をした妹に近付くように。そして抱きしめた。愛情いっぱいの両腕で、ひしと抱きしめた。
体型的に、四方山奏が抱きしめられているような構図になっていたけれど。
四方山奏は宣う。
「ごめんね。独りにしてごめん。これからは、ずっとお姉ちゃんが一緒だから……大丈夫だから……」
所詮、非力な人間並みに腕力であろうに、しかし俺は、その抱擁は、どんな悪魔にだって引き剝がせない、強く堅い抱擁だと、そう思えてならなかった――なんて、ちょっとクサすぎるだろうか。
「家族の絆ほど、堅う、美しいものはあらへんなぁ」
彩華さんのその独り言に、俺と桜庭は、無言の首肯でもって返事をした。
◆
「――音穏くんは、奏ちゃんと心奈ちゃんのあの後について知ってる?」
後日。
例の空き教室で読書していると、またも勝手にやって来た桜庭がそんなことを訊いてきた。
「いや、聞いてないな」
奏とも心奈とも連絡先を交換してないから、知りようがない。
「心奈ちゃんは、さすがに家に帰ることはできないから『紗琳堂』で彩華さんが雇ってくれるって。ほら、心奈ちゃんのお給仕の格好。かわいいでしょ?」
桜庭が掲げるスマホの画面を見ると、そこには和服を纏った心奈の写真が表示されていた。
かわいいというか、まあ、さすがに美人だ――顔の造形も、最良の状態に再生しているのだろうか?
「奏ちゃんも心奈ちゃんも、音穏くんにとっても感謝してたよ。私も、いっぱいありがとうって言われちゃった!」
「そりゃ、よかったな」
「うん、よかった!」
桜庭が満面の笑みを浮かべる。
その顔が見れただけ、俺も頑張ってよかった……と、思うことにしよう。
「なんにしても、記念すべきエクソシストとしての第一回目のお仕事は、無事大成功だったね!」
「そうか?」
それには首を捻らざるを得ない。
「今回は悪魔を倒さなかったから魔石も手に入ってないし、奏から貰った十万も、ほとんど心奈の解析費に消えたろ。黒字になってない仕事は、仕事として失敗じゃないか?」
「仕事はお金じゃなくてやり甲斐だよ! ――ん?」
「ん?」
「今、奏ちゃんのこと『奏』って呼んだ?」
「心奈ちゃんのことも、『心奈』って呼んだな」
「……私は?」
「……桜庭は?」
「………」
「………」
しばし無言で見つめ合う俺たち。
十秒ほど膠着したのち、桜庭は目端を吊り上げてがなった。
「ぬぁんで前から知り合いだった私のことは苗字呼びで、ぽっと出の奏ちゃんは下の名前を呼び捨てなのかなぁ⁉」
「ぽっと出って……」
なぜそんな攻撃的な表現を?
「奏も心奈も『四方山』だから、苗字で呼んだら区別がつかんだろ?」
「四方山姉、四方山妹って呼べばいいじゃん! そういうキャラじゃん!」
「どんなキャラだよ。めんどくさすぎるわ」
「じゃあ、もう奏ちゃんのことはいいから、私のことも名前で呼んでよ!」
「………」
「……なんで急に黙るの?」
「……ごめん。桜庭の名前ってなんだっけ?」
「よっしゃ音穏くん、ヘッドホン着けろ! 勝負だこの野郎‼‼‼」
桜庭が安全ピンを構える。
割と本気の殺意を感じて、俺はえっちらおっちら逃げだした。
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二ノ宮音穏の祓魔帳 銀楠 @sirogusu
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