第4話

「昼間から飲みすぎなんですよ」


 僕は不平を零しながら、寂れた駅のホームで奈津さんに付き添っている。


 レストランで会計を済ませて早々に帰ろうという流れになったはいいものの、電車待ちの間に突然、彼女はホームの端でうずくまった。華奢な腕は依然真っ赤になっていて、触れると熱かった。

 僕は自販機でスポーツドリンクを購入し、彼女に手渡す。


「ねえ、帰りたい。吐きそう」

「すぐ帰れますよ」


 僕はおもむろに奈津さんの隣にしゃがんだ。その背中をさすってあげようとすると、彼女は僕の手を強く振り払った。


「私、いつか幸せになれるかな」

「なれますよ」


 しばしの沈黙が続く。

 相変わらず膝を抱えて俯いたままでいる奈津さんが、苛立ちを抑えきれないみたいに、額に手をやる。


「君はもっと慎重に言葉を扱った方がいいね」


 海底から響くような、冷たい声音だった。

 彼女がたちまちこのゾーンに入ると、止められなくなることは分かっていたから、僕は大人しく黙ったままでいた。


「希望的観測から発露された言葉は、時に人を傷つける。例えば、弱りきって駅のホームに蹲っている女の人なんかは特に。ねえ、私の言いたいこと、ちゃんと分かってる?」

「分かってますよ」

「ううん。所詮しょせん、君は分かった気になってるだけだよ」


 僕は奈津さんが落ち着くまで、辛抱強く待っていた。屋内の涼しいところに移動したかったけど、彼女はそれを頑固として拒否した。結局、僕は売店で日傘を買ってきて、彼女のために簡易的な日陰をつくった。


 時折向けられる、周りの視線が痛い。

 三十分が経過した頃、奈津さんはおもむろに立ちあがった。


「大丈夫ですか?」

「うん」


 確かに肌の赤みはずいぶん引き、顔色もよくなっていた。僕たちは数分後に到着した列車に乗り込み、帰路に着く。


 奈津さんは今、母方の祖母の家に住まわせてもらっているらしい。どうして実家に泊まらないのかというと、ついこの間、両親と将来のことで揉めたのだそうだ。彼女が、実家以外に頼れる場所があってよかったと、心の底から思う。


 僕たちは未舗装の田舎道を進んでいく。次第に道幅が狭くなり、込みいった路地に入る。


「ここでいいよ」


 十字路に来た時、唐突に彼女はそう言った。


「いや、心配ですし、最後まで送っていきますよ」


 僕の提案を、奈津さんは頑なに拒んだ。


「いいの、もう近くだから」


 そんなふうに言われては、こちらも引きさがるしかない。僕は突き放されたような気分に陥りながらも、仕方なく頷いた。





 翌日以降、奈津さんと連絡が取れなくなった。

 僕の送った心配のメッセージに既読がつくことはなく、すでに一週間が経過していた。


 酔っ払った奈津さんを送ったあの日、「ここでいいよ」と彼女は言った。だからまあ、正気の沙汰ではないだろうけど、あの辺の住宅街を巡って探しだすのは、無理な話じゃないと思う。


 じゃあなぜ僕が行動を起こさないのか?


 うん、認めよう。僕は意地を張っている。そして、猛烈に腹を立てている。だってそうだろ? この夏を自分に捧げてくれ、といった当の本人が無視を決め込むなんて、自分勝手にも程がある。


 僕はこの一週間、奈津さんのことは考えないようにして、自分のためだけに時間を使った。買い置きしていた漫画本を読んだり、オンラインゲームに熱中したり。


 それから学校の課題にも手をつけなければと思い至り、自室の机に向かった時。ふと、大学受験のことを思った。そのせいで僕の脳裏には、否が応でも奈津さんの顔が浮かんだ。意識しない訳にはいかなかった。僕の志望校は奈津さんと同じ大学で、もちろんその理由は、一年だけでも彼女と同じキャンパスに通いたいというよこしまなものだからだ。でも、それももう叶わない。目指していた場所に、もう彼女はいない。


 あと一週間で夏休みも終わる。一向に来る気配のない連絡に、僕はますます苛立ちを募らせていた。そして何より、彼女が恋しくてたまらなかった。惚れた弱みという言葉を、僕は身をもって体感していた。

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