*2*

 気が付くと、私は弥子先生に助け上げられていた。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です」

 おぼれていたのは、ほんの数秒のことだったみたいだ。

「ヨシ、ヨシ。泳ぎはどうしようもないけれど、根性だけは誉めてあげる」

 そう言って弥子先生は、私の背中をポンポンと叩いた。


「ホント、良かったわ。不祥事は困るのよね。みんなインハイには出たいんだし」

 後ろから声がして、私は思わず振り返った。

 同じ学年の明原美森あけはらみもりさんだ。

 この水泳部期待の新人はどういうわけか、事あるごとに私に突っかかってくる。

「こーら、明原!」

 ぽんと頭をはたきながら弥子先生がたしなめる。

 気が付くと私の周りには、他の水泳部員達が集まって来ていた。

 と、いうことは──

「とにかく無事でよかったね」

 やっぱり!? 一之瀬先輩だ!

「本当に保健室、行かなくて大丈夫?」

「い、いえ、大丈夫ですから」

 いや、全然大丈夫じゃない! 先輩の前でこんな大失態。

 今すぐにでもそこの排水溝から流れてしまいたい。

「先パーイ。泳げないのに水泳部に入るって、非常識ですよぉ」

 ひっどい! 明原さんが追い討ちを掛けてきた。

 そもそも私がここに入部したのは、先輩がすすめてくれたからで……

 そこまで考えて、自分の思い上がりに気が付いてがっくりした。

 そうだ。

 強化選手の一人である先輩も、明原さんと同じように迷惑に思っているに違いない。

「そんなことはないよ、明原さん!」

 先輩の言葉に、私は驚いて顔を上げた。

「誰でもうまく泳ぎたいって気持ちを持つことは悪いことなんかじゃないよ!」

 そう言って先輩は頬笑んでくれた。ああ、やっぱり先輩は最高です!

 私は感動に胸を詰まらせながら、先輩に精一杯の笑顔を……

「一之瀬! 明日の計測順だけど見てくれないか?」

「はい! 今行きます」

 男子顧問の先生の声に、先輩はさっさと行ってしまった。

 ──無念。

「ふん。まあ、明日の記録会ではせいぜい笑ってあげるから、がんばることね!」

 そう言うと明原さんは、高笑いしながら更衣室のほうに歩いて行った。

 そりゃ、明原さんから見れば、私なんてプールに浮く木の葉のようなものだろう。

 邪魔だって言われたら、ハイ、そうですかとしか言いようがない。

 それにしたって言い方ってものが………って、記録会?!


 私は、そこで記録会のことを思い出した。

 明日はインハイの地区予選の選手を決める記録会があるのだ。

 そりゃ、私なんか論外だけれど、記録そのものは全員測る事になっている。

「退部の話しわすれちゃった……」

 周りを見回したけど、弥子先生はもういない。

 記録会の前に退部したかったんだけど……。


 ──うまく泳ぎたいって気持ちを持つことは悪いことじゃない。


 先輩の言葉に応えられそうにない自分と、がんばってきた自分を見てもらいたい気持ちがぐるぐるする。

 5メートルも泳げなかった私が、何とか25メートル泳げるようになったのは先輩のおかげだと思う。

 ああ、我ながらなんて不純な部員なんだろ?

 もう、いいや。明日の記録会で、華々しく散ろう。

 記録より、記憶に残るんだ(先輩の)。

 私は気持ちがくじけないようにプールから目を逸らしながら、更衣室に向かった。

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