第11話 怨みの輪廻
あの言葉が今も頭から離れない。伊豆から帰ってきてもう時期一週間を迎える。あの後、何事もなかったかのように狩野さんは3人と笑いながら世間話をして、あの出来事などどうでも良いと知らしめるような清々しい態度であった。私は寿司など食べる気力もなく、彼らから離れた場所でその光景を見つめていた。彼から言われた罵声を、今頃になってみんなに話す勇気などなかった。
まだ夏休みの真っ只中で、みんなからは数日に一度連絡が来るくらい。明美の久は、相変わらずホラー映画を漁っているようだ。達也からも連絡が来て、午後から会えないかというメールが届いた。本当は会う気にもなれなかったがどうしてもと言うので、行きつけのカフェに誘った。
カールさせた髪をいじくりながら店内に入るとすぐ目の前のテーブルに達也が座っており、私を見つけて手招きしていた。だが、その表情はどこか暗く、私が席に座るとしんみりした空気が漂った。
幸いそんなに知られていないだけあって客足が少なく、周りに聞かれる心配もなかったが、念のためにカウンターから離れた窓側の席に移った。私たちが座っている前の座席に彼女は背を向けて座っていた。
あの日から、彼女はずっと私にべったりであった。日に日に腐ってふやけていた顔や腕が白くて艶のある肌に戻り、透けてもいなかったため生きてる人間と変わらないような姿になっていた。チラチラと気になって振り向いてくる。そのビー玉のようなつぶらな瞳と整っているがあどけなさが残る顔が、今までの苦痛を和らげ、そのうすらとした微笑みは私を励ましているようにも見えた。
達也はアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、しばらく何も話さないでいた。何か迷っているようにも見えた。
「話って? どうしたの?」
「実は……狩野さんが亡くなったんだ。俺たちが帰った3日後に。この新聞記事見て」
彼がそう言って出してきたのは、狩野さんが亡くなったと思われる翌日に発刊された新聞記事だった。記事になるということは、それほど何か大きなトラブルがあったに違いない。
「伊豆半島の民家で集団不審死。いずれも自宅で水死体で発見、原因分からず。死者は総計7人か。集団不審死? なんでこんなことが……。だって、紗那さんは……」
頭が混乱していた。だが、思い当たる節があった。あの仏壇だ。不自然に金具が打ち付けられ、そこに鎖と南京錠がかけられていた。何かが表に出ないように閉じ込めているようにも見えた。狩野さんも、当初何か嬉しそうにしていたのにも関わらず、私がその仏壇を見つけると急に態度を変え、私を『穢れた血』と呼んでいた。
「紗那さんが籠女を生み出した原因じゃないかもしれないんだ。俺たちは勘違いしてたんだ。この怪異には、また別の大本がいる。まだ終わってない……。むしろ、酷くなってきてる。この3日のうちに、7人も集団で亡くなるなんてあり得ないだろ、普通」
彼は焦っているようにも見えた。あの怪異に触れた以上、こちらにも同じことが起きないという根拠はないのだ。私たちは何かに狙われてしまっているのか。その怪異の根源とやらに。
「ねぇ……達也……。私、黙ってたことがあるの」
「え……何を」
「狩野さんの家にもう一つ和室があって、そこに仏壇があったんだけど、なんか変なものがいたの、あの中に……。でも、みんなを心配させたくなくて、黙ってた。それで……」
私は狩野さんに言われたことや、彼女のことを全て話した。彼は驚きと動揺を隠せず、顎を右手でなぞった後に深いため息をついた。彼を不快にさせてしまったかもしれない。私は怒られるのを覚悟で、白いビニールに包まれた濡れナプキンを真っ直ぐと見て、彼と目を合わせようとしなかった。
「ごめんな……ほんと、ごめん」
達也の口から出てきたのは予想外の言葉であった。彼に嘘をついていたにも関わらず、私を責めるような態度は一切とらなかった。むしろ、隠すのは無理もないと言って私を慰めてくれたのだ。
「苦しかっただろ、この一週間……。穢れた血って……狩野さんがそんな酷いことを言う人だとは思わなかった。あの洞窟で君に言った言葉は全て嘘だったんだな……。でも、その女の人の霊は君のことを気にかけてくれたんだね」
「うん……。それで彼女、あなたの後ろに座ってるの。たまにこっち見て笑ってくれるんだ」
「わっ……」
私がそう言うと、彼は後ろを振り向いて初めて彼女の姿を認知したのか、一瞬体が仰け反った。彼女が軽くお辞儀をすると、黙って会釈を仕返した。
「き……綺麗な人だな……」
「でも、あまり言葉が話せないみたいでさ。どうやってコミュニケーション取ろうか迷ってるんだ。でも、ほんの少しだけ話したことがあって。子供を探してるみたいなの。「ひな」っていうね。探して欲しいって……。でも、籠女の大本が解決できない限り、彼女に協力することは難しいかもしれない。あの2人も安全じゃないっていうことだしね……」
「ああ、そうだな……。気の毒だが、少し待ってもらうしかないな。いつ亡くなったかも分からないんじゃ、その子が幾つだかも分からないってことだよな。まずこの人の名前と、その子がどこに住んでるのかも調べないと……」
「そうだね」
その会話を聞いていたのか、彼女はシュンと縮こまって俯いてしまった。
「大丈夫だよ、見捨てたりしないから。必ず探してあげるから」
私は顔を斜めに傾け彼女に声をかけた。彼女は顔を上げて私の顔を見て微笑んだ。だが、眉尻が下がり、その顔には微かに悲観が紛れ込んでいた。
「まってる……」
彼女はその一言だけを残して空間に溶けるようにしていなくなった。それからもう私の視界に出てくることはなくなってしまった。複雑な気持ちだった。正真正銘の霊なのに、なぜか彼女の存在が私の背中を押していたことに気がついた。彼女がよりによって何故私の目の前に現れたのか、その理由を本人は答えてくれなかった。その真相は、「ひな」に合わせた時に全て明らかになるのだろう。
だが、命に関わり得る重大な問題を目の前にした今、彼女の願望を叶えてあげることは当面お預けになってしまった。姿が消えるまで、半分諦めたような悲しげな表情をしていた。それが心残りであった。
「どうする、もう一回伊豆に行くのか?」
「そうするしかない。でも、2人には言わないでおこう」
話が片付くとカフェの玄関で私たちは別れ、大通りの交差点へ出た。向こう側には、信号待ちしている人が大勢横に列をつくり並んでいた。その中に1人だけ、現代には似つかない着物を着ており、半透明で長い白髪を結った老婆が立っているのに気が付いた。
「おばあちゃん?」
私は目を疑った。そこには亡くなった祖母の姿があった。祖母は無表情で私を見つめていたが、よく見ると彼女の背後に茶褐色のぶよぶよとした何かが蠢いていた。
「あ……」
その何かはタコのようにぬるぬるとした触手のようなものを四方八方から出し祖母を包み込むと、体を引っ張り込んで地面に沈んでいった。信号が青に変わり、人々は何食わぬ顔で横断歩道を渡っていくが、私はその光景を見た衝撃と恐怖で足がすくんでしまい、動けず立ち尽くしたままであった。
それは人の原型を留めていなかったが、触手の先が人の手の形に似ていたため「人であった何か」であることは明確であった。それを見た直後に気持ち悪さと頭痛を感じ、よたよたと自宅に帰った。
「あら、おかえり……」
「うん……お母さん……あのね……。ううん、何でもないや」
玄関を開けると母の声が聞こえ、ふと顔を見上げた。その時、得体の知れない違和感を感じた。母の目から全く生気を感じなかったのだ。何か別のものがその目の奥に宿って母を操っているような、そんな奇妙な感覚があった。祖母と会ったことを話そうとしたが、その目を見て気が失せてしまい、一旦2階に上がって自室に戻ったが、母が気になってしまい再びリビングに降りた。
「え……」
テレビの前に太々しく横たわるソファーの上で、母が普段はやらない縫い物をしていた。母は昔から不器用で、手の込んだ縫い物や裁縫は好まなかった。だが、母の膝の上にはまだ途中の赤いマフラーかブランケットのようなものが広げられており、持っていないはずの毛糸玉が数個床に転がっていた。一番異様に感じたのは、それを縫いながらあの「かごめ唄」を鼻で歌っていたのだ。
私の気配に気がついたのか母はゆっくりと後ろを振り返り、私の顔を見てニヤッと笑った。だが、別のものとなった彼女の目は笑みと共に歪んで細くなったりはせず、アーモンド型を保ったまま黒目だけ私の方を凝視していた。
「夕飯……何がいい?」
その目からどうしようもない恐怖感を覚え、スマホ以外何も持たずに、感情の赴くままに家を飛び出してしまった。行く宛と言ったら当然、達也の家しか思い浮かばなかった。私は10m以上離れた小さな公園まで走り、スチールのベンチに座り込み、泣きながら震える手で達也の電話番号を探した。
数秒して達也が電話に出てきた。
『何だよ、何かあったのか?』
「おかしいの……とにかく、なんか変なの! 家にいたくない! 迎えに来て……」
『分かった、そこで待ってろ。必ず迎えに行くから』
気がつけば、黄昏時の6時丁度。空の向こうは既に薄紫色に染まり始めていた。達也が電話を切り、私はただ彼の迎えを待つことしかできなかった。
祖母の後ろにいた何か、そして仏壇の中にいた異質なもの。私でも正体の掴めない何かが私たちを嘲り、単純なものとして終わらせない、怨念の輪廻が渦巻く『籠女』の真の恐ろしさを身をもって突きつけられている気がした。
《完結》
籠女〜かごめ〜 風丘春稀 @kazaokaharuki
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