鬼神を背中に宿す幼馴染に挑み続けボクシング世界王者まで昇りつめたが、まだ鬼嫁には敵わないようです

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

幼馴染

「これに懲りたら下級生いじめなんてつまらないこを二度とするなよ」


「うっせぇゴリラ!」


「誰がゴリラだ!? まだ殴られたいのか!」


「ひっ……ゴリラに殺される!? 逃げろ!」


「だから誰がゴリラだゴラッ!」


 その光景を僕はグラウンドに倒れながら見ていた。

 筋肉のなだらかな凹凸が鬼神の顔に見える幼馴染の背中を。

 人生初めての殴り合いは惨めな敗北だった。


 相手は三人いた。

 全員年上だった。

 僕よりも背が高かった。


 負けた言い訳ならばいくらでも並べられた。

 けれど簡単な事実が覆せない。

 同い年の幼馴染はあいつらを相手に勝ったのだ。

 幼馴染の家はボクシングジムを経営している。

 ボクシングの訓練していた。

 身体も鍛えていた。

 だから年上の三人相手でも勝てた。

 とても簡単なロジック。


 幼馴染は強いから勝てた。

 僕は弱いから負けた。


 それが惨めだった。

 年齢なんて関係ない

 筋肉がないから負けたんだ。

 筋肉さえあれば勝てた。

 幼馴染のように鬼神を背中に宿せていれば。


 弱い自分がどうしようもなく情けなくて悔しかった。

 せめて助けられなかったら言い訳できた。

 でも助けられたから自分が弱い事実から逃げられない。

 胸の奥で助けてくれた幼馴染に感謝どころか怒りさえ湧いてきて……そんな自分がさらに惨めだった。

 頬に涙が伝う。


「僕は……どうしてこんなに弱いんだろう」


「まったくあいつらは……リュウキ大丈夫? って泣いているの!? ど、どうする? 保健室行く?」


「泣いてない!」


「いや……どう見ても泣いているでしょ」


「だから泣いてないって言っているだろゴリラ!」


「誰がゴリラだ!」


 泣き顔を隠すように袖で涙を拭いながら立ち上がる。

 距離感を間違えたせいで、鼻がくっつきそうな間近で見た幼馴染の顔は綺麗だった。

 喧嘩したのに一発も殴られていない。

 思わず見惚れてしまう。


「急に黙り込んでどうした? やっぱり保健室に行く?」


「……ユズキはうるさい」


 気恥ずかしくて。

 顔を背けながら悪態をつくことしかできなかった。


「なんだよ。心配してやっているのに」


「心配してくれなんか言ってない」


「リュウキはただでさえ頭が良くないだからこれ以上悪くなったらどうするのかと」


「ユズキは本当にうっさい!」


「パンチドランカーは本当に怖いんだから! どうして上級生と喧嘩なんかしたの?」


「……それは」


 あいつらが影でユズキのことを「ゴリラ」だと馬鹿にしていたから。

 背中に鬼神が浮かび上がる筋肉だ。

 確かに身体の筋肉はゴリラかもしれない。

 でも顔は綺麗なのだ。

 それなのに顔までゴリラに似ていると馬鹿にしていたのを聞いてムカついた。

 ……なんて言えるはずがない。

 守ろうとした相手に守られるなんて情けなさすぎる。


 その次の日。

 僕は強くなりたくて、お母さんと親一緒にユズキの家のボクシングジムに入会の挨拶に行った。


 ◆  ◆  ◆


「くそっ! どうしてまだユズキにボクシングで勝てないんだよ! 身体も筋肉も俺の方がデカいのに! やっぱり背中の鬼神か? 筋肉の付け方に問題があるのか?」


「本気で悔しがってる……私のことを殴ろうとすると停止するのに、どうしてボクシングルールで勝てるつもりでいるのリュウキ」


「あん? なにか言ったか?」


「なんでもない。技術的なアドバイスでいうと、ボディをもらった直後に、食いしばるためか顔を上げようとするのは直した方がいいよ。癖になっているから」


「そうなのか?」


「今だって私は狙って、右ボディから左フックのコンビネーションでリュウキのアゴを打ち抜いて倒したわけだし」


「そんな癖があったのか。次からは気をつける」


 子供のときからリングの上で拳で語らう関係。

 互いに十五歳の男女の幼馴染なのにやっていることは変わっていない。

 しかし容姿も心も変化しているわけで。


「ねぇ……リュウキは本当に地元の高校で良かったの? ちゃんとしたボクシング部のある高校にスポーツ推薦で入学できるし、オリンピックも狙えるって言われたのに」


「またその話か? あそこは遠すぎるし、寮住まいだろ。ボクシングならユズキんちのジムでできる。それに……」


「それに?」


「まだ地元で一番倒したいヤツを倒せてねーのに逃げ出せるかよ。カッコ悪い」


「うん……うん? それは……え〜と……どういう意味で言っているのかな? リュウキの言う倒すってつまり……その」


 ユズキが顔を真っ赤にして言い淀む。

 相変わらず背筋に発達しているが、今のユズキを見てゴリラと呼ぶ人はいないだろう。

 年相応に女らしくなっている。

 ユズキは身体を鍛えるというより、食事もトレーニングも理想のスタイルを手に入れるためのボクササイズに重点を置いていた。

 肩幅はあるが同世代の女子の中でも女性として格段にスタイルがいいくらいだ。


 普段はリングに上がって誰かとボクシングなどしない。

 女同士でもしない。

 今リングに上がっているのはリュウキが相手だからだ。

 絶対に顔を殴られない。

 昔からリュウキは牽制のジャブさえユズキに当てたことがなかった。

 幼い頃は真面目にボクシングの試合する気があるのかと怒りが湧いたが、リュウキ本人が本当に無自覚らしいので女性を殴れない体質と流すことにしている。

 だからリュウキがボクシングでユズキを倒すことは不可能だ。

 不可能だからこそ、どういう意味で倒すと主張しているのかが気になるところだが。


「どういう意味って当然KO勝ちに決まっているだろ」


「本当にどういう意味かな!?」


「ん?」


 本当に他意がなさそうなリュウキの顔にユズキはため息をついた。

 いつもこうだ。

 微妙な間合いでスカされる。

 ボクシング的な攻防ならば一方的にユズキが攻め勝っているのだが、恋愛的な攻防ではリュウキの完璧な守備に攻めあぐねてしまって引き分け状態だ。

 ちなみに両家の審判団からユズキは早くクリンチしろと攻め立てられている。

 リュウキだけは鉄壁の守備で諦められており、家族という両家セコンドの指示がユズキに集中する理不尽な境遇だった。

 だか今日こそユズキは一歩前に出てリュウキを間合いに捉えるつもりでいた。


「ほら……なんというか私達ももう高校生になるわけだし。もうそろそろなにかあってもいいのかなとか? 放課後は部活動代わりで、いつもうちのジムで一緒にトレーニングだし」


「いつもトレーニングメニューやフォーム確認の撮影とかありがとうな」


「トレーニング後もうちで晩御飯食べているわけだし」


「ユズキお手製の唐揚げが食べたい」


「また作るね! ダイエット的な意味では揚げ物は控えたいんだけど……じゃなくて! 朝も学校行く前うちでトレーニングして、朝ごはん食べて」


「やっぱり朝はユズキお手製のおにぎりと味噌汁がないと始まらないから」


「学校で私たちがなんて呼ばれているか知ってる?」


「よくダンナとは呼ばれるな」


「……確かにリュウキはダンナ呼びだね」


 正確には夫婦だ。

 女子内でもなぜかユズキは「奥さん」と呼ばれているしリュウキは「ダンナさん」呼ばわりだった。

 リュウキは十五歳の中でもかなり背が高く、鍛えているので大柄だ。

 ダンナというあだ名でもおかしくはない。

 しかし家でも学校でも夫婦扱いされているのだ。

 まだ付き合うどころか、リュウキに恋愛感情が存在するかもわかってないのに。


「よし単刀直入に聞こう。年頃だしリュウキは好きなひ……タイプの女の子とかいるの?」


 日和った。

 逃げた。

 顔が真っ赤に染まっている。

 セコンドがいれば怒声が飛ぶし、審判がいればTKO判定で負けかもしれない。

 だが気持ちはわかってほしい。

 これだけ一緒にいるのに別の女子の名前を出されたら、異性として意識されていないことが確定的で二度とリングに立てなくなる。

 そんな恐怖に負けたのだ。

 リュウキの答えは簡潔だった。


「顔がいい奴」


「顔……顔!? 美人ならなんでもいいわけ?」


「なにを驚くんだよ。顔は重要だろ。美人と言えば美人が好みかもしれないけど。重要なのは毎日会いたい。そいつの顔を見ないと一日が始まらないと思わせてくれるか。やっぱり顔だよ」


「呆れた。リュウキも女の子の顔にこだわるんだ。他にないわけ? 朝晩問わず親身になってトレーニングに付き合ってくれる女の子が好きとか。身体を鍛えるために栄養バランスを考えて食事を作ってくれる料理上手な女の子とか。付き合いの長くて気の置けない幼馴染とか」


「それは高望みしすぎだろ。そこまでしてもらったら当然嬉しいし、理想的だけどな。そこまで頑張った関係じゃなくても好きな相手は好きなんだよ。だから好きなタイプの女の子を聞かれたら顔。そいつの顔をさえ見れればいくらでも頑張る気になる。そんな顔が好みだ」


「ふ〜んそれでリュウキには好きな顔の女の子がいるの? どっかのアイドルとか」


「目の前にいるけど」


「…………」


「…………」


「………………え?」


 この日、初めてリュウキは幼馴染のユズキにリングの上で勝利した。

 フィニッシュブローはカウンターである。


 ◆  ◆  ◆


『会場は異様な空気に包まれております。もう運命の6ラウンドが開始です。あれだけ罵声が飛ばしていた観客も今や固唾を飲んでいる。こんな試合展開を誰が予想した!』


 全国ネットの放送で日本人の興奮冷めやらぬ表情でアナウンサーが喋り倒していた。

 ボクシングの試合が地上波で注目されている。

 それもそのはず。

 今日ここで行われているのは日本ボクシング界の悲願を叶える夢舞台なのだから。


『下馬評では「身の程知らずの日本人」と馬鹿にされていた。愚かな挑戦とさえ見下された。しかし二十五歳の若きサムライは! 本当に若き挑戦者の龍騎はパーフェクトな試合運びで、無敗のチャンピオンからダウンを奪っている。すでに日本列島からは多くの賞賛が届いております。それもそのはず今日行われているのはボクシング世界王者を決める戦いです。日本人初のライトヘビー級のワールドチャンピオンへの挑戦です! 今日勝てば日本人が花形と云われるスーパーミドル級以上の階級を初めて制することになるのです!』


 前人未到の挑戦。

 しかしそれだけではない。

 恨みや妬みもある。

 今までも日本人がボクシングの世界王者に輝くことはあった。

 しかしボクシングの本場アメリカでは日本人は、アジア人は軽い階級でしか勝てないと見下され続けていたのだ。

 そこには人種差別意識も当然ある。

 日本人の悔しさが詰まっていた。


『今日本人が全米を黙らせています。日本人が花形と言われる階級のトップに立つ。当然のようにラスベガスの会場はアウェイでした。観客も審判団もチャンピオン寄り。最初は愚かな挑戦者とピエロ扱いだった。チャンピオンの1ラウンドKOショーを期待されていた。それが2ラウンド目に入り、ピエロからヒールに進化した。まさかのチャンピオンのダウン。速すぎる踏み込みから右ボディから神速の左フックのインファイトでチャンピオンをリングに沈めた。それはまるで漫画の居合斬りのようでした。そこからあのチャンピオンが逃げ回る一方的な展開です。今や観客さえもチャンピオンにブーイングを向けています。誰がこの展開を予想した。誰がこの展開を予想した! 誰がこの展開を夢に描いていた! 私です! 日本のボクシング関係者です! 日本のボクシングファンです! 誰も予想はできていなかった。でもずっと夢想していた! 花形の階級の世界戦で日本人が圧倒することを夢に見ていました!』


 無駄に熱すぎるアナウンサーの言葉は関係ない。

 日本ボクシング界の期待なんか知らない。

 目指すは最強の頂のみ。

 幼き頃に夢描いた理想の鬼神を背中に宿した龍騎は、セコンドとして腕を組む幼馴染と義父の声に押されて前に踏み出す。


 6ラウンドの開始。

 結月は終わらせると言った。

 だから龍騎はこのラウンドで決める。

 3分も要らない。

 そのためにずっと仕込んでいた。


 2ラウンドのダウンは速さで奪った。

 そこからチャンピオンは回復を図るために逃げ回る。

 もうそろそろダメージが抜けてきただろう。

 だからチャンピオンもここから攻勢に出てくる。

 龍騎はその間はずっと速さとテクニックだけで追い詰めていた。

 試合前から熟練のテクニシャンであるチャンピオンが守勢に回れば倒すことが難しいことはわかっていた。

 だから油断させる必要があったのだ。


 6ラウンド目の最初の攻防。

 チャンピオンはポイントを取り返そうと、観客を味方につけようと前のめりになる。

 予想通りの展開に背中の鬼神が笑った。


 龍騎が放った大振りのスマッシュブローをチャンピオンは挑戦者の焦りと見た。

 これまでのラウンドで挑戦者は技術も速さも優れているがパンチ力は大したことがない。

 所詮は日本人だ。

 そう認識させられていた。

 軽く受けてカウンターに討ってでる。

 意識が守りから攻めに転じたのだ。


 故に理解できなかった。

 ガードした左腕が軋みをあげて、自分の身体が上体ごと吹き飛ばされたことを。

 思考の空白。

 相手は日本人のはずだ。

 ヘビー級やクローザー級のワールドチャンピオンではない。

 こんなパンチ力を持っているはずがない。


 思わず顔をあげてチャンピオンはなにと戦っているのか再確認しようとした。

 挑戦者の背中が膨れ上がっているように見えた。

 巨大化したのだと錯覚した。

 試合中に変身するのは反則だろう。

 そんなチャンピオンの顎を龍騎の長い腕から繰り出される左ストレートが打ち抜いた。


 それは6ラウンド開始10秒の出来事。

 吹き飛んだチャンピオンがリングの上に仰向けに倒れて、10カウントを待たず審判はKOを宣言した。

 見ている側からすればあまりに唐突な幕切れ。

 けれど挑戦者側からすれば、ここしかない完璧な勝利だった。


 最初から心理戦を仕掛けてパンチ力を誤認させた。

 それほどまでチャンピオンの強さを恐れていた。

 油断して、侮って、攻勢を仕掛けてくる。

 その瞬間しか勝ち目がない。

 始めからパンチ力を警戒されていれば、守勢に回られて打ち崩せずに判定負けになっていたかもしれない。

 無理に攻めて体力切れ。

 カウンターを食らいKO負けもあった。

 セコンドと入念に打ち合わせした末の勝利と誰が気づくのか。


 歓声も怒声も絶叫も。

 全てが遅れて聞こえてくる中。

 龍騎はセコンドの美人で幼馴染の妻を抱き上げて口づけを交わした。

 こうして日本人初のボクシングライトヘビー級チャンピオンが誕生した。


 ◆  ◆  ◆


 チャンピオンの顎をワールドワイドで美人妻と報じられてしまった結月のフックが打ち抜いた。

 場所は実家のジムのリング上。

 観客もいないし、ベルトの譲渡もない。

 ただの夫婦喧嘩である。


「クソ! どうして世界王者になっても結月に勝てないんだよ」


「ボクシングは殴らなきゃ勝てないっていい加減学べば?」


 ちなみにまだお腹が出てないが結月は妊娠している妊婦であり、ボディブローも厳禁である。

 なぜリングに上がって勝負しようと思ったのかが謎だった。


「はい。これで新居は一軒家で決定ね。どうしてタワーマンションがいいとかほざいたの?」


「だってチャンピオンは高いところから夜景を眺めるものだろ!」


「子供生まれんの! そんな最初だけいいけど暮らしてみたら不便と気づくタワマンとか住めるか!」


「むぅ……」


 言葉でも完全にチャンピオンの負けだった。

 龍騎が結月に勝てたのは一回だけ。

 十五歳の告白のときだけである。

 あの日から完全に尻に敷かれている。


 子供の頃に憧れた背中の鬼神はもう自分の背中に宿っている。

 世界王者に輝くほどに強くなったはずなのに。

 愛する鬼嫁は大人しく守らせてくれる気は無さそうだ。


「クルーザー級の世界王者になれば守れるかな?」


「クルーザー級目指すの? 今でもだいぶ絞っているから目指せなくもないけど一気に体重増えるから難しいよ。……というか、どうしてスーパーミドル級を飛び越えてライトヘビー級にこだわったの? まずスーパーミドル級から行けば2階級制覇も狙えたのに」


「別に日本人初の栄誉とか2階級制覇とかどうでもよかったからな。結月の親父さんが昔からヘビー級の世界チャンピオンを生み出すことが夢だって言っていたから。とりあえずヘビーと名のつくライトヘビー級からかなって」


「はぁ……お父さんのせいか。クルーザー級やヘビー級に目指すのはいいけど。しばらくはライトヘビー級で稼いでからだからね龍騎」


「わかっているよ結月」


 背中に鬼神を宿してボクシング世界王者になってもまだ鬼嫁には勝てないようである。

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鬼神を背中に宿す幼馴染に挑み続けボクシング世界王者まで昇りつめたが、まだ鬼嫁には敵わないようです めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定 @megusuri

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