第5話
「ねぇ、あなたも撮影に協力してくれません?」
暗い駅のベンチの上でも、グイグイ身を乗り出す男の目に狂気の炎が燃えている。
「ここで会ったのも何かの御縁。最高の写真を一緒に取りましょう」
「でも、彼女……つまり、その……切断した亡骸はまだ山の岩場にあるんだろ?」
「いやだなぁ。この僕が、最愛の人を一人にすると思います?」
男はベンチの上、自分のリュックへ目をやり、愛し気に撫でた。
そう言えば、歪な形に膨らんでいる。
ノコギリで切り分けた幾つかの塊りを強引に詰め込んだらしく、リュックの下部には赤い染みが見えた。
今もじわじわ膨らんでいく染み、ベンチの床まで赤黒い液体が染み出し、滴っている。
「ねぇ、三人で一緒に東京へ帰りましょう。帰り道の途中、撮影しても良いなぁ。何ならあなた、被写体になりますか?」
「え?」
「あなたが映える写真、今なら簡単ですよ」
「……えっ?」
「切れば良い! ただ切れば良いだけ!」
上屋の蛍光灯がパチっと音を立て、完全に切れた。
視界はゼロ……男と俺を包み込む漆黒の只中、振り下ろすノコギリが、俺の頬のすぐ横を掠める。
恐怖に駆られ、俺は大声でわめき散らした。
手に触れた固い何か、スマホを握りしめ、空振りの音めがけて突き出す。強い手ごたえがあり、同時に男の悲鳴が聞こえた。
その悲鳴の方へ俺は夢中で飛び掛かり、全体重を掛けてのしかかる。
うわぁああっ!
何度も闇に響く声が、俺のか、奴のか、もうわからない。とにかくスマホの角を下へ向け、尖った部分を声の源へ力任せに叩き付け続けた。
その内、悲鳴が聞こえなくなり……叩きつける感触が、酷くもろい、潰れた果物みたいになり……
ヌルヌルの、グチャグチャだ。
つい手を滑らせ、スマホを落とした俺は、血の泥濘を手探りした挙句、指先に触れたスマホを何とか拾い上げた。
もう一度落とす前にスマホをポケットへ押し込んだ時、ようやく最終電車が駅のホームへ滑り込んでくる。
眩しい。
ホームの蛍光灯が切れている分、明度の差が目を焼く程だ。
俺は血で汚れていない左手で目の前を覆い、咄嗟に鷲掴みしたベンチのリュックを背負って、開く電車のドアへ飛び込む。
固い椅子へ腰を落ち着け、やっと一息。
ああ、なんて明るいンだ、電車の中は。
反面、駅のホームは真っ暗で、ドアが閉じるまで何の動きも無い。殴り倒した男も動かない。
当然だよな。あれだけ殴り続けたんだ。そら、死ぬ。死ぬわ。死ぬに決まってる。
でも、先に刃物を突き付けられたんだから、殺したとしても正当防衛だろ?
おまけにここは無人駅。あのキモい奴以外、俺がここにいた事を知る者さえ一人もいない。
つまり俺が山へ写真を撮りに来た証拠を残らず消してしまえば……
走り出した車内で、俺はスマホ内の今日撮った写真を消去すべくパーカーのポケットをまさぐる。
瞬間、違和感があった。あんまり、ヌルっとしないんだ。あの男の頭へ叩きつけた角の部分さえ大して汚れていない。
まさか!?
掴み出したディスプレイの裏側には、あの憧れのリンゴ印があった。
フォルダを開くと、「火サスごっこ」の画像が大量に現れ、サオリの笑顔が目に飛び込んで来る。
ホームでスマホを落とした時、取り違えて拾っちまったのか!?
そのあやまちに気付いた瞬間、俺は天を仰いだ。
罪の証拠が、まだ駅のホームに転がっている。俺の指紋が付着し、あらゆる個人データを納めた自慢のスマホが、まだあの血溜まりの中に……
どうしよう。
この電車は最終だ。明日まで駅に戻れない。こうなったらもう、奇跡的にアイツが命を取り留めたのを祈るしかない。
ジ~……
電車内の照明が、耳障りな音を立てて点滅を始めた。
うっせぇよ。
不吉なデジャブと共に、ホームの蛍光灯と同じ間隔で不安定な光をばら撒き、明るかった車内が一気に暗くなる。
笑えるよな、あの火サスのテーマだ。一体誰が、あんなキモい男に今更、メールなんか寄こすんだよ?
やけになった勢いでディスプレイを操作、文面を表示したら、ほぼ同時に電車の明かりが完全に消えた。
有機EL画面に浮かび出した文字には発信者の表示が無い。
只、真っ赤なフォントで、
「あたしを撮って」
メッセージはそれだけだ。
そして、今や唯一の光源となったスマホ画面に、引き攣る俺の顔が反射し、背中のリュックと一緒に映り込む。
閉じ切れていないファスナー、その奥で蠢く物がある。誰かが、フォントと同じ深紅の瞳で、中から俺を見つめている。
ジ~……
今度の耳障りな音は、リュックの口が内側から広げられる音だった。
複数の塊りを押し込む歪な膨らみ、赤黒い染みに俺は見覚えがある。どうやら、男と争った直後、ベンチで取り違えたのはスマホだけでは無かったらしい。
けど、これがあいつのリュックだとすると、中に入っているのは?
わかんねぇよ。
もう、何も考えたくねぇ。
でも、もしかしたらさ。
俺は今、生まれて初めて女の子と二人きりで、真夜中の電車に揺られているのかもしれない。
夢が叶ったな。
想像してたのと、ちょっと違うけど。
ふっ、とディスプレイの表示が消えた。
今やお馴染みの視界ゼロ。
あぁ、とうとうスマホのバッテリーまで上がっちまいやがった。
濃い闇。重さすら感じる闇。その果てしない深淵が、又しても俺を呑み込む。
ジ~……
背負ったリュックのファスナーが耳障りな音を立て、大きく口を開けた。
蠢く感触が背中へ伝わり、こそばゆい。
這い出し、這い上がる女の頭が、長い舌を垂らし、俺の耳元へ生臭い息を吹きかけた。
そして、そっと囁く。
この最終電車が何処を走り、何処を目指すにせよ、もう我が家への帰り道に決して繋がらない事を。
暗い駅 最終列車はまだ来ない ちみあくた @timi-akuta
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