本文(2/3)
その日の夜。幼い私は家をこっそりと抜け出した。
両親はというとテレビに夢中で歌謡ショーの後に時代劇とそれらを立て続けにセットで見ていた。なのでそのまま真っすぐに家を出て川まで走った。時間は数分とかからなかった。
「お、こっちこっち」
夜。住宅の並ぶ通りを抜けて曲がりくねった道路を少し歩いた先に川はあった。道路から川に向けて設置された階段を下りた先に親友はいた。つば付き帽子を被っていた。
「蛍は?」
「ああ、あそこ――」
親友が指を差した先の光景に私が視線を移した瞬間、私の心は奪われていた。
「すっげ――」
「しーっ!大人にばれるって」
口を押えられて我に返る。ごめんと言って改めてその風景を見る。
川の近くにある茂みには無数の輝きが宙に浮いていた。淡い緑色の輝きを幼い私は何とたとえていいのかわからなかった。ダイアモンドのような宝石の見せる輝きとは違い、電気の輝きとも違うその無数の蛍が見せるその輝きに私はただ飲み込まれていた。
「な?すごいだろ?」
「あ……うん」
来てよかったと思っていた。この時までは。
「なあ。ちょっと近づいてみないか?」
「危なくない?」
「え、なんで?」
「だって近くに川流れてるよ」
「大丈夫だよ。茂みの反対側にまでいかなければさ」
そういって友人は茂みに近づいた。私もそれに続いた。茂みの中の蛍たちは私たちのような大きな存在が来てもただただ輝いており、変わらぬその輝きに私も友人も興奮していた。
「あ、見ろよあそこ!」
友人は今度は川の向こうにある森を指さす。そこにもやはり蛍はいた。しかもその茂みにいる数よりもはるかに多い。
「すげぇ……」
さらなる輝きの群れが私の心をとらえて離さない。
「行ってみようぜ」
「危ないよ。川の近くだよ?」
「大丈夫だって。あそこの水辺から渡ればいいよ。そこらが浅いからさ」
「でも暗いよ?」
「何言ってんだよ。カードあげないぞ?」
「……わかったよ」
渋々であったが私は川を渡ることにした。
親友の言う通り、浅い場所であった。靴が少し濡れたがそうやって渡った先でまた私たちは心を奪われた。
「うぉー……こりゃ凄いな。都会じゃぜってーみれねーよ!」
先ほどの川辺よりもっと多くの蛍が私たちを迎えた。辺りは都会のネオンサインよりも遥かに綺麗な光を灯し、それでいて喧騒もなく落ち着いた雰囲気がその場に満ちていた。
「でも都会のほうがまぶしいって聞くよ?」
「そのまぶしさとは違うさ。これはもっとこう……そうゲンソーテキってやつだ!」
「はあ……」
幻想的というのがよくわからなかったがとにかくその光景は素晴らしいものだとは思っていた。
森の奥に足を運ぶ友人。私は友人よりもその森の方に視線を奪われていた。蛍のいる周囲は確かに綺麗だ。でもその奥はただただ暗闇が広がっていた。
「危ないよ。もう引き返しなよ」
「大丈夫だって」
親友は冒険というのが好きだった。前の夏休みでも遠くに行こうとして住んでいる家から隣町まで自転車を漕いでいたのもので途中でおまわりさんに注意をうけてまるでつまみ出されるように家まで戻されていたのを思い出していた。ちなみに当然彼の両親にもその話は行き届いており、こっぴどく叱られたらしい。
「足滑らせたらやばいって」
「じゃあ帰れよ」
再三にわたる私の注意が気に食わなかったのか友人は突然火のついたように怒り始めた。その時になったらもうカードのことなんてどうでもよくて私は――
「じゃあ帰るから」
そう言って彼の近くから離れる。
「カードあげないぞ」
「いいよもう」
「臆病者め」
その言葉に間違いはなかった。私はとんだ臆病者だろう。それでも万が一、向かいの川に落っこちて死んでしまうのであればそれはそれでもっと嫌だった。
「ホントに帰るからね?」
「いいよ」
そっけない返事に幼い私はむっとして気が付けばその場を離れていた。
家に帰るのにはさほど時間がかからず、家の扉をこっそりと音を立てずに開けて両親のいる居間にそっと帰った。
「何見てるの?」
「歌謡ショーだよ。母さんの好きな歌手出てるぞ」
まるで初めから私はずっと家にいたかのように父に向けて問いかける。母はその近くでお茶を飲んで父と一緒にテレビの歌謡ショーを見ていた。溶け込むように私もそれを見始めた。
そして夜は過ぎて翌日。大変なことになった。
「どなたかうちの子を見ていませんか?!」
学校に着くや否や教師でもある親友の母が慌てふためいて生徒たちに問いかけた。
「家に――」
ぽつりと私が言いかけたその時、悪寒が走った。このままだと夜に遊びに行ったことがばれる……と。
「あの、家に帰ってないんですか?」
そう言ったのは私ではなく当時の上級生の男子。心配そうな声であった。
「そうなのよ。家に帰って夕飯食べてからどこにもいなくて……心配でそれで――」
顔がぐしゃぐしゃになっていた親友の母を見て私は固まった。普段は好き嫌いにも成績にも厳しい視線を光らせてばかりのその教師がこんなにもしおれてやつれている。周囲の生徒と教師はそんな彼女を見て哀れみの目を向けていた。
――きっと俺は両親に愛されてないんだよ
そうぼやいた親友の言葉を思い返した。
(なにやってんだあいつは……!!)
その日は授業どころではなくなった。
すぐに村中総出で親友の捜索を試みたが結局彼が見つかることはなかった。私はすぐに川の近くに行った。しかし彼と最後にいたあの川の向こうの森にもおらず、結局最後まで見つかることはなかった。
――神隠しじゃないか?
誰かがそう言った。しかし神隠しというにも村にはそういう土着神はいない。
――家出したんじゃないのか?
それはあり得た。しかし家出したのなら隣町にいるはずだ。
それに彼はまだ幼かった。だからそれはなかった。
――川に流されたんじゃない?前からホタル見たがっていたし
その予想に私の心臓は強く脈を打たれた。同時に全身から嫌な汗が噴き出していた。もしこの川に落ちていたら大変だ。私が見た川はただ流れる水の音を鳴らしているだけだった。
「おーい、川の近くにこれ落ちてたぞ!」
大人の一人が川の近くで帽子を掲げてやってきた。
「あ、これあの子の帽子じゃない?濡れてるわね」
「ああ。川辺の近くにあったんだ――」
話を続ける大人たち。幼き私は理解してしまった。アイツが川に流されたということに。
(どうしようどうしようどうしよう――)
何か恐ろしいものに掴まれたという私はそのまま一人家に帰って布団にうずくまって震えていた。まるで常闇の夜を怖がる小さな子供のように。
(僕のせいだ。僕があの時一人で帰るって言いだしたから。帰っちゃったから。だから死んじゃったんだきっと)
川に流されて死んだ人の話を思い返す。そしてその日以降、親友は姿を見せることはなかった。そして村は彼が川に流されて遠くに行ってしまったと結論付けた。
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