第6話

 暗い道を自転車で流していたら、途中の公園に目が留まった。ここは大きな池の周囲に遊歩道を整備したようなシンプルな場所で、俺が今いる道から階段を下りる形の低地になっている。川の土手下みたいな感じだ。公園と言っても遊具は一切なく、犬の散歩や高齢者のウォーキングなどをよく見かける。



 俺は自転車を止めて階段を降り始めた。いつもと違う異様な一角があったからだ。


「ここ、か」


長谷川が穴に落ちた現場であることはすぐに分かった。まだ元気な花束やジュース缶は嫌でも目に付くし、目撃者を募る警察の立て看板が、事の起こった日時と内容を明確に示している。強烈な街灯が白々しい明かりで場を目立たせ、看板に反射する光がこちらの注意を引いたのだ。

 そしてその街灯スポットライトの中、背を丸めてしゃがみこむ姿には見覚えがあった。


「畠山?」


青白い顔がこちらを向く。髪が乱れ、瞼は腫れ、逆に目の下にはクマのような影。タカコ先生より重病人に見えた。


「大丈夫? な訳ないか」


畠山は答えず、定まらない視線を供物の山の方へ戻してポツリと言った。


「はせがわくん」


本人すら自分が喋っていることに気づいていないような、視線同様の虚ろな響き。こんな時の慰め方を俺は知らない。


「もう暗いし、帰った方が良いよ。送ってくからさ」


反応なし。そもそも耳に入っているかどうかも怪しい様子である。仕方なく隣にしゃがんでみたら、しばらく経ってから弱々しい声が聞こえた。


「昨日は元気だったのに」

「そうだな」

「こんなことに、なっちゃうなんて」

「そうだ……」


ふと、何かが引っかかった気がした。さっき彼女は昨日と言ったか。


「昨日、日曜日だけど。長谷川と会ったの?」


またしても反応なし。こちらが答えを諦めかけた頃に畠山は声を発した。


「付き合ってたの」

「え、いつから?」

「二か月くらい前」


そうなのか。初情報には驚きだが、それなら別に不思議はない。


「それで昨日も会ったんだ」

「会うはずだったの、久しぶりに部活が休みになったから。でも長谷川くん、やっぱり自主練したいから遊びに行けないって。もう何回も何回も、そうやって先延ばしにされてたのに」


次の試合で一年から抜擢されたのは長谷川だけだったと噂で聞いた。遊んでいる暇など無かったのだろう。


「だから、こっそり学校まで練習見に行ったの。帰りにカフェの寄り道くらい許してくれると思って。でも待っても待っても練習は全然終わりそうになくて、声掛けることもできなくて、そのうち外が夕焼けから真っ暗になって。暗い中に一人でただ立ってて、私、すごく悲しくなったの」


 その情景を想像してしまったせいか、なんだか急に寒くなってきた。ぶるっと身震いして鞄を胸に抱え直す。


「それで、やっと長谷川君が外に出てきて。私を見てびっくりしてた。ずっと待ってたって言ったら、困った顔したの。『どうして来たの。会えないって言ったのに』って。会いたかったからに決まってるのにね」


 視線だけ動かして隣の顔を見たら、瞬きもせず、見開いた目で花束を凝視していた。自分の全身に鳥肌が広がるのを感じる。


「それから二人で歩いてここまで来たの。私は自転車だからこっち、長谷川君はバスだからあっち。長谷川君は『じゃあな』って普通に言って、私もじゃあねって言って別れた」

「あのさ」

「その時にね、離れてく後ろ姿を見ながら思ったの。もし長谷川君が試合に出られないことになったら。そしたら、もうちょっとでも私に時間を割いてくれるかなって」


その先を聞いてはいけない気がした。聞きたくなかった。


「なあ、もう」

「それで気づいたら私、自転車に乗ってたの。スマホ見ながら歩いてた背中にぶつかった。捻挫でもすればいいと思って。そしたらそこ、階段で。長谷川君が転がり落ちて。でもすぐに立って辺りをきょろきょろし始めたの。頭を押さえながら、ぶつかってきたヤツ誰だって怒って。私、怖くなって逃げた。たぶんその後に長谷川君は倒れて、そのまま」


 何も言えず、逃げ出すこともできない俺の隣で真実が流れて行く。暗い。寒い。怖い。


「頭は押さえてたけど、あんなに普通に、元気そうに怒鳴ってたのに。そんなに酷い怪我に見えなかったのに。こんなことになっちゃうなんて」


 その後は聞き取れなかった。微動だにしないままブツブツと小声で何か言い続けている。


「そう、だったんだ」


やっとそれだけ言い、冷えを通り越して青紫っぽくなった両手をこすり合わせた。声と同様に震えているのが隠せない。


「と、とりあえず分かった。畠山だって悩んでたんだよな。警察に行こうよ、俺も一緒に行くから。もしくは先生に話してさ」


焦点の合わない目がこちらを向いた。ぼんやりした後、ようやく畠山はゆっくりと立ち上がる。


「そうだね。いかないと」


まだ明瞭さの無い声が心配だが、とにかく腕をつかんで軽く引っ張ったら、そっちの方向に歩き出してくれた。来た道を戻って駅前の交番に行くのが良いだろうか。とにかく大人に保護してもらわねば。


「階段、上がれる?」


答えはないまま、畠山がゆっくりと段差を上って行った。時間をかけて上まで辿り着いた俺たちを、断続的に通り過ぎる車のライトが照らしては去ってを繰り返す。


「私、いくべきところに、いかないと」


畠山がゆっくりと後ろ向きに倒れた。たったいま上ったばかりの階段の方へ、ためらいも無く。まるで背中からベッドにでも倒れ込むかのように。俺は反射的に手を伸ばした。


「おい!」


辛くも腕をつかんだと思った瞬間、そのままグイっと引っ張られる感覚がした。体がバランスを失い、状況を理解する間もなく階段が目の前に迫ってくる。


「はたけ、や……」


人形のような顔が目を閉じる。その体の向こうに、たった今、底のない真っ暗な穴が現れて。

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メメントの穴 野守 @nomorino

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