第6話
散歩したい、と奈津さんが言うので、僕たちは外に出た。電車を乗り換えて、まだ降りたことのない駅で下車する。それから、特に目的地もないままに、一本道を歩き続ける。
「ねえ、遠くに行きたい」
「そうしましょう」
「帰れなくなるくらいまで、ずっと遠く」
気がつくと、河川沿いを歩いていた。緩やかな川のせせらぎが、心地よく耳に響く。
「奈津さんは歩くのが好きなんですか」
「うん。好きだと思う」
「どうして?」
「なにかまともなことをしてる気になれるからかな。家に引きこもってるよりずっと健全じゃない?」
「そうですね」
歩きながら、奈津さんは足もとの小石を強く蹴飛ばした。ヤケになっているみたいに。
「馬鹿みたいだよね。どうせ、どこにも行けないのにね」
僕は何も言えなくて、聞こえないふりをした。しばらくして、彼女が再度口を開く。
「白状するとさ、私はちっとも君を好きになれる気がしない」
「ひどいこと言いますね」
僕は結構本気で傷ついたんだけれど、奈津さんは冗談みたいに首を竦める。
「人生なにもかもどうでもよくなって、大学辞めて、連絡先も削除して、この先一人で惨めに生きていくのかなあ、いっそ死んじゃおうかなあ、とか考えてた時、ふと景くんのことを思った」
奈津さんが立ち止まって、僕の両手をとる。それから、食い入るように僕の目を覗き込んできた。
「君は昔から私のことを好いていた。そうだよね?」
心臓が早鐘を打つのを悟られないよう、僕は慎重に頷く。
「私には私を肯定してくれる存在が必要だった。正直君が未だに、私みたいな人間に縋ってくれているなんて予想外だったけど、でもね、ある程度は分かってたんだと思う」
「分かってた?」
「うん。景くん。君が、私を忘れられるはずがないんだって」
「……なんで」
奈津さんが目を見張る。信じられないものを見るような目で、僕を見つめている。
「言わせないでよ。そんなの、過去は美化されるものだからに決まってるじゃない」
瞬間、彼女の頬に一筋の滴が伝った。
僕はその涙を、生涯忘れられないんだろうと思った。
*
川沿いの道を歩き続けていた僕たちは、やがて居心地のよさそうな高架下を見つける。
「あ、花火」
奈津さんが呟いて、僕は顔をあげた。
向こうの空に小さく花火があがるのが見えた。遠い水面に、滲んだ光が映っている。隣町で花火大会をやっているのだろう。
「行ったことあります?」
「ん?」
「花火大会」
奈津さんは口もとに手を当てて、考え込むような仕草を見せる。
「そういえば、ないかも」
「いつか行けたらいいですね」
「君と?」
彼女が可笑しそうに笑う。揶揄するような口調だ。それから、蔑むような目で僕を見た。見た、ような気がする。辺りは暗いし、気のせいかもしれないけど。
僕は何だか悔しくなって、咄嗟に思い浮かんだ、らしくもない提案をする。
「……花火、やりませんか?」
閉店間際のホームセンターで、手持ち花火のパックとローソク、ライター、プラスチックバケツを購入する。
そうして、僕たちはまた高架下に戻ってきた。近くの児童公園で水道を借りて、買ったバケツに水を汲んでくる。これで最低限の準備は整った。
「今更だけど、ここって花火していいのかな」
「……やめときます?」
「それはないでしょ」
ローソクにライターで火をつけて、僕たちは思い思いの花火を手にとる。
先端に火を灯すと、一気に光のシャワーが溢れる。辺りに煙が充満して、火薬の匂いが鼻をつく。
僕たちは次々に花火を手にとり、
「ねえ、景くん」
「はい」
僕が顔をあげると、奈津さんは手もとの花火を注視したままだった。呼びかけておいて、少しもこちらを見ようとしない。
「私、年上が好きなの。だから早く大人になってね」
途端、胸が詰まる。
火花に照らされた彼女の横顔が、知らない別人みたいに見えた。
無茶苦茶言うなよ、と思う。でも、僕はそれを言えない。代わりに、祈りのような言葉が口をすべる。
「善処します」
奈津さんが悲しげに笑った。あの頃僕が好きだった彼女の面影は、もうそこにはない。やりきれないまま、僕は空に視線を投げた。
隣町の花火大会がフィナーレを飾る。
僕と彼女の夏も、もうすぐ終わる。
恋の隔たりは三年 矢見マドカ @madoyami
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