第10話 隠されたもの
「沙耶さん、ちゃんと成仏できたかな」
「あの感じなら心配ないんじゃないか? もう寒気もしなくなったし」
「うん……。おばあちゃんも、これで少しは楽になったかな」
私たちは疲れきった顔をしながら、達也が運転する乗用車で狩野さんの自宅へ向かっていた。
「なぁ……。これってもしかして、俺たち全員幽霊見たってことになるんじゃねぇのか?」
「あぁ、確かにそうだね!私、初めて幽霊見た!」
あんな悲惨な体験をしたにも関わらず、2人は妙に上機嫌だった。昔からどこか変わっている。
「結局、籠女は亡くなった人の色んな思念が混ざり合ってできた怪異だったってことね」
「あのオヤジ、知ってるなら早く教えてくれりゃあよかったのに」
「狩野さん、最初から気が付いてたんじゃないのか?恵に水子が取り憑いてた時から。ずっとタイミングを伺ってたんだよ」
達也たちは、私が普通の人間じゃないことを知ってどう思っているのだろうか。それが唯一の気がかりであった。
「みんな、私のこと怖いと思ってる?」
「思ってないよ。何があっても、俺たちは恵の友達だ」
「私も。ずっと恵ちゃんにはお世話になってきてるし、怪物だなんて一度も思ったことないよ」
「そもそも、何でそんな強い力を持ってるのか解明できて、よかったじゃねぇか。お前は今と同じように普通に生きてりゃいいんだ。普通に生きるために、あのオヤジも体張って怪異を止めようとしてくれたんだからよ」
全て終わったと思いたかった。だが、なぜかまだ心の奥底にもやっとした感覚が残っていた。これから自分の力がどうなっていくのか。日に日に霊障が強くなっていっている気がしたのだ。あのリアルな幻覚を見るのはもう懲り懲りだ。
「ちょっとお水飲みたいな」
「あぁ、いいよ」
明美がカップに水を注ぐ。車は赤信号で止まっていた。静寂の中に、外から聞こえるエンジンの音が微かに響いていた。
「はい!」
「ありがと……あれ?」
私が明美からカップを受け取ると、何か違和感を感じた。掌が徐々に暖かくなり、カップに入った水が波を作り始めた。
「何よ……これ……」
「恵?どうした?」
達也がカップに目を留めると、水の量が一気に増して溢れ出てきた。
「ひゃっ!!」
私は恐怖でカップを落としてしまった。
「恵ちゃん、大丈夫? 何だったの……さっきの」
「分からない……。水もらったら急に手が熱くなって……」
「もしかして、新しい能力じゃ……」
信号が青に変わり、何か言いかけた達也は運転に集中した。何か私に異変が起きている。
思考する隙もなく、荷物が置かれた3列目の後部座席に誰かが座っているのを見てしまった。女性だった。髪は肩くらいまである黒髪で、びっしょりと濡れていた。日本人離れした彫りの深い女性であった。フードがついた青いセーターの下から薄汚れた白いワンピースが見えた。胸元は赤黒いシミができている。まさしく幽霊そのものであった。肌は血の気がなく、所々ふやけて変形していた。顔は傷だらけで、黒目の部分は真っ白になっていた。彼女は車につけられたバックミラー越しに私を見つめていた。
狩野さんの家に着くまで見たことを黙っていた。やっとひと段落ついたところなのにみんなを混乱させなくなかった。到着するまで、彼女はずっとその席に座っていた。知らないうちに、どこかから連れてきてしまったのだろうか。
30分かけて、車はようやく狩野さんの家に止まった。車を降り不意に後ろを向いたら、その女性も車から出てきていた。
「ちょっと先行っててよ」
「おう……あんま思い詰めるなよ」
「うん……ありがとう」
3人が建物に入り、目の届かないところにいるのを確認した。彼女もそのタイミングを狙ったのか、私の右手をギュッと握り締めてきた。
「ち、ちょっと……」
『グニュ……』
ふやけて腐りかけた手が擦れて異様な音を出した。
「私に何の用? あなた、話せる?」
「ん……んん……」
見た目は160cmぐらいの細身の女性であった。声質は高いが、子供とはまた違った独特な声で力む様な音を出していた。
「どこか痛いの? 苦しいの?」
「ん……んぐっ……んっ、んふっ」
「分かった……分かったから……。手が痛いの。離してくれないかな? 落ち着いて……。ちょっと用があるの。入っていいから、大人しくしてて……」
私は彼女に腕を抱きつかれたまま部屋に入った。
「なんか急に寒くなったか?」
「まさかぁ……風邪でも引いたんじゃないの?」
達也は早々何かに気づいたのか、寒気を覚えているようだ。それを明美が弄っていた。
「ごめん……おまたせ」
「恵ちゃん、何かあったの?」
「ううん……ちょっと、外の空気吸いたくて」
私は肩と腕の痛みを感じて、ちゃぶ台の傍に座った。彼女が近くにいてからというものの、喉の奥というか、肺に何かが溜まっているような息苦しさを感じてスッキリしなかった。
「俺、タバコ吸いに行ってくるわ」
「俺も吸いたい」
「私、お風呂借りたいんだけど、狩野さんに電話かけてもいい?」
「うん……」
帰り際に狩野さんからもらったメモを見ながらスマホを取り出し、一緒に外へ出た。部屋には誰もいなくなり、私と彼女の2人きりの時間ができた。
「水、飲んじゃってるね……苦しいでしょ?」
彼女の喉元に手をかざした。
「うぅ、グポッ……ケホッケホッ……」
彼女の口から大量の水が出てきた。よほど苦しかったのか、水が取れると息を切らしながら私の肩にもたれかかった。霊体になっても、死んだ時の苦しみはずっと癒えないままだったのだろう。
「水を抜いて欲しかったのね」
「……ん……」
彼女はか弱く返事をした。だが、普通に喋れる相手ではなさそうだった。顔はまだ原型を保っており、その見た目からして西洋人のような顔立ちをしていた。
「私の言葉は分かる?」
彼女は浅く頷いた。
「いつから私たちと一緒にいたの?」
私が質問すると、彼女はもう片方の手をゆっくりと差し出した。私も彼女の拳の下に手を差し出すと、丸められた紙のようなものが落ちてきた。
「これは?」
ゆっくりと紙を広げた。1年前に栃木に行った時にポラロイドカメラで撮った記念写真であった。整理している時に無くしてしまったことに気がつき、明美が相当ショックを受けていた。写っている私たちの背後に、彼女にそっくりな半透明の女性が俯いて立っていた。
「ずっと私たちを追ってきてたの?」
彼女は再びゆっくりと深く頷く。ならば、なぜ今まで一度も姿を表さなかったのだろうか?
「あ……あかちゃ……」
「え……赤ちゃん? あなたにも赤ちゃんがいるの?」
初めて彼女が言葉を発した。ある程度日本語を喋る相手でホッとしたが、それも束の間、何か思い出したかのように啜り泣き始めてしまった。
「ひな……あい……たい」
「ひなって名前なの?ここに住んでるの?」
彼女はその写真を見たまま何も言わなくなってしまった。私に探して欲しいと言っているのだろうか。
「私に、そのひなちゃんを探して欲しいのね?」
再び彼女は深く頷いた。
「狩野さんと連絡がついたー! もうすぐ帰ってくるって! ちょっとお風呂入ってくる。磯臭くて……」
「うん、了解!」
明美が部屋に入ってきたため、何事もなかったかのように振る舞った。続いて達也たちも部屋に入ってきてしまったため、それ以上何も聞くことはできなくなった。彼女は状況を理解したのか、寂しげに私から離れて隣の寝室に背を向けてしゃがんだ。言われた通り、大人しくしているつもりのようだ。
「すまないなぁ……。警察の事情聴取が長くてな。どうも警察は好きになれん。とりあえず、散歩してたら死体を見つけたということにしておいたが、この話は誰にもするな。籠女のことも……。もう解決したことだし、綺麗さっぱり消し去りたい気分なんだよ。変な怪談話でここにくる輩がいなくなるといいがな」
「はい。誰にも言いません。私たち4人の秘密にします。日頃そういう活動をしているので、滅多に表に出すということはしないんです」
時折私は和室の方を気にしていた。どうやら、彼女は狩野さんや達也が見える人物だと知っているのか、キョロキョロと隠れる場所を探していた。彼の視界が届かない箪笥の陰に隠れ、顔半分だけ出して不安そうにこちらを向いていた。姿は若干おどろおどろしいが、どこか愛くるしい面があった。
彼女の顔に見覚えがあった。だが、もう当分昔の出来事でどこで見たのかはっきりしない。実際に会ったことはないものの、彼女の顔の造形が記憶の片隅から引き出されてきた。
「まだ帰るまで時間あるか? 腹減ったろ? もし良かったら寿司でも奢るよ」
狩野さんが初めて和かに笑みを見せた。
「え、いいんですか?」
達也が目を丸くして狩野さんの方を見る。明美と久はお互い顔を見合わせて喜んでいた。
「ああ、せっかく長年の問題を解決してくれたんだ。少しぐらいもてなしさせてくれよ」
「ありがとうございます」
狩野さんはそういうと、出前を取るために固定電話がある台所へと歩いていった。彼女は台所へ立ち去る彼の背中を目で追っていた。そういえば、まだ名前を聞いていない。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
私は適当な理由をつけてちゃぶ台から離れ、みんなにバレないように和室の近くを通り過ぎると同時に彼女を手招きした。唯一見えやすい体質の達也は明美と久と向かい合い、楽しそうに話をしている。彼が反対方向を向いている隙に、彼女は小走りで私の元へ駆け寄ってきた。
トイレの近くにある別の和室に連れ込み、誰も見ていないのを確認してから小声で話しかけた。
「あなた、名前は?」
「うぅ……ん……」
彼女は首を横に振った。体は透けていないため亡くなってからそんなに時間は経っていないはずだが、ひなという子供を思うあまり、自分のことは一切分からなくなってしまったようだ。
「分からないの?」
私がそう聞くと、ゆっくりと首を縦に振った。彼女はどこかひどく怯えていた。人がいないにも関わらず、私の手をぎゅっと握りしめたまま、仕切りに周りをキョロキョロ見回していた。
「何か怖いの?」
彼女は和室の隅にぽつんと置かれた仏壇を指差す。だが、それは硬く閉じられ、南京錠のような鍵が取り付けられていた。
「そこにいて」
私は彼女を後ろで待たせ、その仏壇へ近づいた。扉の隙間から、生ものを腐らせたような異臭が漂っていた。もっと近づいてみると、何か中から得体の知れないものが蠢くような音が聞こえた。
『グジュグジュ……グニュニュ……』
その音と同時に、背後がら強い気配を感じた。籠女の時とは違う、もっと強くて背中を圧迫するような違和感であった。
「何してるんだ?」
後ろから聞こえてきたのは、狩野さんの声であった。恐る恐る振り向くと、目を見開き、今までとは違う狂気に満ちた表情をしていた。
「何を見たんだ?」
「い……いえ……。変な物音が聞こえてきたので、気になって……」
気がついたら彼女の姿はどこにもなかった。だが、押し入れの襖が少しだけ空いていた。彼が来る前にそこに隠れたのだろう。
「誰にも言うな、絶対に。もう、終わらせたいんだ……。そこから離れろ。二度とこの部屋に入るな」
「はい……すみません」
狩野さんは表情を変えず、私の手を引いて廊下へ歩いていった。和室の戸を強く閉めた後、振り払うように手を離した。しばらく呆然と立ち尽くしていた。
「この、穢れた血が」
去り際に小さな声で罵声を浴びさせられた。洞穴にいた時と明らかに態度が違っていた。あまりにも突然で、以前にお坊さんに言われた言葉と相まって、私の胸に鋭く突き刺さり激しい痛みを感じた。私はしゃがみ込み、声を押し殺して泣いた。
その状況を見ていたのか、押し入れの中に隠れていた彼女が私の隣に来て慰めるように私の肩にくっついてきた。霊になっても人の痛みが分かるものなのかと疑問に感じていたが、彼女はまるで私の内情を知っているかのように、ただ静かに寄り添っていた。
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