*1*

 ばしゃばしゃばしゃ。

 ロープで仕切られた半分にも満たないコースで、足をバタつかせながら私は進む。

 周りを見渡せば、私のような派手な水しぶきはどこにも上がっていない。他の部員は黙々と、インターバルのメニューをこなしている。

 このプールでビート板を使っているのは、私、川原美津季みつきだけだ。

「ホラ、もうちょっとしっかり!」

 顧問の秋津弥子先生の叱咤が飛んでくる。

 だけど『ハイ!』と返事ができる余裕はない。

 あーあ。

 なんで私、水泳部こんなとこにいるんだろう? まともに泳げもしないのに……。

 ウチの高校、高山高校の水泳部は、インターハイに出場する選手を毎年出している名門部。

 ハイ、そんなこと、入部するまでまったく知りませんでした。

 なぜなら、私がここに入部したのは、天然ボケの方向音痴と不純な下心の産みだした偶然の産物だったから。


『入部希望?』

 先輩と目が合ったのはその時だ。

 その優しそうな瞳を見て、バスケ部の部室に入ったつもりだった私は、思わずうなずいてしまった。


 ばしゃばしゃばしゃ。

 やはり前には進まない。

 頭に浮かぶのは、一之瀬先輩がくれたステキなアドバイス。

『水は恐れて遠ざけるような怖いものじゃないよ。水は優しいんだ。』

 って、一之瀬先輩。

 あなたのどこか抜けたようなお言葉は、私の体は理解できないようです。

 ……もうダメ。

 孤独感に、気が滅入る。

 こうやってわざわざコースを区切ってもらって一人で占領するのも、一之瀬先輩にみっともない私の泳ぎを見られるのも、何もかもがイヤだ。

 悔しいけれども、退部しよう。

 前に進まないストロークを続けながら、顔を水に浸ける。

 ゴーグル越しに見える青いセカイは、梅雨晴れの日差しの網目模様で揺らめいている。

 私は胸の想いを水中に吐き出した。

 ぶくぶくぶく。

 それは小さな泡になって、頬を伝って行く。

 ――その時だった。

 私の鼻先を〝そいつ〟が、かすめたのは。

 そいつは、私の起こす大波のなかで華麗にストロークを極めている。

 なんだろう? 水かきのある──脚?

 そう思ったときには遅かった。

 もがもがもがもがっ!

 呼吸をしようとして、すっかり忘れていた。顔を上げるのを。

 吸い込んだ水が気管のほうへ流れて行く。

 

(やだ、私まだ死にたくない!)

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