004 すれ違いと出会い③

 メインストリートを抜け、住宅街をこえると、急に緑が増える。

 先ほどまであった砂ぼこりの匂いも、徐々に湿った土と枯れ草の匂いが混じり始める。舗装も簡素になり、飛び飛びのタイルの隙間を砂利で埋めてはいるが、所々雑草が頭を出していた。

 うねりうねった坂道を登り、土と丸太で作られた二又の階段登りきると、丘の頂にある広場へとたどり着く。

 霊園を訪れた者の憩いの場であるこの広場に、正式な名前はない。だが、現地住民にはこのように呼ばれていた。


 ”天望広場“


 その名前の由来は、


「あれって、何です?」


 金色の芝生にぽつりと佇む建物を指差し、トロワは尋ねた。

 円柱状のそれは、頭一つ分もの大きさの丸石を粘土で繋ぎ、そこに木製の扉を取り付けたという古めかしい塔だ。高さは大きく見積もっても三メートル程度しかない。


「あぁ、あれ? あれはね、天文台の跡。百年くらい前からあるんだって」

「天文台、ですか」

「そ。でも、今は老朽化のせいで登れなくなってね、霊園の掃除用具入れになってる。あと祭事道具の保管庫かな」

「へぇ~。因みに祭事って?」

「あと四ヶ月後ぐらいにお祭りがあって、春の訪れを祝うとともに、厄払いと商売繁盛を願って矢を射るの。で、実はね、去年それやったの」

「え、アリアさんがですか?」

「そう。せっかくだからさ、その弓見てみない?」


 その言葉にトロワは目を輝かせた。


「良いんですか?」


 ここまで反応がいいと、どこまでも期待に応えたくなる。


「もちろん!」


 アリアは天文台跡の扉を開け、入ろうとした。だが一歩目でその足はピタリと止まった。

 誰かいる。

 半開きの扉から様子をうかがうと、一人の男がいることが分かった。服は汚れ、髪は乱れ、横たわった体をうわ言とともにひねっていた。


 きっと浮浪者だ。


 アリアは扉を閉めた。


「あ〜、ごめん。なんか先客がいるみたい。代わりに景色案内するから、行こ?」

「……? あ、はい」


 きょとんとしたトロワを連れ、景色の見える場所へと移動した。

 そこには、いかにも手作りですと言わんばかりの、頼りない木製の手すりがある。転落防止とは言え、こんなものに近づきたいと思う者はそうそういないだろう。

 だが、身を乗り出してでも見たい絶景が、そこにはあった。


「……わぁ!」


 分かりやすい感嘆の声がトロワから上がった。

 広がる白と橙の街並みと、霜の降りた雄大な麦畑、さらにその先の村や切り立った山脈すら見渡せた。


「……すごい、すごく綺麗です!」

「でしょ? 墓参に来た人は必ずこの景色を見て帰るの。私は弔う人もいないけどお気に入りなんだ、ここ」


 アリアは笑いながら言った。だが、すぐに眉尻を下げて続ける。

 

「でもお父さんには、ここには行くなって言われてるんだよね。場所も場所だし、あとこの間の雨で……。って、君、そっちは――」


 ――ズルッ。

 短く上がったトロワの声とともに、彼の背縮む。いや、崖の向こう側へ半身が滑り出ていた。すんでのところで手すりの足を掴まなければ、崖下に広がる十字架の仲間になっていただろう。


「そっちは雨の影響で少し崩れてるって言おうとしたのに」

「あの、そういうのは早く言ってもらえます?」


 トロワは差し出された手を取り、立ち上がった。


「ありがとうございます。霊園って墓場のことだったんですね……」

「ん? 何か言った?」

「いえ、なにも」


 体についた土を払い、息を整え、再び景色を眺めた。すると、トロワの目に、ある光景が飛び込んできた。


「……アンファース村」


 雄大な景色に開いた一つの空白。

 焼け焦げた廃墟の群れは、絵画にポッカリと開いた黒い穴のようだ。


「アリアさん……」


 トロワの声はどこか沈んでいた。


「アリアさんのお父さんって、優しい人なんですね。」

「え、何急に?」

「いえ、ふとそう思っただけです」

「……? まぁ、確かに? 優しいと言えば優しいけど、それに対してマイナス要素が多すぎよ」


 アリアはムスッと頬を膨らませる。今朝方のイラつきがぶり返してきた。


「部屋に入るときノックしないし、デリカシー無いこと言うし、今でも子供扱いしてくるから距離近いし、あとヒゲなんかたまにしか剃らないからそれが痛いのなんの! ……何ていうか、こう、ウザくてしょうがない。そんなヤツ」


 帰ったら何て言っやろうか。沸々と沸き上がる怒りだったが、


「そうなんですね。じゃあ、」


 トロワの一言にかき消された。


「お母さんの方は?」

「――あ」


 一陣の風が吹いたように、身体が冷え込む。

 そうだった。今日は誕生日なのにお母さんが帰ってこない。もう、何年も、何年も。


「えっと、ごめんない、変なこと聞いて」


 察したトロワに、アリアは首を振る。


「ううん、いいの。いや、寧ろちょっと、聞いてほしいかも……」


 出会って大して時間も経ってないのにこの話をするのはおかしい。そんなことはアリアも重々分かっている。自分勝手で恥知らずなことも。だが、なぜだか彼には話してもいい。そんな気がきた。


「何から話せばいいか……。そうね、実は私、今日が誕生日なの」

「え、あ、……おめでとうございます」

「……ありがとう。でもクリスマスでしょ? だからお父さんがくれるプレゼントは一つでさ。毎年それが少し不満だった。でも、お母さんは二つくれるんだ。一つは物で、もう一つは一緒に居てくれることで。今はどっちも貰えないんだけどね」


 手すりに寄りかかる。見たくもないのに墓が視界に入ったので、そっと目を伏せた。


「お母さん研究者でね。錬金術の、化学の。どれだけ熱中できる研究科は知らないけど、もしかして忘れてるのかな? ううん、忘れてるだけのほうが良いのかも……。だってさ、手紙だって送った。でも帰ってこなかった。もし何かの事故に巻き込まれて死んでいたんだったら、私、どうすればいいんだろう?」


 手すりの上で組んだ腕に頭を埋め、今までため込んだ不安が言葉となって溢れてくる。


「アリアさん、まだ死んだと決まったわけじゃないんでしょう? 生きてるかもしれないんですよね? じゃぁ、もし帰ってきたらどうしたいですか?」

「帰ってきたら……」


 そういえば一度も考えたことが無かった。

 鬱々とした気持ちで凝り固まった頭で、なんとか前向きに思考する。なかなか言葉としてまとまらなかったが、いつの間にか呟いていた。


「帰ってきたら、きっと手が出ちゃうかな……。どうして帰ってこなかったのって、なんで何も言わずに消えたのって。何回も、何回も叩いて……。もうどこにも行かないでって、絶対に、もう二度と離さない、かな……」

「……分かりました。もしよろしければ僕、アリアさんのお母さん探しますよ」

「……本当?」

「えぇ、でもその前に。ほら、聞こえてきません?」


 二人は耳を澄ませる。

 遠くから、具体的には丘の下から、アリアを呼ぶ声が聞こえてきた。


「この声、アリアさんのお父さんじゃないですか?」


 確かにそうだ。

 この聞き馴染みのある声をアリアが間違えるはずがない。心配そうな、必死そうな声は、まさしく父の声であった。


「今朝と今の状態を鑑みるに、喧嘩したんじゃないですか? それでも、アリアさんのお父さんは探しに来てくれた。お母さんの件はまた後で聞きますから、今はあるものを大切にしたほうが良いですよ。さぁ」


 頷いてアリアは父のもとへ歩いて行った。


「さて、僕も現状を何とかしないと」


 一つ伸びをすると、トロワはふと思い出す。

 そういえば、祭事の弓とやらを拝んでいなかったと。

 鼻歌交じりに、トロワは天文台跡の扉を開けた。



     ◇◆◇◆◇


「アリア! よかった、もう会えないかと思ったぞ!」

「ごめん、お父さん……。急に出て行っちゃって」


 広場前の階段中腹。父とアリアの二人は帰り道を辿っていた。


「なぁに、本来謝るのはこっちだ。 親の心子知らずとは言うが、逆もまた然りだろ? 分かってやれなくてごめんな」

「ううん、私も。急にカッとなってごめん。悪い癖だよね」

「おいおい、朝も言っただろ? 『お前らしくてよろしい』ってな」


 「にしし」という父の笑いにアリアの緊張の糸はほぐれていった。


「でも、ここには来るなって言っただろ?」

「あはは、寂しくなっちゃうと、つい来たくなっちゃうから」


 やれやれ、と父はため息を吐いた。


「いい? ここは墓場。縁起がよくないの。それに、手すりのとこ崩れてただろ? 広場から落ちて怪我なんてしたら、お父さん年甲斐もなく泣いちゃうからな?」

「ごめん、控えるようにするよ。確かにあそこ崩れて危なかった――」


 その時、アリアの中で何かが引っかかった。

 今、なんて言った?


「……お父さん? もしかして一昨日あたり、ここに来た?」

「ん? どうして?」

「いや、だって一週間前に来たときは崩れてなくて、今日来たときは崩れてた」


 二人は立ち止まった。


「ねぇ、どうして知ってるの?」

「……」


 振り返った父の顔はどこまでも無表情だった。生気を感じないほどに。

 アリアは息を飲み、後ずさる。


「お前がその真実に到達することは、」


 刹那、父はアリアに掴みかかった。


「――決してない!」


 掴まれた腕がミシッと悲鳴を上げる。


「いや! なによ、離してよ!」


 その時だった。


「アリアさんから――」


 頭上からトロワの声が響いた。


「――離れろォ!」


 全体重と落下の威力を乗せたホウキによる打撃が、父の腕の骨を砕いた。


「その顔、やっぱりそうだ! アリアさん、倉庫内の人を回収して逃げてください!」

「ト、トロワ君!? いったい何が――」

「説明してる暇はありません、早く!」


 トロワは、先ほどの打撃で半分に折れたホウキを構え、アリアの父を見据えた。

 父はその場でうずくまり、身体の端々が蠢き始めた。


「……あ、あぁ」


 事態が飲み込めず困惑するアリアに、トロワは叫ぶ。


「――早く行け!」


 アリアは走った。

 恐怖で頭が仕事を放棄しても、これだけは分かった。ここは危険だ、今はトロワに従うべきだと。

 天望台跡の扉を閉め、もたれ掛かって息を整える。

 酸素が肺と脳に回ると、急激に思考が加速した。

 いったい何が起こっている? さっきのは? トロワは何か知っているようだった。いや、今はこの人を連れて逃げることだけを考えよう。そうするべきた。


「早く、立ち上がって……」


 この緊急事態、汚いとか不潔とか贅沢を言っている暇はない。浮浪者に肩を貸し、立ち上がらせようとした。だが、


「――え、そんな、うそ」


 浮浪者の顔を見て、アリアは絶句した。


「なんで、父さんが、ここに……?」

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