【架空歴史短編小説】永遠の3時15分 ―慈愛という名の独裁―(約8,600字)
藍埜佑(あいのたすく)
【架空歴史短編小説】永遠の3時15分 ―慈愛という名の独裁―(約8,600字)
●第1章 慈愛の種子
壊れた懐中時計は、永遠に午後3時15分を指し示していた。
銀色に輝く時計の裏蓋には、「愛する娘エレナへ」という文字が刻まれている。1932年4月15日、エレナ・ミハイロワ・ラドニックの10歳の誕生日に、父親から贈られた大切な品だった。
時を刻まなくなって久しい懐中時計を、エレナは今でも大切に持ち歩いている。まるで、あの日の純粋な愛を永遠に留めておきたいかのように。
「お嬢様、また迷子の子猫を拾ってきたのですか?」
執事のヨーゼフ・クラウスが、苦笑まじりに声をかける。エレナは両手で抱えた黒い子猫を大切そうに胸に寄せながら、はにかんだ笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、ヨーゼフ。でも見て、この子、足を怪我してるの」
コルドビア南部の裕福な農場主の館。広大な敷地には、季節の花々が咲き乱れている。特に、エレナが大切に育てているバラの花壇は、まるで天上の楽園のように美しい。
しかし、その館の塀の外には、まったく異なる世界が広がっていた。1930年代初頭のコルドビアは、世界恐慌の余波と旱魃に苦しんでいた。貧しい農民たちは、日々の糧にも事欠く有様だった。
10歳のエレナは、そんな現実を少しずつ理解し始めていた。
「お嬢様の優しさは確かに素晴らしい。しかし、時には冷徹な判断も必要になります。全ての生き物を救うことは、誰にもできないのですから」
ヨーゼフの言葉に、エレナは首を横に振った。
「でも、目の前で苦しんでいる命を見過ごすことはできないわ」
エレナは懐中時計を取り出し、その文字盤を見つめた。永遠に3時15分を指す針。
「この時計みたいに、すべての時が止まってしまえばいいのに。そうすれば、みんなを救う時間が作れるのに」
幼いエレナの言葉に、ヨーゼフは複雑な表情を浮かべた。その瞳の奥には、何か暗い予感が潜んでいるようだった。
館の広間には、大きな世界地図が飾られていた。エレナは時折、その前に立ち、小国コルドビアの位置を指でなぞる。東欧の片隅に位置する祖国は、強大な隣国に囲まれ、まるで檻の中の小鳥のようだった。
「お父様、なぜコルドビアはこんなに小さいの?」
エレナの問いに、父アレクサンドル・ラドニックは深いため息をついた。
「小さくても、私たちの祖国なのだよ、エレナ。大切なのは大きさではない。この国に住む人々の幸せこそが、真に重要なことなのだ」
その言葉は、エレナの心に深く刻まれた。
同じ頃、エレナは近所の貧しい子供たちに読み書きを教え始めていた。館の庭の片隅に、小さな教室が設けられた。そこでエレナは、母親から習った詩や物語を子供たちに読み聞かせた。
「ねえ、エレナ先生。ぼく、お腹が空いて本が読めないよ……本よりもパンが欲しいんだ……」
ある日、生徒の一人がそうつぶやいた。エレナはすぐに館の台所に駆け込み、自分のおやつを分けてあげた。それから毎日、エレナの「教室」では、勉強と共におやつの時間が設けられるようになった。
「お嬢様、あまり貧しい子供たちと関わるのはよくありません。病気が感染するかもしれませんし、何より身分が違うのです」
女中頭のマルタ・シュタインが忠告する。しかし、エレナは首を横に振った。
「違うわ。みんな同じ人間よ。どうして分け隔てなんてしなきゃいけないの?」
エレナの瞳は、真摯な光を放っていた。
1935年、コルドビアを大旱魃(だいかんばつ)が襲った。多くの農民が、飢えに苦しんだ。エレナの父は、自分の農場の収穫物を貧しい農民たちに分け与えた。その行為は、地主階級から顰蹙を買った。
「アレクサンドル、君は分かっていない。慈悲は時として危険だ。与えすぎれば、奴らの甘えを助長するだけだ」
ある晩、エレナは父の書斎の外で、来客の声を耳にした。
「違う。人々が飢えているのに、私は見過ごすことはできない。それが人としての道だ」
父の毅然とした声に、エレナは誇らしさを感じた。
しかし、その誇り高き父の優しさは、やがて悲劇を招くことになる。1937年、アレクサンドルは何者かに暗殺された。犯人は見つからなかったが、農民たちへの慈善行為に不満を持つ地主階級の仕業だと噂された。
エレナは、父の葬儀の日、一滴の涙も流さなかった。ただ、壊れた懐中時計を強く握りしめていた。時計の針は、永遠に動くことはない。しかし、時代という大きな歯車は、容赦なく回り続けていた。
「お嬢様、あなたはお父様にそっくりです。その優しさも、強さも」
ヨーゼフがそっとエレナの肩に手を置いた。
「ヨーゼフ、約束して。私が大人になっても、この優しさを忘れないように見守っていて」
13歳のエレナの声には、不思議な重みがあった。その瞳の奥には、すでに未来への強い意志が宿っていた。
●第2章 暗き芽吹き
1940年、コルドビア国立大学の政治学部に入学したエレナの胸には、いつもあの壊れた懐中時計が収まっていた。時代は、戦争の影に覆われていた。
「ラドニック嬢、あなたの論文は興味深い視点を提示していますが、少々理想主義的すぎるのではないでしょうか」
政治学の教授、ミハイル・コンスタンチノフは、机上の論文に目を落としながら語りかけた。
「理想を持つことは、間違っているのでしょうか?」
エレナの反論に、教授は眼鏡の奥で目を細めた。
「いいえ、理想は必要です。しかし、現実はもっと複雑だ。特に我が国のような小国は、理想だけでは生き残れない」
その言葉は、エレナの心に深い溝を刻んだ。
大学では、様々な政治思想が渦巻いていた。マルクス主義者たちは革命を、国粋主義者たちは軍事独裁を、そして穏健派は漸進的な改革を主張していた。
エレナが最も共鳴したのは、ある匿名の詩人が地下出版していた本に載っていた言葉だった。
「慈愛なき力は暴力となり、力なき慈愛は無力となる」
その言葉は、エレナの心に深く刻まれた。
1942年、コルドビアを再び大旱魃が襲った。街には、農村部から流れてきた飢えた人々が溢れていた。
「このままでは、国が滅びてしまう」
エレナは、大学の研究室の窓から、パンを求めて行列する人々を見下ろしていた。懐中時計を握る手に力が入る。
同じ頃、エレナは「未来の会」という学生グループを結成していた。それは表向きは読書会だったが、実際には社会改革を議論する場だった。
「暴力的な革命は、新たな暴力を生むだけです。私たちに必要なのは、教育と経済発展による緩やかな改革です」
エレナの主張は、過激派の学生たちから「生ぬるい」と批判された。しかし、彼女は信念を曲げなかった。
「お前は恵まれた家庭で育ったから、民衆の苦しみが分からないのだ!」
ある集会で、急進派の学生がエレナを非難した。
エレナは静かに懐中時計を取り出した。
「この時計は、民衆への慈愛のために命を落とした父からの遺品です。苦しみとは何か、私は良く知っています」
その言葉に、集会は静まり返った。
1944年、隣国との国境紛争が勃発。コルドビアの脆弱な民主主義体制は、悲しいことに軍部の台頭を許してしまう。
「祖国防衛のためには、強力な指導者が必要だ」
軍部のスローガンは、不安な民衆の心を捉えていった。
エレナは、その流れに抗おうとした。
「強さは必要です。でも、それは民衆を守るための強さでなければならない」
彼女の演説は、多くの学生たちの心を動かした。しかし同時に、軍部の警戒心も煽ることになった。
1946年、軍事クーデターが発生。民主政権は崩壊し、軍事独裁体制が始まった。
大学には憲兵が常駐し、学生たちの言論は厳しく制限された。エレナの「未来の会」も、非合法組織として活動を余儀なくされた。
「ラドニック嬢、あなたの才能は貴重です。軍事政権に協力すれば、輝かしい未来が約束されますよ」
憲兵司令官のヴァシリー・ドラガンは、エレナを自室に呼び出してそう持ちかけた。
「ありがとうございます。でも、私は祖国と民衆のために生きたいのです」
エレナの毅然とした態度に、ドラガンは冷たい視線を向け、言い放った。
「民衆など、導かれるべき羊の群れに過ぎない。それを理解できない者に、指導者の資格はない」
その言葉は、エレナの心に深い傷を残した。同時に、ある決意を固めさせることにもなった。
1948年、エレナは地下抵抗運動の中核メンバーとなっていた。しかし、彼女の手法は他の抵抗運動とは異なっていた。
暴力の代わりに、彼女が選んだのは「影の教育」だった。各地に秘密の学習会を組織し、民衆の意識を少しずつ変えていく。それは牛のように遅々とした歩みだったが、確実に実を結んでいった。
「暴力で打倒しても、民衆の心が変わらなければ、新たな独裁者が生まれるだけです」
エレナの言葉は、やがて「影の教室」を通じて全国に広がっていった。
●第3章 慈愛の棘
1950年、軍事政権による弾圧は最高潮に達していた。エレナは地下活動の指導者として、軍部から指名手配されていた。
しかし皮肉なことに、その過酷な状況が、エレナに重要な教訓を与えることになる。
「力なき慈愛は無力となる。力なき慈愛は、ただの願望に過ぎない」
エレナは、かつて読んだ匿名詩人の言葉の、もう一つの意味を理解し始めていた。
1952年2月、決定的な転機が訪れる。軍事政権による「二月の大粛清」が始まったのだ。
地下活動家たちが次々と逮捕される中、エレナは重大な決断を迫られていた。
「このままでは、すべての希望が潰えてしまう」
エレナは壊れた懐中時計を見つめながら、ある計画を練り上げていた。
「私たちには、軍部の内部に協力者が必要です」
エレナの提案に、多くの活動家たちが反発した。しかし彼女は、静かに、しかし断固として主張を続けた。
「純粋な理想だけでは、現実は変えられない。時には、棘のある薔薇にならなければ」
その言葉には、かつての少女の面影はなかった。しかし、その瞳の奥には、変わらぬ慈愛の光が宿っていた。エレナは変わらないために、変わることを選んだのだ。
1953年、エレナの戦略は実を結び始める。軍部の若手将校たちの中から、彼女の思想に共鳴する者たちが現れ始めたのだ。
「祖国を救うためには、時として、手を汚すことも必要なのですね」
側近となった青年将校、アドリアン・ヴァシレスクはそうつぶやいた。
エレナは無言で懐中時計を取り出した。永遠に3時15分を指す針。それは彼女の心の中で、いつしか別の意味を持ち始めていた。
永遠に止まった時間。それは純粋な理想を表すと同時に、その理想が現実には存在し得ないことをも示唆していた。
1954年1月15日、民衆蜂起が勃発。エレナの築き上げた地下ネットワークが、一斉に動き出した。
軍部の若手将校たちの寝返りもあり、軍事政権は瞬く間に崩壊。エレナは暫定政府の文民指導者として推挙された。
「私に、この国を任せていただけますか?」
臨時議会で、エレナはそう問いかけた。その声は柔らかく、しかし芯の強さを感じさせるものだった。
賛成多数で、エレナは暫定政権の首班に選出された。
しかし、そこから真の試練が始まることを、彼女は誰よりもよく理解していた。
「理想を持って権力の座に就くことは容易い。しかし、権力の座で理想を保ち続けることは、それより遥かに困難なのです」
就任演説でのその言葉は、後に歴史的な名言として記録されることになる。
エレナの暫定政権は、まず教育改革に着手した。全国各地に新しい学校が建設され、義務教育の無償化が実現した。
しかし、改革は思うようには進まなかった。
国内の保守派は、急進的な改革に反発。急進派は、改革の遅さに業を煮やした。そして何より、隣国からの圧力が日増しに強まっていた。
「このままでは、また国が分裂してしまう……」
エレナは、自身の理想と現実の狭間で苦悩していた。そんなとき、一通の手紙が届いた。
差出人は、かつての執事、ヨーゼフ・クラウスだった。
「お嬢様へ
あなたは約束を覚えていらっしゃいますか? 子供の頃の純粋な優しさを、決して忘れないという」
手紙を読みながら、エレナの目に涙が浮かんだ。
しかし同時に、彼女の心に一つの決意が固まっていった。
「ごめんなさい、ヨーゼフ……純粋な優しさだけでは、もはやこの国は守れないの」
1955年、エレナは衝撃的な決断を下す。
民主的な選挙の実施を無期限延期し、大統領への権限集中を図ったのだ。
その決断は、多くの支持者たちを失望させることとなった。
しかし、エレナの心は既に決まっていた。
「私は、この国の母となる。たとえ子供たちに嫌われても、彼らを守り、導かねばならない」
エレナの独裁体制が、静かに、しかし確実に形作られていく。
それは、慈愛という名の専制の始まりだった。
●第4章 影の園
1960年、エレナ・ラドニックは完全な実権を掌握していた。
彼女の執務室の壁には、二枚の肖像画が掛けられていた。
一枚は父アレクサンドルの、もう一枚は彼女が10歳の頃の写真だった。
「私は、あの頃の純粋さを裏切ってしまったのでしょうか?」
エレナは時折、その少女の写真に問いかけた。
しかし返答はない。ただ、懐中時計の針だけが、永遠の3時15分を指し示している。
エレナの統治体制は、徐々にその真価を発揮し始めていた。
農地改革により、貧困層の生活は確実に向上。工業化政策により、経済は着実な成長を遂げていた。
しかし同時に、言論統制は厳しさを増していった。
「これは必要な措置です。国の分裂を防ぐために」
側近たちにそう説明しながら、エレナの心は常に重かった。かつて言論を弾圧されていた自分が、弾圧する側に回ってしまったという皮肉に。
毎週日曜日、エレナは孤児院を訪れる習慣を欠かさなかった。
そこでは、国家指導者としての仮面を脱ぎ、かつての純粋な少女の顔を取り戻した。
「エレナ先生、この本を読んでください!」
子供たちは、彼女を「エレナ先生」と呼んだ。それは、彼女が最も愛する呼び名だった。
ある日、一人の少女がエレナに尋ねた。
「先生、どうして外の世界では、みんな先生のことを怖がっているの?」
その質問に、エレナは言葉を失った。
その夜、彼女は日記にこう記している。
「私は母として、この国を守っている。母は時として厳しくなければならない。しかし、その厳しさの中には、常に愛がなければならない」
1965年、隣国との緊張が最高潮に達する。
軍部は即座の戦争準備を進言したが、エレナは違う道を選んだ。
「我が国の強さは、武力ではない。教育であり、産業であり、そして人々の団結です」
エレナは、国家総動員体制を敷く代わりに、文化的影響力の拡大を図った。
コルドビアの教育システムは、周辺国からも注目されるようになっていた。
経済的な自立も進み、もはや小国とは呼べない存在感を示すようになっていた。
「エレナ・ラドニックは、鉄の女帝と呼ばれています」
海外メディアはそう報じた。
しかし、その「鉄」の内側で、一人の女性の心は常に揺れ動いていた。
1968年、エレナは一つの夢を見る。
夢の中で、10歳の自分が問いかけてきた。
「約束は守れた? 優しさを忘れないというあの日の約束」
エレナは答えられなかった。
目覚めた時、枕は涙で濡れていた。
しかし、その涙を拭う暇もなく、彼女は再び国家指導者としての冷徹な仮面をつける。
それが、彼女の選んだ道だった。
●第5章 霜降る花園
1970年代に入り、コルドビアは「東欧の奇跡」と呼ばれるようになっていた。
GDP成長率は年間8%を維持し、完全雇用は実現。医療と教育の無償化により、国民の生活水準は大きく向上していた。
エレナの執務室の窓からは、近代的なビル群が立ち並ぶ首都の街並みが見渡せた。
しかし、彼女の目は遠く、かつて薔薇園のあった方角を見つめていた。
「お母様、またあの時計を見つめているのですね」
その声に、エレナは我に返った。
そこには、養女となったマリア・ラドニックの姿があった。
マリアは、かつてエレナが訪れていた孤児院の子供だった。その聡明さと優しさに魅かれたエレナは、彼女を養女として迎え入れた。
「ええ、時々思うの。時計の針が止まっているように、私の心も何処かで止まってしまったのではないかって」
エレナの言葉に、マリアは深い理解を示す瞳で応えた。
「でも、お母様の愛は決して止まってはいません。だからこそ、時々、その重さに耐えかねているように見えるのです」
マリアの言葉は、エレナの心の奥深くに届いた。
1975年、エレナは一つの決断を下す。
それは、段階的な民主化計画の策定だった。
「そのような計画は時期尚早です」
側近たちは猛反対した。
しかし、エレナの決意は固かった。
「この国は、もう私の庇護だけでは生きていけない。人々は、自分たちの足で立つ準備を始めなければならない」
しかし、その計画が実行に移される前に、新たな危機が訪れる。
1978年、隣国で起きたクーデターにより、好戦的な軍事政権が誕生。コルドビアへの侵攻の機会を窺っていた。
エレナは、民主化計画の凍結を余儀なくされた。
「また一つ、私の理想は遠のいていく」
エレナはそうつぶやきながら、懐中時計を握りしめた。
指の感触で、裏蓋の刻印を辿る。
「愛する娘エレナへ」
その文字に触れる度、彼女は自問していた。
果たして父は、娘がこのような道を歩むことを予見していたのだろうか?
1980年、エレナの健康に異変が現れ始める。
激務による心身の疲労が、徐々に彼女を蝕んでいった。
医師団は静養を進言したが、エレナはその助言を退けた。
「私には、まだやるべきことがある」
その「やるべきこと」とは何か。
もはや誰も、エレナの真意を理解できなくなっていた。
ある夜、マリアが母の執務室を訪れると、エレナは一人、窓辺で静かに泣いていた。
「お母様……」
「マリア、私はね、ずっと夢を見続けているの」
エレナは、月明かりに照らされた街並みを見つめながら語り続けた。
「夢の中では、私はまだあの少女のまま。純粋な愛を持って、世界中の傷ついた命を救おうとしている」
その言葉に、マリアも涙を流した。
「でも現実では、私は多くの人々を傷つけてきた。それが国のためだとしても」
エレナの声は、次第に力を失っていった。
「お母様の愛は、決して消えていません。ただ、その形が変わっただけです」
マリアの言葉に、エレナは微かに微笑んだ。
●第6章 慈愛の影法師
1985年、エレナの体調は急速に悪化していた。
しかし、彼女は最期まで執務を続けた。
ある日、彼女は側近たちを集め、こう語った。
「私の人生は、一つの実験だったのかもしれない」
静まり返った執務室で、エレナの言葉が響く。
「慈愛と権力は、共存できるのか。それとも、必然的に相反するものなのか」
その問いに、誰も答えることはできなかった。
1987年、エレナは最後の大きな仕事として、「遺産計画」と呼ばれる政策文書の起草を始めた。
それは、彼女の死後のコルドビアの進むべき道を示す青写真だった。
「私の後に続く者たちへ」
文書の冒頭には、そう記されていた。
「この国は、もはや一人の母の庇護を必要としない。しかし、その母の愛は永遠に忘れてはならない」
エレナは、その文書に魂の全てを注ぎ込んだ。
それは単なる政策提言ではなく、一人の女性の懺悔録でもあった。
「私は独裁者として歴史に名を残すだろう。それは甘んじて受け入れよう。しかし、私の心の中で燃え続けた愛だけは、誰にも否定させない」
1988年の冬、エレナは執務室の窓から、最後の雪景色を眺めていた。
マリアが静かに部屋に入ってきた。
「お母様、もう十分です。どうかお休みください」
エレナは首を振った。
「まだよ、マリア。私には、まだ伝えなければならないことがある」
そして、壊れた懐中時計を取り出した。
「この時計を受け取って」
マリアは、震える手でそれを受け取った。
「この時計は、永遠に3時15分を指している。それは、純粋な愛の時間。私が失ってしまったもの。でも、あなたなら……」
エレナの言葉は、激しい咳と吐血に遮られた。
1989年3月15日、春の訪れを告げる風が吹く中、エレナ・ミハイロワ・ラドニックは静かに息を引き取った。
●第7章 永遠の花園
エレナの死後、コルドビアは大きな転換期を迎えた。
「遺産計画」に基づき、段階的な民主化が進められた。
しかし、その過程は必ずしも平坦ではなかった。
エレナの評価を巡って、国論は二分された。
ある者は彼女を「冷酷な独裁者」として批判し、ある者は「国家の母」として称えた。
真実は、おそらくその両方の間にあった。
エレナの死から10年後、マリアは母の日記を公開する決断を下した。
その中には、こんな一節があった。
「私は時計の針のように、ある時点で時を止めてしまった。それは私の理想を守るためだった。しかし、現実の時間は容赦なく流れ続ける。その狭間で、私は生き続けてきた」
2010年、コルドビア国立図書館に「エレナ・ラドニック記念室」が開設された。
展示の中心には、あの壊れた懐中時計が置かれている。
永遠に3時15分を指す針の下には、エレナの最後の言葉が刻まれていた。
「愛は、時に影となって人を苦しめる。しかし、その影があるということは、光が存在している証」
時計の横には、一輪の白いバラが添えられている。
それは日々、新しい花に替えられる。
まるで、エレナの愛が今なお生き続けているかのように。
(完)
【架空歴史短編小説】永遠の3時15分 ―慈愛という名の独裁―(約8,600字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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