羅刹の憂鬱

大狼 芥磨

中有

 此岸しがんより離れること、人が死んでから生まれ変わるまでの期間のことを人は中有ちゅううと呼ぶ。


 人はみな中有の期間、冥府を旅することになるのだ。


 極楽浄土ごくらくじょうどからも冥府、つまり地獄の辺りを見渡すことができた。とはいえ、一見いっけんして見渡せるのは最も浅いところにある等活地獄とうかつじごくと亡者を裁く官庁、冥府を分かつ葬頭河そうずか(三途の川とも言う)ぐらいのものであり、細々こまごまとしたものはぼんやりとして見とることはかなわない。


 しかし、極楽浄土の中央にある大きな蓮池はすいけの水を通してみやればその下に広がる地獄の様子を仔細しさいまで見とることができた。


 中有の世界は主に九つに分岐しており、その中に八つの地獄が存在している。


 そして、一番浅いところに先ほども申したように亡者を裁く官庁の大厦たいかが存在している。官庁といっても豪壮なその建造物は宮殿といって差し支えない。朱色に染められた壁と黄金の屋根その周りには地獄の火焔が烈々れつれつと立ち上っている。


 亡者はみなその光景を見て痛哭つうこくする。しかし、そんな中で火焔を気にも留めず一つの鬼が燃え上がる火の粉を払いながら黒土を踏み締めて歩いていた。


 その鬼は朽葉色くちばいろ直垂ひたたれはかま、背には臙脂色えんじいろの文様があしらわれている。蒼白な額の上には漆色の短い角が二本生えており、胸元では朱色の胸紐むなひもが揺れていた。


 その周りを一つの虫が宙を漂っている。虫とはいっても此岸の虫とははなは様相ようそうが異なる。顔はつるばみ色の鳥の形であり、しぎのように長いくちばしをもっている。胴は蜂か虻のようで腹の辺りには赤い模様がありはねを広げた大きさは人のてのひら五枚分よりも大きい。この虫、地獄の中でも深いところ、大焦熱地獄だいしょうねつじごくに住みついておる地盆虫じぼんちゅうであった。常ならば地獄の底で亡者の肉をついばんでいるはずである。


「何事かわからぬが。詰まらぬことならばその首叩き落としてくれる」


 その虫に向かって鬼は吐き捨てるように言う。しかし、当の虫はカンカンと鳴き声を上げるばかりで一向に返事をしない。


 鬼は腰に帯びた赤銅せきどうべんに手をかけると虫は大慌てで口を開いた。


「違いない! 違いない! 閻魔王えんまおうの命!」


 嘴の奥から器用に言葉を発する。


 甲高い声で虫が叫ぶと鬼は銅鞭どうべんから手を離した。


 しかし、なおも鬼は憤然とし、黙したまま宮殿の門まで足を運ぶのであった。


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羅刹の憂鬱 大狼 芥磨 @keima_ogami

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