第4話 月明かりの木乃伊

 屋上へ出る扉は、エレベーターのすぐ側にある。

 普段施錠してあるはずのそこは、手で押すとあっさり開いた。


 月明かりの中。


 だだっ広い、簡素な景色の病院の屋上の隅っこで、車椅子に乗った木乃伊ミイラ男が、夜空を見上げていた。


 それは一見、異様シュールでありながらも、10月という季節がらか、妙にマッチしている。


 彼が纏うのは、まるで幽界かくりょと現世の狭間のような、生と死とが混ざった奇妙な月の光の膜。


 一瞬、彼の身体がふわりと浮いた…


 気がした。



「は、早まるなあああっ!!」


 瞬間、私は一直線に彼に向かって駆け出した。

無我夢中で、彼を車椅子に引き戻すと、首をぎゅうぎゅう抱き締めて、身体が飛んでゆくのを止める。

「う、うごっ……」


「ヤマダ、早まっちゃダメ!

 あのね、例えばアンタがここで死んで、異世界で超絶ハイスペックに生まれ変わったとしても!

 それでもやっぱり、人の悩みは尽きないものよ。

 イケメン御曹司は常に闇を抱えてるし、美人秘書は男性恐怖症などのトラウマに苦しむの。

 だから、例えヤマダがチビデブメガネの童貞でも、生きていれば必ずいいことある!

 だから、ね?」


「ぐ、ぐげげっ……。


こっ……、こらーーーーーーーーっ」



 彼の首に巻きついていた私は、抵抗の力で弾かれた。


「人を勝手に殺すなっ!

 逆にキサマの首絞めで死にかけたわっ。転生先の世界見えたわっ」


「あ、違った?」


「違う!人を勝手に自殺志願者にすな!

 あと、言っとくけどハイスペックに生まれてきた奴なんかに悩みなんてねえからな。

 奴らは皆、豊かな家庭で愛情深く育てられ、いじめにあうこともなく、至極真っ当な道を歩むんだ」


「……くっ、こだわる……まあいいわ。

 じゃあアンタ、ここで一体何してたっていうのよ。

 消灯後に勝手に動き回られちゃ困るんですけど」


「ああ、悪かったな。

眠れなくて、カーテン開けたら月が見えて……

 ずっとみていたら、何か思い出せそうな気がしたんだ」


 そう言って、再び空を見上げるヤマダ。

 包帯の奥の瞳に、きらりと何かが光った気がした。


つられて私も夜空を見上げると、屋上ここから見る空は、どこまでも拡がっている。

 三日月の周りには、散りばめたように星が瞬いている。


 やっぱり師長の言うとおり、彼も記憶を取り戻そうと苦しんでいるのだろうか。


「なあ、でも俺さ、アンタと色々話していたお陰で…ちょっと思い出したかもしんない」


「え、ホントに?!」


「ああ。

 俺さ、多分だけど。

 ……謎の組織に記憶を無くす薬を注射され、道路の真ん中に置き去りにされたんだと思う。

 俺はホントは世界的に有名な探偵作家の一族で、俺自身も様々な重大事件を」


「あー……、その記憶は違うヤツだわ。多分」


「む、そうか」


 ヤマダのトーンの落ちた声が、酷く寂しそうに聞こえた。




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新米ナースと毒舌患者 佳乃こはる @watazakiaya

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