第十六章 灰の降る夜 2
翌朝。
私は目を覚ました。
「……ん?」
あたりを見回すと、そこはいつも通りの自分の部屋で、私は自分の布団に横たわっていた。
「……えっ?」
どういうこと?
私、消えなかったの?
ハッとして、布団をはぎ取り、起き上がって自分の体を確認する。
豊満な胸、くびれた胴、すらりとした手足。
「私の体だ……」
思月の、人間の体だ。
髪の毛を一つかみとって、くんくん、と匂いを嗅いでみる。
なんか煙臭いなー。
そしてふと気づく。
あれ、なんか体の調子がめっちゃいい。
肩を回したり、腕を上にあげたり、しまいにはその場に立ち上がってぴょんぴょん飛び跳ねたりして見る。
どういうことだ? すこぶる体調がいい。
こんなにも体調が良かったことは、人間になってから初めてのことだ。
とその時、部屋の戸が開いた。
「あっ、思月! 目を覚ましたのね!」
そこには春蘭の姿があった。どうやら私のために、朝餉を運んできてくれたようだ。
「なあ、春蘭、私って死ななかったの?」
「うん、そうだよ。儀式が終わっても、思月の体にはなんの変化もなかった。ただ思月はぐーすか寝ちゃっただけだった。だから思月は妖怪じゃなかったんだね、きっと妖怪が憑りついていただけだったんだねって話になって、そこから他の女官たちにも協力してもらって、思月を布団まで運んだんだよ」
「えええ?」
「まあ、とりあえずこれ食べて。お腹減ってるでしょ?」
春蘭に差し出された朝餉を見て、思わずぐうう、とお腹が鳴ってしまった。
鶏肉とクコの実の粥に、ゆで卵や薬味が添えてある。
「とりあえず食べるわ」
「うん、そうしなー」
春蘭は嬉しそうに笑った。
はふはふはふ! はむはむはむはむ! ごっくん!
粥を掻っ込む私の隣で、春蘭は昨日の話をしてくれた。
「あの後姉さんに聞いたんだけどね、あの儀式は、思月が今までにかけた魅了の術を全て解くための儀式だったんだって。姉さんが言うには、思月はずーっと魅了をかけっぱなしだったし、どんどん魅了する人を増やしちゃったから、妖力が魅了の術に吸われすぎて、具合が悪くなっちゃってたらしいよ」
「えー! そうだったのか。そういえば人を魅了するたび、どんどん体がだるくなってたんだよな」
「あの儀式のあとね、思月が魅了した人たち全員の魅了が解けたみたいよ。朱茘様も孔内侍も、白花妃様も、それと捉えられた玲玉も、みんな思月のことを話しても、どうとも思わなくなってたの」
「へえ、それは良かっ……。え、でも、そしたら私がここから追い出されることになったりしない? 特に朱茘様と孔内侍のこと、私は騙して利用しちゃったんだし」
「それが、お二人とも思月のことを悪く思ってないみたいなの。私はこっそり二人に話を聞いてみたけど、朱茘様は、思月は変わらずに尚食局で働けばいいと言うし、孔内侍も思月に発行した身分証を取り消すつもりもないし、特に咎める気もないって」
「……どうして??」
思わず首をひねる。
すると春蘭がいかにもおかしそうに笑った。
「どうしてって、それは魅了がなくてもお二人とも、思月のことが好きだったからよ」
「えええ? 二人とも私に普通に恋してたってこと?」
「いや、恋じゃないと思うけど……。魅了がなくても、人間として、思月のことを気に入って、認めてくれてたってこと」
「そうだったの?」
まさか、魅了の術が解けても自分のしたことを許してもらえるとは思ってもみなかった。
「姉さんはね、思月の全ての術を解除することで、思月が猫に戻ってしまうかもしれないって思っていたみたい。だけど思月は猫には戻らなかった。それは多分、思月の魂がもう人間の形になっちゃったからじゃないかって、姉さんは言ってた」
「へえー。魂の形ねえ」
なんとなく、わからなくもない。
もう人間として暮らすのに慣れちゃって、今さら猫に戻れって言われても無理だもんな。
生活だけじゃなくて、ものの考え方とか、心の動きとか、そういうものが全部、人間みたいになりすぎてしまったんだと思う。
「そ・れ・よ・り」
そう言うと、すっと春蘭から笑顔が消えた。
思わず私は身構える。
「思月、もう私に黙って勝手に危ないことするのはやめてね。約束」
「うん……」
その瞳には怒りも滲んでいるようだった。
「ごめん、でも今回のことはどうしても、あの……」
「あとで、詳しい話をじっくり聞かせてもらうから。……とにかく、思月が無事でよかった」
「ありがと……」
すると春蘭は、その細い指でぎゅっと私の手を握った。
「私を置いて、消えないで」
「うん。もう、しないよ」
すると春蘭は、ほんの少し、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、私はもう厨房に戻らないとだから行くね。思月はね、今日一日はお休みでいいけど、明日からは仕事だってさ。色々あって疲れただろうけど、とりあえず今日はボーッと過ごして、明日からまた頑張ろうね」
「う、うん」
じゃあ急ぐから、と言って、春蘭は部屋を出ていった。
「まさか、人間に戻れる上に、体の具合まで良くなっちゃうなんて」
満腹になったせいか、また眠たくなってきた。私はごろりと布団に横になる。
部屋の外からは、ピチチピチチと小鳥の鳴き声が聞こえる。
「明日からまた、仕事かあ」
人間の生活はめんどいなあ、と思いながら天井を見上げる。
でも今日からは、昨日までの自分とは少し違うような気がしていた。
もう私は、魅了を使わなくても人間としてやっていける。
私はこれから、人間として生きていく。
どこか晴れ晴れとした気持ちだ。
まずは今夜、春蘭にちゃんと説明をしなくちゃだな。
春蘭に嫌な思いをしてほしくなかったから相談もせず勝手に行動しちゃったなんて言ったら、やっぱり春蘭は怒るんだろうな。
だけど、春蘭のことが好きだからそうしたんだって、一生懸命伝えてみよう。
そしたら春蘭は、一体どんな顔をするだろう。
その姿を想像したら胸がくすぐったくなってきて、私は布団をぎゅっと抱きしめながら笑い転げた。体の中におさまりきらない幸せが、溢れ出てくるようだった。
化け猫と女官は恋をした ~後宮に咲く百合の花~ 猫田パナ @nekotapana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます