*3*

「美津季。起きなさい」

 チリーン

 風鈴が涼しげな音をこだまさせている。

 練習の疲れか、私はリビングのソファーにもたれたまま眠ってしまっていたらしい。

「もう、遅いわよ。お風呂に入って寝なさい」

 お母さんだ。

 言われて見ると、時計は十二時を過ぎていた。

「ふゎーい」

 私はあくびを一つすると、服を脱いで浴室に向かった。


 おフロは好きだ。

 塩素のニオイが残る体を、シャワーで洗い流す。

「ん、ふふふ~ん」

 鼻歌。なぜだか今日はのどが鳴るなあ。

 うん、悪くない。昼間の嫌なことも忘れてしまう。

 湯船にかけられたふたをくるくると巻いていくと、たっぷりの湯面が顔をのぞかせる。


 と、その時だ。

 頭のどこからか声がした。


 と・び・こ・み・た・い!


 ――バカみたい。これから湯船につかるのに、なにも飛び込まなくたって!

 私はそのおかしな気分に返事をした。


 だから、と・び・こ・み・た・い!


 いや、水跳ねちゃうし、いつものとおり右足からゆっくりはいろうよ!

 私は湯舟に入ろうと、体を動かそうとした。

 なのに。


 い・や、ま・だ・よ!


 声が私を引きとめる。

 なんとなく、なんとなくわかるよ! 準備が足りないんだ。

 はやる気持ちが私を駆り立てる。

 私は青キャップのカランに手をのばして、めいっぱいひねった。

 ドボドボドボ、水が湯船に入ってゆく。


 そ・う。熱いもん・ね。ワタシが入るには。


 うん、納得。

 目の前の水面はいつも以上に気持ちよさそうだ。

 ドボドボ入る水音すらも心地いい。

 ああ、もうそろそろ!

 私は湯船に手を入れると、そのままお湯をかき回す。

 うん、ちょうどいいぬるま湯だ。

 いけぇ!

 心踊る気持ちでワタシは跳ねる!

 ワタシは、私の制止を振り切って湯船の中に飛び込んだ。

 ばしゃーん。

 水でうめた湯船からは、ハデにお湯があふれてく。

 どぶん。ぶくぶくぶく。

 ああ、幸せ! やっと落ち着いた。

 私は満たされた気分で水をひと掻きした。

 なんだかとってもたのしい気分。

 

「ええっ?!」


 ちょっとまって、私、おかしくない?

 湯船のふたを取ってからの自分の行動。

 どう考えてたっておかしいよ!?

 どくん。

 鼓動がした。

 おかしい、おかしいよ!

 思考はぐるぐるして、何が起きているのかわかっているのに、なにもわからない。

 どくん。鼓動がさらに大きくなる。

(……手?)

 頭の中でささやく声に後押しされるように、私は湯船から両手を出した。

 生命線が大きく蛇行するちょっと気に入らない手相。間違いなく自分の手だ。

 ピンク色の細い指が十本。

 何の変哲もない女の子の手──じゃない!?

 指先に、今まで見たことがないモノがくっついている!?

 バスルームの明かりにつやつや光る丸い玉。

 なに? これ!?

 確かめる間も無く、その指先が、見る見る鮮やかな黄色に変わっていく!

(え、えええええええっ!?)

 驚きすぎて、声も出ない。

 目を丸くしながら見ているうちに、その変化は、手首から、ひじ、そして、二の腕へと広がっていく。

(ちょっ…と、まっ!)

 そこから先は、もう一瞬!

 ざぁーっ。

 さざ波のように、肩から、背中を通って、脚、おなか、そして、胸へと波紋のように伝わってく!

(うわわわわわっ)

 さざ波は、私の体を目茶苦茶に駆け巡ったあと、首から顔を通り、最後は鼻先へと抜けてった。

 余韻が水面のようにからだの隅々で弾けている。


 ……今の気分?

 ────悪くない。

 むしろ、なんだかハマったみたいに落ち着いている。

 いや、そんな気持ちになることのほうがおかしいって!

〝何か〟が起こったのは間違いない。

 その何かは、どう考えたって困った事に違いない。

 目を瞑ってさざ波を耐えていた私は、その何かをまだ目にしてはいない。


 私は深呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。

 ――ああ、やっぱり。

 真っ先に視界に入った鼻先が起こったこと伝えてくれる。それは人間の皮膚というにはおかしすぎる色をしていた。

 ……黄緑色。

 目の前の湯面から頭を覗かせるひざ小僧も、見事に黄緑色に染まっている

 水の中で体が喜んでいる。

 全てが、この水の中にベストフィット。

 正しく、あるべき状態。

 正しく、おかしい状態。

 OK。よく、わかった。理解した。

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2024年12月22日 12:11
2024年12月22日 17:17
2024年12月22日 20:07

カラ梅雨!美津季 〆野々青魚-Shimenono Aouo @ginrin3go

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