003 すれ違いと出会い②

 この時代、旅人は特に珍しいものでもない。

 錬金術、もとい科学の発展は目まぐるしく、今から約120年前に機関車が普及し、人の往来と開拓は突如として加速した。秘境は観光地となり、平地は住宅地となっていった。

 このベルスーズ市街はどちらかというと後者ではあるが、独特な起伏が織りなす街並みと鉄道が通っている田舎ということもあり、前者としての要素も若干はある。

 散歩ついでに、住宅地へ迷い込んだ旅人を観光向けの商店街へと案内することもアリアの趣味の一つであった。


 だがそんな日々でも、会ったことのないタイプの旅人が目の前にいる。


「旅人って、君年齢は? 私と同じくらいじゃない?」

「え? あぁ、十七歳、ですかね?」


 明らかに若すぎる。


 路銀が無ければもちろん旅はできない。義務教育の終了は十五歳であるのだから、その蓄えはどこから? 何か特別な事情が?

 ぐるぐると思考が回りだした。

 自分探し? 一人で? 両親は?

 ぽつりぽつりと、とめどなく疑問が泡のように浮かんでくる。それを――


「あの……」


 トロワと名乗った少年の声に掻き消された。


「ふぇ?」


 気の抜けた声が出た。どうやら自分の世界に入ってしまっていたらしい。アリアは顔を赤らめ、すぐさま取り繕った。


「な、何?」

「ここで一番高い場所ってどこか知りません?」

「高い場所?」

「えぇ、こんなにきれいな街並みなんですから、ぜひ全体を見てみたくて!」


 トロワは、子供っぽく爛々と目を輝かせている。

 容姿と落ち着いた声音に対しては負釣り合いなそれに、アリアは眉をひそめた。だがすぐに、『この年で旅してるし、きっと事情ある。だからきっとそういう性格なんだ』と腑に落とした。


「そうなのね、分かった。でも……」


 最適な場所は知っている。しかし、それは高さはの話で、問題は立地だ。

 バツの悪さから素直に言葉が出てこない。アリアが言い渋っているうちにトロワは首を傾げた。


「でも?」


 間が持たない。

 あまりの気まずさにアリアの口は勝手に白状していた。


「……霊園の近くになっちゃうけど、そこでもいい?」


 言ってしまった。

 明らかに誤魔化すべきだった、と脳内で自分を何度も殴りつける。

 純真無垢に旅を楽しむ彼には明らかに悪手だった。きっと変なやつだ、とか人としてそれはどうだ、と思われているに違いない。

 罪悪感と羞恥心に苛まれ、顔を上げられずにいると、


「じゃあそこで」

「……え?」

「僕は全然構いませんよ。で、道順はどうなってるんです?」


 屈託のない微笑みだ。その真っすぐな瞳と人の良さに、アリアも笑みが溢れた。


「分かった。案内するから付いてきて」

「そんな、悪いですよ」

「いいから、いいから。ほら、早く!」


 アリアはトロワの手をとっては歩き出した。


「あ、ちょっと……」


 トロワは何か口ごもったようだったが、観念したように一つ息を吐くと、されるがまま歩みを進めた。



 ベルスーズ市街は大きく分けて二つのブロックに分かれている。一つは駅に通ずるメインストリートを中心とした商店街、もう一つはそれを取り囲うように造られた住宅街だ。

 そして、目当ての霊園がある丘は住宅地を抜けた東部に位置している。

 一応、先ほどまでいた位置から直行できるが、如何せんベルスーズ市街の道は入り組んでいる。一つ三叉路の進む方向を間違えただけで、袋小路やトンネルに迷い込むことも少なくない。

 そして何より、坂と階段の多さにすぐに足が棒になってしまう。

 故に現地民も、比較的平坦なメインストリートを多用する。


 現在二人はメインストリートを南下していた。

 軒を連ねる店々は、書き入れ時ということもあって個性豊かな看板で道を飾っている。

 だが、その熱意とは裏腹に人は疎らだ。

 クリスマス当日というのはそういうものである。

 また、駅まで一本道ということもあり、そよ風が看板を倒す強風に変わることもしばしば。


「――わっぷ!」


 一陣の風に嬲られた赤髪が、アリアの口に飛び込んできた。

 すぐさま吐き出してアリアはトロワの方を見た。


「やっぱ風強いね。大丈夫?」

「はい、でも結構冷えますね」


 と、トロワは右耳を擦りながら言った。


 まただ。トロワは先ほどからしきりに耳を触る。

 癖なのだろうか? 気になってアリアは問いかけた。


「耳、どうかした?」

「え? あぁ、最近寒いですから。ただの霜焼けですよ。霜焼け」

「そう? きつかったら言ってね」

「大丈夫ですよ。すぐ治りますから」


 そう言ってトロワは微笑んだ。


「うん、分かった。で、話ってどこまで――」


 もう一度風が吹いた。今度は柔らかく、優しい風だ。香ばしい香り、焼きたてのパンの香りが運ばれてくる。


 グゥ~。


 アリアの腹の虫が鳴いた。

 赤面し急いで腕で音を抑え、彼の方を見る。彼はポカリと口を開けていた。


 聞かれていた。


 今日はなんて踏んだり蹴ったりなんだ。

 そう嘆くように空を見上げると、太陽は真南に高く昇っていた。もう十二時頃だろうか。

 そういえば朝から何も食べていない。せいぜいホットミルクを少し含んだだけで、父は『昼も楽しみにしてろ』、と言っていた。

 ため息を吐き、唾を飲み込むと、


「いい匂いですね。ちょっと買って来てもいいですか。せっかくですからアリアさんも一緒にどうです?」


 気を利かせてだろうか、トロワは尋ねた。


「だ、大丈夫大丈夫。気にしないで」

「まぁまぁ、遠慮しないで。案内してくれるお礼です。じゃあ、ちょっと行ってきますね」


 そう言い残すと、トロワは路地へと消えていった。


「嬉しいけど、なんか悪いなぁ……」


 アリアは、トロワの消えていった角をぼーっと見つめ、呟いた。


     ◇◆◇◆◇


 メインストリートのとある路地裏。

 一人の男がいる。

 ヒョロリとした身体に、食いしばったような強面の風体は、狂人の様相を呈していた。

 歯の間から抜ける荒い息は、肩が上下するたびに高く短い音を鳴らし、開ききった四白眼の奥には、溢れんばかりの衝動が輝きとなって湛えられている。


 ――殺す。


 抑えきれなくなった欲望が口角を吊り上げる。

 誰でもいい。グルグルと回る視界とカラリと乾いた渇望を止めれられるのなら。


 そう思考しているうちに、一つ気配が近づいてきた。

 重いような軽いような。ただ、足が小さい事とご機嫌であることは分かった。小気味よく鳴る数枚のコインと、風靡く包装紙と箱の音。

 男は影からメインストリートを覗き込んだ。


 やはり、気配の主は子供だ。

 鼻歌交じりにスキップをする一人の子供。連れはいない。

 周囲に見ている者も、いない。


 さぁ、もっと近づけ。


 男の潜む路地まで、あと三歩。

 子供は男の気配に気づかない。


 二歩。

 

 男は唇を舐める。


 一歩。


 さぁ、来い。口を塞いで、骨一本一本をへし折ってから殺してやる。


 零――


「――何してるんです?」


 冷ややかな少年の声が、男の背後から響いた。


「――ッ!」


 男が振り向くと、そこには青髪の少年がいた。左手には一振りの短剣が握られている。


「な、なんだよお前。てか、物騒なもん持ってんじゃねぇよ!」

「それ、一番物騒な人が言います? いや、人じゃありませんでしたね」


 ――人じゃない。

 これほどまでに、現状を端的に表した言葉はないだろう。

 トロワは知っている。この男の正体を。この男の存在する原因を。


「何だよそれ。どういう意味だ、よ!」


 男は脇に積み上げられたガラクタを蹴り飛ばす。

 だがそれは、攻撃が目的ではない。トロワを確実に仕留めるための目眩ましであり、同時に二撃目のための時間稼ぎでもあった。


 巻き上げられた瓦礫の奥で、男の姿は変貌を遂げる。骨格ごと変わった右腕は毛皮に包まれ、鋭い3本の鉤爪が皮膚を破って突き出した。

 獣の腕。

 これであれば心臓を抉り出すことも不可能ではない。


(――もらった!)


 男は瞬時に鉤爪を突き出した。しかし、


「――え?」


 微かに軌道が逸れる感覚があった。ただそれだけで、今は最早なにも感じない。いや、空を切った感覚も、冷たい風も、腕に跳ねたであろう瓦礫の感覚も、全てがない。


 当たり前だ。男の腕は、肘から先が無くなっていたのだから。


 埃の煙幕が晴れると、切り上げの姿勢をしたトロワと目が合った。獲物を狩らんとする狩人の目と。


「ひッ――!」


 踵を返し逃走を図るが、トロワが許すはずもない。


 今度は両足の感覚が無くなった。

 無様に地面へ転がったが、それでも男は逃走を図る。だが、


「ぐぁァ!」


 唯一残った左腕をトロワは踏みつけた。


「何なんだよ……。何なんだよお前! 人甚振って楽しいか? どうせ楽しいんだろ、俺と同じでよぉ!」

「一つ一つ否定します。僕はこれが仕事ですし、このやり方が最適解なだけです。次に、さっきも言いましたが、あなた人じゃないでしょう? 現に血も出てないし」


 確かに男の体からは一滴も血は流れ落ちない。それどころか、切り離された手足は跡形もなく消え去っていた。


「クッ! じゃぁいいだろ!」

「はい?」

「確かに俺は人間じゃない。なら法律は適用されない。なんせ人のためにあるんだからなぁ。俺は野生動物みたいなもんだろ? なら本能に従って人殺すのも勝手だろ?」


 男は尻目にトロワを見ながら笑っていた。


「……ここまで狂ってると話になりませんね。でもよかった」


 刹那、トロワは男の頭部に短剣を突き立てる。


「あなたみたいなのがエンブリオなら、心おきなく倒せる」


 地面に縫い止められた男の身体は徐々に赤黒く変色し、粘土質な塊へと変わる。最終的には一つの金属片を残して塵となって消えていった。


「――さてと」


 トロワは立ち上がり、右耳にはめ込んだ通信機を押さえた。


「……やっぱり繋がらないか。電波が妨害されてる。でも、高い場所ならきっと」


 左手に携えた短剣を地面に放る。すると、短剣は一匹の白いネズミへと姿を変えた。


「モル、今回は周囲の警戒をお願い。たぶん付けられてる。何かあったらすぐ戻ってくるんだ。いいね」


 対エンブリオ用の武器であるネズミは小さく頷き、走り去っていった。


「よし、僕も行かないと」


 トロワはパン屋へと向かった。

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