第十六章 灰の降る夜

第十六章 灰の降る夜 1

「……ん」


 煙臭くて、あったかい。

 ゆっくりと瞼を上げてみる。

 ここは外みたいだ。私は土の上に寝ころんでいる。


 いつの間に夜になったのか、藍色の空に無数の星が輝いているのが見えた。

 そして私の周囲から、もくもくと白い煙が立ち上っていることにも、すぐに気づいた。


「この……煙は?」


 頭を横に向けて、あたりを見渡す。

 私の体の周りをぐるりと取り囲むように薪がくべられ、そこから炎が燃え盛り、もくもくと煙が上がっている。そしてその焚火の近くに女官が寄って来ては、ドタン、カタン、と追加の薪を投げていく。


 ……薪が燃えて、あたたかくていい匂いだなあ。


 じゃない気がする。

 たぶん今、私はヤバい状況になっちゃってる気がする。

 えーっと。

 断片的に記憶がよみがえる。


 浄化の儀式。

 もし妖怪なら消える。

 明安にしかできない。


 私、これから消されるん?

 帝とか妃を救ったのに、酷いやん。

 んーでも私って妖怪なのかな。化け猫……。妖怪かもな。

 じゃあ消えちゃうんかな。

 それか、元の猫の姿に戻るとか。


 ……どちらにしろ、人間ではいられなくなる可能性が高そうだ。


 ということは、春蘭とのこれまでのような日々は、もう終わりを告げる、ということだ。


 それならもう、死んだも同然だよ……。

 どうしてこうもツキがないのかなあ、とがっかりする。

 私はただ、春蘭と一緒にいたいだけだったのに……。

 と思いかけて、笑った。


 さっき玲玉妃が私に言ってたのと、まんま同じ言葉だ。

 私は何人もの人を魅了して、こういう気持ちにさせてきた。

 その報いをこれから受けるということか……。


 しばらくすると、秋菊が姿を現した。白い襦裙に身を包み、翡翠の首飾りを付けている。儀式のための格好なのだろう。


「思月、目を覚ましたのね」


 私に近づき、悲しそうな顔で秋菊がそう言った。


「どうなるか、わからねえけど、思いきり、やれよ……。くれぐれも、他人に、怪しまれるような。行動はとるな……」


「こんな時まで人のことを考えているの」


 秋菊が泣き出しそうな顔になったから、私は声を振り絞って言った。


「おめーのためじゃねえ。春蘭のため、だ。春蘭のため、は、私のため」


 すると秋菊はうなずいた。


「私はあなたのために、儀式を全身全霊で執り行うわ」


 その表情には固い決意が感じられた。



 もうすっかり、体が動かせなくなってきた。

 薪がパチパチと音をたてている他は、静まり返っている。

 瞼を上げると、周囲にくべられた薪から白い灰が舞い上がって、それが私の体にひらひらと落ちてくるのが見えた。


 あの日に少し似ている。

 いや、でもあの日とは違う。

 ここは温かいから。

 

 しばらくすると、声が聞こえてきた。

 これは秋菊の声だ。

 美しい旋律の歌声……のようにも感じたが、それはどうやら呪文のようだった。


「空の星々よ、地の精霊よ、古来より紡がれし契約の力によって、迷える魂の呪縛を解き、真の姿へと還したまえ。我が声に応え、呪いに終焉を与えたまえ……」


 不思議と、その声を聞いていると心が落ち着いて、眠たくなった。

 ああ、やっと終わるのか。

 体からスッと何かが抜けていき、楽になっていくように感じる。


 私はもうすぐ、消えてなくなるのだろうか。


 すると遠くから、叫び声が聞こえた。


「しげつ――――っ! しげつ―――――っ!」


 土を蹴り、息をきらしながら、声の主が近づいてくる。


 ……バカ、こっちに来るなよ。

 しかし私の願いは届かず、春蘭は土の上に寝ころぶ私めがけてまっすぐに駆けよってきた。


「あなた、やめなさい!」


「危ないわよ!」


 制止しようとする女官たちの声がするが、それを振り切り、春蘭はこちらに走ってくる。そして私の周りにくべられた、もくもくと煙を上げる薪の上も飛び越えて、ついに私の元にたどり着き、私を抱きかかえた。


「思月! しっかりして、思月!」


 案の定、ボロボロ涙を流している。その涙をぬぐってやりたかったけれど、私にはもう腕を持ち上げる力さえも残っていない。


「嫌だ! 死なないで! 私を置いていかないでよ!」


 春蘭は大声でそう叫んでいる。

 どうにか、安心してもらわなくちゃ。

 私は唇を開き、声を振り絞る。


「あの、雪の日。覚えてる?」


「覚えてるよ!」


 春蘭は怒ったように泣き叫ぶ。顔は歪んでるし、鼻水も出ちゃってるし、酷い顔だ。

 本当はもっとかわいいのに。


「あの日、私と、春蘭の命は、一つになったんだ」


「……うん」


「だから、なにがおきても、寂しく思わないで」


「思うよ!!」


 そう叫ぶと、春蘭はうーっ、うううーっ、と嗚咽を漏らしながら大泣きをし始めてしまった。


 だめだったかー。

 うまく言いくるめられなかった。

 そりゃそうだよな。

 春蘭、私のことめちゃ大好きだし。

 その私が死ぬかもって時に、あー命は一つなのかそうなのかーだったら寂しくないわーとか、思えんわ普通。


 でも、私にはもう、なにもできないし。

 せめて最後に、春蘭の笑顔が見たい。


「春蘭、笑って」


「無理だよ」


「笑ってる春蘭が、好きだから」


「そんなこと、言ったって」


 春蘭が、かすかに頬を赤らめる。

 それを見て、私は思わず、ふふっと笑ってしまった。


「こんなときに、笑ってる」


 こんなときって言われたって、急にこんなとき用の私になんか、なれない。

 でももう、時間がない。


「抱きしめて」


 そうお願いしたら、春蘭はようやく笑ってくれた。


「いいよ」


 それから春蘭は、私をぎゅっと抱きしめてくれた。


 春蘭、いい香りがする。

 私と春蘭に、灰が振り落ちてくる。


 あったかい。

 これならいい夢が、見られそうだ。

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