本文(3/3)
それからしばらくして一週間後のこと。信じられないことが起こった。親友の家が火事で燃えてなくなったのだ。親友の両親は焼け跡から遺体で見つかった。子供が事故でいなくなった。それが原因で自殺したとされている。
(僕のせいだ)
私の心に突き刺さった十字架はより一層不覚に突き刺さっていた。誰も知らぬところで私は一人で怯えていた。私が親友を殺した。人殺しでしかもさらにまた二人が死んだのだ。
――そうだ。全てお前が悪いんだ。欲に駆られて冒険に出たお前が悪い。自分の都合で見捨てたお前が悪い。泣いた母親に知らんぷりしたお前が悪い。更に人が死んだのもお前が悪い。親友を殺したお前が全て悪い!!
心の奥底から私を糾弾する声はこの時から始まった。
それからの日々は酷いものだった。
私は故郷を親の仕事の都合で離れることになり、やがてその村は廃村となる。だが嫌な思い出は結局のところ、私の胸中に永遠に居座ることになり、それからの日々は重く苦しい日々だった。
親友を見殺しにした十字架は消えなかった。
親友殺しの私に親友などできるわけないとそれからの学生生活は孤独に過ごしていた。親しく話しかけられても汚いものを水に流すように生きていき、そうやって卒業までを過ごしていた。
やがて社会人になって工場勤務が始まっても変わらず、私は黙々と生産ラインで仕事を続ける日々を送っていた。目の前の事に集中するだけでまるで機械の一部になるようにして生きることで心の奥底の嘆きから耳を塞ごうとしていた自分がそこにいた。
――お前は結婚しないのか?
工場勤務を務めて数年、老いた父に問われた。無理強いはしないと言われたが結局いつかはばれるであろうその後悔が胸から消えない限り、私は結婚しないと決めた。人殺しの妻、息子、娘。いつかはそうやって呼ばれるであろうありもしない他人に気を配っていた。そうして両親が死んで一人ぼっちになって幾千もの夜を超えていった。
ある時私はふと思い立ってこの川の近くに足を運んでみようと思った。もしかしたら生きているのではと。しかし川の流れは絶えず変わらずそこにあった。
(もし、生きているのであれば報告や連絡があるはずだ。それがないということは……)
淡い希望か罪が消える瞬間を願って私はこの川にいつしか毎年足を運んでいた。親友が消えた日に。懺悔の言葉と共に。
ふとジーンズのポケットから一つのおもちゃを取り出す。ベーゴマと呼ばれる鋳物のおもちゃだ。三つ巴の文様が描かれたこれも、親友から譲ってもらったものの一つでよくこれで一緒に遊んでいたものだ。
「……ああ。もう五十年近く前か」
私の後ろを一台の車が通り過ぎた時、悠久たる時の流れに身を任せて流れた時間を思い返していた。すでに私は定年間近で退職までのカウントダウンが始まっていた。
「ごめんよ。見捨ててごめんよ」
涙を流す私に川は何も答えることはない。ボロが出始めた上着に色あせたジーンズ。顔は痩せこけて白髪も出始めたこのいで立ちこそ親友を見捨てた私にふさわしい容姿だろう。
(このまま飛び降りてしまおうか……)
「すみません」
突如横から声が聞こえた。いつの間にか私の隣に人がいた。男性だった。見た目は身なりがいいというのだろう。新品のジャケットにジーンズを履き、髪の毛も私と違って黒く若々しい。
「なんでしょうか?」
「その手のベーゴマ……もしかして――」
「え?……あ」
声のトーンというべきか、直感で分かった。あの日消えたはずの親友だと。
「あーやっぱり君か。おひさ」
開いた口がふさがらなかった。固まっている私に気さくにその親友は語りかける。
「……なんで生きてるの?」
「え?ああ何も聞いてない?君のお父さんから」
そして友人は全てを語った。私はいまだに固まったままだった。
「俺さ、家出したんだよあの日に。お前と別れてから。なんていうかさ、お前がいなくなってそれで嫌気がさしたって言うの?家帰っても両親にばれて怒鳴られて蹴られるだろうし、それで隣町までの道を夜歩いてたの。で、町についたら偶然クルマに乗っていたおじさんとおばさんに出会ってさ。事情をざっくり説明したらしばらく家に預けてもらえるって言ってくれてね。で、一週間くらいその家にいたんだよ。そしたら家の両親が死んじゃって。自殺って聞いてるけど多分どっちかがどっちかを殺して家に火つけたんだろうなっておじさん夫婦言ってた。まあ今となっちゃどうでもいいけどね。それで俺はおじさん達の子供になったの。戸籍とか細かいのは全部おじさんがやってくれた。それからは楽しかったぜ。田舎育ちだったから体力あってかけっこ早くてちやほやされて勉強だってお手の物。おじさん達はいい成績とった俺にいっぱいご褒美でおもちゃとか買ってくれた。その勢いで一流の高校入って一流の大学へ。仲間と楽しい生活を送れて幸せだったよ。そうそう。大学の友達の一人が今もテレビで映ってたりするんだぜ?俺も負けないようにいい会社に入って毎日汗を流して働いたさ。働いたお金でおじさん夫婦にご飯おごった時もあったよ。そうそう、結婚したときはおじさん夫婦にいっぱい祝福してもらえたよ。美人のかみさんが来てくれたって大喜び。会社も俺の成績よかったからボーナス沢山貰ってさ。さっきの車見た?あれも去年のボーナスで買ったのさ。ホント順風満帆ってヤツだ。それから、子供も二人授かったんだ。兄と妹で二つ離れてて。これがもう可愛いのなんので……」
――ああ、間違いない。目の前にいるこいつはあの時死んだと思ってた親友だ
昔、家に来た親友の父と同じように自慢話を機関銃のように話を繰り出す親友を私は止めることができなかった。死んだと思っていた人間が生きていた。それがなにより信じられなかった。
「お前はどうだ?元気だったか?おじさんには俺が生きてるって連絡してほしかったんだけど……その様子だと知らされてなかったみたいだな。いやあおじさんも人が悪い」
自分の楽しい思い出を語る口に私の身体は何か恐ろしいモノに包まれている気がした。
――私の半世紀以上の、いや私の十字架は偽物だったのか?
そう思った時、十字架は幻影となって消えて心の傷が癒えると思ったその時だった。
――じゃあ私の悔恨の人生は何だったんだ?孤独の学生生活は?誰も傷つけたくない理由で結婚を避けたのは?父と母に申し訳ないと思いながら生きていた人生は?お前への五十年以上の罪悪感はなんだったんだ?!
そうして私の人生がまるで走馬灯のように繰り出されている横で――
「なあ。大丈夫か?お前何があったんだ――」
親友に心配そうに声を掛けられた。
それからしばらくの時が流れた。一分、一時間。一日とまではいかないその合間。気づけば親友はいなかった。
(……え?)
初めはそう思った。川の流れがただ聞こえるだけで私は何か疲れているだけだと思っていた。
「……ん?」
両手は橋から川の方に突き出ていた。
「何やってんだオレ?」
ここ最近は特に疲れがたまっている。何分定年も近いので体力も何もかもが落ちている。とにかく家に帰ることにした。
「あー本当どうしたんだか」
真っすぐに駅を目指す私は曲がり角を曲がった。一台の黒い車が道路脇に止まっている。
「あ……」
違う。幻じゃなかった。現実だ!
車のライトが日光に当たってギラリと光る。まるでさっきの出来事をしっかりと見ていたぞと語っているようであった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それからは家に向かって真っすぐに走った。全身から汗を拭きだしながら。駅に着くと電車はまだかと左に右に首を振って電車の到来を待った。そして電車が付くとすぐに入って席についてまだかまだかと発車を待った。電車が動いて最寄り駅までにつくまでに私の心臓は激しく脈打っていた。そして電車が駅に着くとそのまま走って一目散に自宅のアパートを目指した。風になったようにただ駆け抜けた。駆け抜けた先のアパートに入るとそのまま自宅の部屋にまで走って入った。
――なんでアイツは生きてたんだ
そう思いながら私は部屋の布団に飛び込み、果て無き夜を怖がる子供のように布団の上で毛布で全身を覆ってただ身を潜めた。
あの日のように、私は後悔の念に苛まれた。
あの川には二つ目の後悔が流れ始めていた。
後悔流し 峰川康人(みねかわやすひと) @minekawaWorks
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