第6話

 散歩したい、と奈津さんが言うので、僕たちは外に出た。電車を乗り換えて、まだ降りたことのない駅で下車する。それから、特に目的地もないままに、一本道を歩き続ける。


「ねえ、遠くに行きたい」

「そうしましょう」

「帰れなくなるくらいまで、ずっと遠く」



 気がつくと、河川沿いを歩いていた。緩やかな川のせせらぎが、心地よく耳に響く。


「奈津さんは歩くのが好きなんですか」

「うん。好きだと思う」

「どうして?」

「なにかまともなことをしてる気になれるからかな。家に引きこもってるよりずっと健全じゃない?」

「そうですね」


 歩きながら、奈津さんは足もとの小石を強く蹴飛ばした。ヤケになっているみたいに。


「馬鹿みたいだよね。どうせ、どこにも行けないのにね」


 僕は何も言えなくて、聞こえないふりをした。しばらくして、彼女が再度口を開く。


「白状するとさ、私はちっとも君を好きになれる気がしない」

「ひどいこと言いますね」


 僕は結構本気で傷ついたんだけれど、奈津さんは冗談みたいに首を竦める。


「人生なにもかもどうでもよくなって、大学辞めて、連絡先も削除して、この先一人で惨めに生きていくのかなあ、いっそ死んじゃおうかなあ、とか考えてた時、ふと景くんのことを思った」


 奈津さんが立ち止まって、僕の両手をとる。それから、食い入るように僕の目を覗き込んできた。


「君は昔から私のことを好いていた。そうだよね?」


 心臓が早鐘を打つのを悟られないよう、僕は慎重に頷く。


「私には私を肯定してくれる存在が必要だった。正直君が未だに、私みたいな人間に縋ってくれているなんて予想外だったけど、でもね、ある程度は分かってたんだと思う」

「分かってた?」

「うん。景くん。君が、私を忘れられるはずがないんだって」

「……なんで」


 奈津さんが目を見張る。信じられないものを見るような目で、僕を見つめている。


「言わせないでよ。そんなの、過去は美化されるものだからに決まってるじゃない」

 

 瞬間、彼女の頬に一筋の滴が伝った。

 僕はその涙を、生涯忘れられないんだろうと思った。





 川沿いの道を歩き続けていた僕たちは、やがて居心地のよさそうな高架下を見つける。


「あ、花火」


 奈津さんが呟いて、僕は顔をあげた。

 向こうの空に小さく花火があがるのが見えた。遠い水面に、滲んだ光が映っている。隣町で花火大会をやっているのだろう。


「行ったことあります?」

「ん?」

「花火大会」


 奈津さんは口もとに手を当てて、考え込むような仕草を見せる。


「そういえば、ないかも」

「いつか行けたらいいですね」

「君と?」


 彼女が可笑しそうに笑う。揶揄するような口調だ。それから、蔑むような目で僕を見た。見た、ような気がする。辺りは暗いし、気のせいかもしれないけど。

 僕は何だか悔しくなって、咄嗟に思い浮かんだ、らしくもない提案をする。


「……花火、やりませんか?」



 閉店間際のホームセンターで、手持ち花火のパックとローソク、ライター、プラスチックバケツを購入する。

 そうして、僕たちはまた高架下に戻ってきた。近くの児童公園で水道を借りて、買ったバケツに水を汲んでくる。これで最低限の準備は整った。

 

「今更だけど、ここって花火していいのかな」

「……やめときます?」

「それはないでしょ」


 ローソクにライターで火をつけて、僕たちは思い思いの花火を手にとる。

 先端に火を灯すと、一気に光のシャワーが溢れる。辺りに煙が充満して、火薬の匂いが鼻をつく。

 僕たちは次々に花火を手にとり、紙縒こよりに火をつけていった。赤や青や緑の、色とりどりの火花が夜闇を照らす。遠くで、救急車のサイレンの音がする。


「ねえ、景くん」

「はい」


 僕が顔をあげると、奈津さんは手もとの花火を注視したままだった。呼びかけておいて、少しもこちらを見ようとしない。


「私、年上が好きなの。だから早く大人になってね」


 途端、胸が詰まる。

 火花に照らされた彼女の横顔が、知らない別人みたいに見えた。

 無茶苦茶言うなよ、と思う。でも、僕はそれを言えない。代わりに、祈りのような言葉が口をすべる。


「善処します」


 奈津さんが悲しげに笑った。あの頃僕が好きだった彼女の面影は、もうそこにはない。やりきれないまま、僕は空に視線を投げた。


 隣町の花火大会がフィナーレを飾る。

 僕と彼女の夏も、もうすぐ終わる。

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恋の隔たりは三年 矢見マドカ @madoyami

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