X犬のヨダレ

老婆王

爪切男

 登校中にしばしば見かける男がいる。彼は私が通っている高校の制服を着ている。彼は私が登校している時にしか見かけない。彼は下校中には現れない。彼はいつも爪を切っている。彼は日焼けをしている。彼は襟足を伸ばしている。彼を学校では見かけない。彼の爪はいつも伸びている。彼はいつも信号待ちをしている。彼は信号が青になっても前へ進まない。彼は爪を切り続ける。彼は靴を履いていない。彼は靴下も履いていない。彼は足の爪も切ることがある。器用に片足で立って、ふらふらとしながら足の爪を切る。街行くみんなは彼を気にも留めない。


 何故みんなは、彼の姿を目に焼き付けようとしないのだろう。みんな怖がっているのだろうか。私は彼を見る。彼はいつも一人だ。


 彼は日によって違う爪切りを使う。最初に見かけた日は、黄緑の大きめな爪切り。昨日はシンプルで小ぶりな爪切り。今日は黒い高級感のある爪切り。今まで彼は一度たりとも同じ爪切りを使っていない。彼はずっと爪を切り続ける。左手、右手、左足、右足、と全部の爪を切り終わると、いつのまにか伸びた左手の爪をまた切り続ける。パチ、パチ、パチン。パンッ、パチ、ギギ、パチ。パチ、パチ、カチャン。当然のことかもしれないが、彼は切った爪をその場では捨てない。きっと内面も素敵な人なのだ。私は毎朝、期待とともに家を出る。今日はあの人、いるだろうか。今日も爪を切っているだろうか。今日はどんな爪切りを使っているのだろうか。今日も爪を切っていたら、話しかけてみようか。いや、それはだめだ。粋じゃない。粋じゃないというよりも、許されない。それが私の正義なのだ。


 既におわかりだろうが、私は彼のファンだ。彼の姿を見ると一日幸せな気分でいられる。逆に観ることができなかった日は、かなり落ち込んでしまう。本音を言うのならば、彼と話がしてみたい。先ほど、彼に干渉しないことが私の正義だといったが、その正義すらも超える魅力が彼にはある。彼の顔をよく見たい。彼の声を聴いてみたい。彼の爪を触ってみたい。香りを嗅いでみたい。感触を舌で確かめたい。私の爪を切ってほしい。彼の爪切りが欲しい。彼が欲しい。彼の爪が欲しい。彼の爪を切りたい。


 私は今日も踊る心を押さえつけながら、彼の姿を求める。

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