第5話
僕は今、住宅街を彷徨っている。つまり負けを認めたのだ。
奈津さんに、会いに行きたいという
だから僕は、地道に家の表札を一つずつ確認して回るという、途方もない手段に出ている。近所の人からすれば不審者にしか見えなかっただろう。僕は汗だくになりながら、それでも目当ての苗字が記された表札を見つける。一般的な木造の二階建て家屋だ。
覚悟を決めて、インターホンを押す。
ほどなくして、玄関から現れたのは一人のお祖母さんだった。キッと結ばれた口もとが僅かに奈津さんを思わせる。
「すみませんが、どなたでしょう?」
不審そうな目を向けられ、台詞を用意していなかった僕は、慌てて頭を回転させる。
「ええと、奈津さんの知り合いで……」
お祖母さんはため息を吐いた。いやによそよそしい態度だった。
「悪いんだけどね、今あの子は人と会えるような状況じゃないの。また今度にしてもらえる?」
「でも……えっと、その」と僕は口ごもる。ここで引き下がる訳にはいかない。
「恋人なんです」
僕は口から出任せを言った。決して願望がもれたとか、そういうんじゃない。
途端にお祖母さんの顔が和らぐのが分かった。恋人、という単語は効果的だったらしい。
「あら、ごめんなさいね。あの子ったら自分のことをなにも話さないのよ」
「奈津さんは今、どうしてますか?」
「実は、部屋に籠もりきりでね。まともに食事も摂ってないし、ずっと塞ぎ込んでいるみたいで。あの子に会いたいのなら、二階の突き当たりの部屋よ」
そう言って、お祖母さんは僕を家に招き入れてくれた。
「……いいんですか?」
「もちろんよ。ぜひ顔を見せてあげて」
遠慮なく二階に上がらせてもらい、僕は奈津さんの自室の扉をノックする。
返事はない。扉に耳を当ててみる。微かに扇風機の羽音が聞こえた。
「開けますよ」
やはり返事はない。
僕はノブを掴み、そっと扉を押し開けた。
むわっとした空気に息が詰まる。
物が散乱した室内の隅。脱ぎ捨てられた服の山の上で、奈津さんが体を抱え込むようにして丸くなっていた。手には鋭利な裁ち鋏を握っている。
「……奈津さん?」
僕の頭に、最悪な展開が過ぎる。彼女は身動き一つしない。息すらしていないように見えた。
「ねえ、奈津さん!」
近寄って、その体を揺する。
むくりと彼女が身を起こす。拍子にひらひらと数本の髪が舞う。不格好に切り詰めたショートヘア。辺りに散乱する髪の束。充血した目。頬に残る涙の痕。
僕はようやく、彼女の本当の異変に気づく。
「なんだ、景くんか。ほんとに来たんだ。最低なところを見られちゃったな」
「……髪を切ったんですか?」
「ちょっと、衝動的にやっちゃって……」
奈津さんは何でもないことのように言って、へらへらと笑った。
「お風呂入ってきていいかな」
「……はい」
約一時間後、お風呂からあがった奈津さんが戻ってくる。彼女はタオルも持たず、濡れた髪から水を滴らせていた。スウェットの肩部分が染みている。
奈津さんは焦点の合わない目でこちらに近寄ってきて、そのまま
「間違っても、責めたりだとか否定したりだとかしないでね。私がいちばん私自身にうんざりしてるの。死んじゃいたいくらいに」
僕は彼女の背中に腕を回すべきか迷って、結局伸ばしかけた手を引っ込める。
「私のこと、嫌わないでくれる?」
「……好きです」
あんなに言えずにいた言葉が、簡単に口をつくから不思議だ。
「うん、ありがとう」
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