第6話

 夜の車窓から、暗闇にぎらついたネオンが、ちかちかと目を誘う。


 何年経とうとも夜の街は、腰が浮いたような落ち着かない気分にさせる。

 夜の蝶とはよく言ったもの。まるで自分が光に寄りつくだけの頭の無い虫になったようで、まとわりつく不快感があった。


 国道に沿って車を走らせながら、気が急いて仕方なかった。

 まだ雨が降っていやがる。このままでは事故を起こさない自信が無い。



「くそっ、なんなんだ……」



 陽があるうちはまだ良かった。

 歩く人々の顔は前を向き、おれもそれに倣えば良い。それでも今日一日の収穫は散々なもので、原因は言うまでもない。


 付けっぱなしにしているラジオからは、聞き取れない言葉の歌が流れている。


 人気の若手バンドらしく、男なのか女なのかよくわからない声だと思った。

 譫言うわごとのような言葉の中、断片的な単語だけを耳が拾って脳みその中でハウリングする。


 ……気がおかしくなりそうだ。


 夜のパートまで数時間あった。

 陽はすっかり落ちてしまったが、まだ帰宅途中の未成年が出歩いてもおかしくはない。


 どこか店にでも入ろうか。おれは酒は飲めないが、二十四時間やっている飯屋も最近は少なくない。

 けれどそうなると、今度は車が邪魔だった。


 そこまで考えるとたまらなくなってしまって、おれは適当な路上脇に車を止め、背中を丸めてハンドルの上に覆いかぶさった。目を閉じ、大きく深呼吸に努める。




 ……落ち着かなければ。


 今この時も、見られている気がしてならない。

 人ではないものは、何も顔についた目玉だけでものを見るとは限らないということを、おれは身を以って知ってしまっていた。

 その気になれば、あいつらはどこまでもついてくることが出来るのだ。



 顔をあげると、自分の車がシャッターの降りた薬局の前に止まっているのが分かった。

 ひっそりと街灯だけが立っている道の向こう側で、ピンク色のネオンがきらきらしている。



(なんであいつは、いまさら……)





 克巳かつみは一見して、子供らしい子供だった。

 悪戯好きのお転婆で、そして同世代よりも飛びぬけて頭が良かった。


 それは成績だけの話ではない。老熟という意味での、『頭が良い』なのだ。 


 このおれは、それにすぐに気が付いた。 


 生い立ちや最期を考えると、あいつほど祟って怖いやつは、おれにとってはそういないのだ。

 少なくとも、血を分けた兄貴や母さんや、裏切った村の男どもよりも。

 もはやあいつらは、おれが人魚と因果で結ばれる前の奴らだからだ。



 克巳と、玖三帆くみほの経歴は似ている。


 あいつらの親は、どちらも集落を逃げ出して、下界で子供を産んだ。

 そのうち、死ぬか、育てきれなくなったかして、集落に子供だけで返されてきた。


 そういう親なしの子供は、集落では珍しくなかったが、玖三帆くみほは特別だ。

 あいつの母親は、おれが手を出した女だった。

 そのすぐ後に彼女は集落を出たから、もしかすると、玖三帆のやつはおれの種から生まれたのかもしれない。


 それでもおれが恨まれて怖いのは、克巳の方だった。

 それはきっと、克巳が巽と似ているからだ。


 巽がまだ、皺くちゃの婆あだったころから思っていた。


 克巳は、あの人魚に似ている。だから巽とも似ているのだと。



 冷めた目の子供だった。

 十になるかならないころから、一人きりであの一番の高台にある家を宛がわれ、十一の冬に十七の玖三帆がやってきた。親と妹が死んだから来たというのに、克巳は最初から笑っておどけて見せた。そして他人が楽しげにしているところを、観察するように冷めた顔をして見つめる。


 人の機微を学習しようとする。

 それだけに、あれほど熱心な生物を他に知らない。


 あいつは、誰が何で喜ぶかということを知りたがり、同時に、どうすれば一番嫌がるかも学んでいた。

 あの、昆虫の習性を実験するような目をして、じっと人を見つめる目。


 克巳が大人になれば、どんなに恐ろしい女になるだろうか。


 そんな妄執が、おれの胸にずっと蔓延っていたのは間違いない。


 だからあいつを殺す時だけ、はじめておれは躊躇った。

 あいつが人で無くなれば、どんなに怖いだろうと思ったから。


 けれど生きていれば、おれは狂っていたかもしれない。

 克巳は本当に、綺麗な顔をしていたのだ。あんな子供がただの人間であるほうが、おれにとっては脅威だった。



 あいつにとっては、おれすら実験台のひとつだったから。


 あいつの中に、おれはヒトという化け物を見たのだった。

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孕み人魚と惡の華 陸一 じゅん @rikuiti-june

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