005 すれ違いと出会い④
アリアは事態の不可解さに頭痛を催す。父に貸した肩と反対の腕で頭を押さえた。
二人に増えた父。階段にいた一人に襲われ、もう一人は泥に塗れ立つことすらままならない。トロワは何かを知っている。じゃあ、彼の言っていた旅とは? いや、今はそんなことより――、
止めどなくこみ上げる雑念を、頭を振るい消し去る。
「――逃げなきゃ!」
今一度、肩にへばる父を揺すり喝を入れる。
「お父さん、しっかりしてよ! 大人でしょ!」
未だなお目の据わった彼は、譫言のように呟いた。
「――だ、れ?」
「……は?」
耳を疑った。
「なに、……言ってるの?」
「誰……だ?」
「目、見えないの? それとも、分からないの? 私だよ? アリア、お父さんの子供のアリアだよ……? お父さんと……、ダリル・アルテュセールとカルナ・アルテュセールの娘、アリア・アルテュセール!」
確かに目は合っていた。生気は無くても、確かに焦点は合っていた。それでも、
「――誰なんだ?」
言葉は変わらなかった。
視界が揺れた。息が詰まる。胸が痛む。首筋が冷えて、喉が、目の縁が熱い。全身の力が抜ける。
アリアはその場に座り込んだ。
「……なにが、……なにがどうなってんのよォ!」
薄暗く埃臭い天文台跡の中でアリアは嘆く。
だが、
「――うあぁぁァ!」
それと同等の断末魔が外から響いてきた。
「――ヒッ!」
何かが地面を跳ねて転がる。
アリアは扉を恐る恐る開けた。
そこには満身創痍となったトロワがいた。紺色のコートは土で汚れ、握られたホウキは最早武器と呼べるほどの長さも無い。咳き込み荒い息をし、うめき声を上げ転がると、肋骨を押さえた。
「トロワ君! ――あぁ!」
巨影が上がってくる。
それはまさしく怪物だった。
全身を包む灰色の毛皮に、腕部の所々から突き出た鈍色の岩石とチューブ状の何か。三メートル近い巨体は、人の、いや、猿の姿を模している。
煌々と輝く野性な瞳が、アリアを捉えた。
「い、いや……」
一歩、また一歩と怪物が近づいてくる。
「――おい!」
トロワは怪物にホウキの残りを投げつけ叫ぶ。
「お前の相手は僕だろ……!」
彼の啖呵には虚勢の色が滲んでいた。体を支えるだけで精一杯の脚は、肩で息をする度にバランス崩している。
そんな彼に、怪物は標的を変えた。
――ダメだ。
このままではトロワ君は殺される。そしたら次は私たちだ。いやだ……、死にたくない! 逃げる? でもそうしたらトロワ君が死んでしまう。それもいやだ! 考えろ、全員が生き残る方法を。何か、何か武器は――、
「――ある!」
そして、それを扱う腕もアリアは持ち合わせていた。
「祭事の弓矢!」
アリアは天文台跡の中にあるガラス製のケースを睨んだ。中には、コンポジットボウとジュラルミン製の矢が五本立てられていた。
これさえあれば。
アリアはブリキ製の塵取りを振りかぶる。
「このぉ!」
ケースを叩き割り、矢を番え構えた。
目標は怪物の目玉。生物であるのなら、視界を奪えば逃げられる可能性は格段に上がる。小さな的ではあるが、五本もあれば十分だ。
だが、一つ問題がある。
「チッ! あの角度じゃ狙えない!」
そんな時だった。
「――何やってるんです! そんなのじゃ無理だ、早く逃げなさい!」
トロワが吠えた。
「うるさい! 私の勝手よ! 生き残ることだけ考えなさいよ!」
刹那、怪物がアリアの方を見た。
「――! 今だ!」
一閃を放つ。
発射時の反動で歪んだ矢は、錐揉み回転とともに安定し伸びきる。本来、軌道は放物線を描く筈だが、今回は違う。強弓を耳元まで引き切っていため、直線に、高速に飛翔する。
その矢は吸い込まれるように、確かに怪物の右目を射止めた。
「――よし、次!」
再びアリアは矢を番える。だが、次の瞬間。
「グオォォ!」
唸りとともに、怪物が拳で地面を抉り、土砂と礫を飛ばしてきた。
殺人的な量ではあったが、少々掠める程度でアリアに当たることはなかった。しかし、奴の狙いはアリア本人ではない。本命は、
「そんな、まさか……」
天文台跡だ。
攻撃に耐えきれなかった天文台跡は崩れ始めた。落ちてきた瓦礫がアリアを襲う。
――ドン!
「――え?」
アリアは何かに突き飛ばされ。アリアは突き飛ばした者の手を知っている。見えずとも分かる。間違えるはずがない。それは、
「――父さん!」
彼はアリアを庇い、弓矢と共に瓦礫の下敷きになった。半身が挟まり、もう逃げることは叶わないだろう。
「に、げろ……」
「そんな……」
潰せたのは片目のみ。弓矢はもう無い。全員で逃げるという望みも、もう無い。
「――ぐあぁぁァ!」
トロワが吹っ飛んできた。地面を転がり、瓦礫にぶつかって止まった。
「クッ! 逃げろと言ったでしょ! まだ間に合います、早く!」
「でも父さんが……」
瓦礫は重く、きっと二人でも退かせきれそうにない。
「逃げ、ろ」
父を見てトロワは呟いた。
「……なんて人だ。運動記憶すらほとんど奪われているのに、自分の子供を助けようとするなんて」
「――記憶?」
「えぇ」
怪物を見据え、トロワは語り始めた。
「この人は記憶を奪われたんです。そして、その記憶は、」
「あの、化け物に?」
「はい。あいつは記憶と金属を混合して作られた兵器。名をエンブリオ。疑似生物兵器で錬金術によって作られたものです」
「ちょっと待って」
事のおかしさにトロワを否定する。
「錬金術って、化学の本来の名称でしょ? そんな魔法みたいなことできるわけないじゃない!?」
「実際できてるんですよ。ほら、当たったはずの矢はどうなってます?」
ジュラルミンは銅やアルミの合金だ。金属製なのだからもちろん硬い。
だが、そんなジュラルミン製の矢は粘土のように柔らかく蕩けていた。小さく形を変え、最終的にはエンブリオの中へ取り込まれていった。
潰された目は完全に治り、双眸でアリアたちを睨みつける。
「うそ……」
「これが現実です」
「ねぇ、私どうすればいい?」
トロワは笑った。
「もう逃げなくていいですよ」
「え?」
「逃げなくていい、そういったんです。ここでじっとしていてください。さっきはありがとうございました」
「な、なによ。まさかここで死ねって言うの!?」
トロワは立ち上がりアリアを見下ろした。
「いえ、素直に感謝してるんです。なんせ時間が稼げたことで――」
走り寄ってきた一匹の白いネズミがトロワの身体を駆け上った。
「――反撃の手札が揃ったんですから!」
刹那、トロワの左手の中でネズミが短剣へと姿を変える。刃渡り三十センチ程度のそれは、白銀と黒の木目模様と、S字に波打った刀身をもっていた。
トロワはエンブリオへと歩みを進める。余裕の笑みを浮かべ、短剣を構えた。
奴は彼へと右腕による横薙ぎの一撃を放つ。
「――フッ!」
トロワは跳躍し回避した。伸身を翻しながら斬撃を加える。そして、着地と同時にもう一撃放ち、肘の肉をそぎ落とした。
受け身のために地面に刀身と突き立て、回転を殺す。
「……土の水分を気化、急冷開始!」
すると、引き抜いた刀身が霜によって白く染まり始めた。
露出した膝関節に刃を突き立て再び唱える。
「刀身の表層をナトリウムに変更、発熱開始……」
突如、突き立てた箇所から白煙が上がる。
「――爆ぜろ!」
橙の閃光を放ち、肘から先を吹き飛ばした。
「グガッ!? ガァァ!」
欠損に動揺したエンブリオは、残された腕で突きを放つ。だが、所詮は破れかぶれにすぎない。冷静さを失い、アンバランスな状態で下手な攻撃を放てば、隙が生じる。
短剣で機動を逸らされ体勢を崩し、つんのめる。
それをトロワは狙っていた。
「――終わりだ!」
刀身を伸ばし、喉から頭頂部へ向けて突き上げる。刃は顎の骨を縫い、頭蓋を貫いた。
「グガッ、グゥゥゥ……」
エンブリオの全身から力が抜け、変質を始める。赤錆色の粘土質な塊へと変わり、崩れ落ちていく。
短剣を引き抜くと、砂のような粒子へとなり、風に吹かれて消え、二つの金属片が残された。
一つは変形した矢の残骸。もう一つは指輪だった。
「あんた、いったい何者なの……?」
アリアは問う。
「僕は――」
振り返りトロワは答えた。
「僕はトロワ・レイヴン。エンブリオを狩る、国家に秘匿された裏の錬金術師です」
次の更新予定
2024年12月21日 10:00
Orphans in the Glass tube ―国家秘匿の錬金術師は記憶の奪還戦に挑む― @manerunuko
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