第4話 精霊の加護
王宮の面々に見せる、素直であどけない表情とは一転した、怜悧なルドヴィカがそこにいた。
気品に満ちた所作は洗練されており、細くなめらかな肢体は優美で
「男に目がなく浮名を流しまくる悪女。……日頃食事も満足に与えてないのに、悪名に無理があり過ぎない? どうして私が直接呼ばれることを想定しなかったのかしら。一目見られたら、バレるでしょうに」
「そうだよなぁ。しかし、なかなか気づかれなかったし。ここまで長く我慢する必要なんてなかっただろ? もっと早く訴え出れば良かったのに」
ルドヴィカの話し相手は、長身の青年だった。人間離れした美しさで、長い金髪が蜜のように艶やかに輝いている。
砕けた口調で事情をよく知っている
ルドヴィカが彼に、言葉を返した。
「いいのよ。殿下が"キアラを王子妃に"と言い出したタイミングだからこそ良かったの。じゃないと、あの人の妃にされてしまっていたわ。今回の騒ぎで婚約は白紙になったし、私もじきに、王太子戦に参加するつもりよ。だって悪女ですもの。王位ぐらい狙わないと」
煌びやかな笑みでルドヴィカが言うと、彼女に賞賛を示しながら、青年がしみじみと言った。
「感慨深いなぁ。あの時
「私もよ、ミエーレ。"ハチミツ泥棒さん"と、こんなに仲が続くとは思ってなかった」
ルドヴィカがくすりと笑う。ミエーレと呼ばれた青年も、悪戯っ子のように笑い返した。
「あれはただのハチミツじゃない。"百年蜜"だ。きみが餓死も病気もせず命を永らえたのは、あの蜜のおかげ──だからね?」
念押すように首を傾げたミエーレの髪がさらりと流れ、尖った耳先が覗く。
精霊の特徴として知られる、三角の耳。
青年は、精霊だった。
切れ長の秀麗な目に、品格ある鼻筋。精悍な口元はどこか妖艶で、見惚れるほどに整った容姿の。
ルドヴィカが押し込められていた屋根裏部屋には、古く巨大なミツバチの巣があり、ため込まれた大量のハチミツがあった。
いつの巣なのか、蜂はもういない。
天井の隅から流れ出た蜜に気づいたルドヴィカは、少しずつ舐めるその蜜を、ひとり過ごす境遇の支えにしていた。
蜜は、彼女が日々負わされた傷の治癒にもよく効いた。
そんなある日、蜜のところに人影がある。
なんの気配もしなかった。屋敷の誰でもない、見たことのない相手。
震えあがったルドヴィカは、けれども
もとより失うものは何もない。それよりも唯一の支えを失う方が、怖い。
「何者? この部屋の主は私です。許可なく採取することは許さないから!」
小さな少女が箒を持って殴ってきたことに侵入者は驚き、そして自分の正体と蜜の名前を明かしてくれた。
通称"百年蜜"。
最後の一匹まで、蜂たちが女王を守り抜いた巣には、特別な力が宿るという。消えかけた精霊を、蘇生する力。
ミエーレは長く人間の世界にいたせいで、精霊界に還る力を失い、消滅しかけていた。
「やっと見つけた蜜なんだ。少しで良い。分けて貰いたい。代わりにきみをここから逃がしてやろう。それか、満足の行く食事ではどうだ?」
ルドヴィカは首を横に振る。逃げたところで行くあてなどないのだ。それよりも。
「私はいずれ自分で、この屋根裏を出るわ。私や母様を陥れた者たちに、もっとも効果的に報復してやりたいの。やせ細った身体は、その時の証拠にしたい。あなたにハチミツの対価として求めたいのは、私が外で戦うための知識と教養よ」
ミエーレの力を借りて、ルドヴィカは学んだ。
自分が必要とすることを。
国王が伯父で、己に継承権があり、光の力を持っていること。光の力の操り方。
妹を
はじめこそときめいたが、屋敷に来てはお茶だけ飲んで帰っていく王太子に、幾度となくがっかりさせられて。
やがて彼が、お膳立てされた情報だけを鵜呑みにして、あっさり妹に落とされたことがわかると失望した。
自分のことは、人任せには出来ない。
いいえ。なんなら国も、彼に任せていたら危ないのでは?
ルドヴィカは壮大な方針を決めると、侯爵家を出る時を眈々と待った。
王宮での一幕は、緊張しつつも張り切ったものだ。
「それにしてもミエーレ……。精霊界に還らなくていいの?」
「だってきみが興味深いんだもの。しばらく滞在しようかと」
「そんなこと言って、また消えかけることになっても知らないわよ」
「平気さ。時々は還る。それに百年蜜はまだたっぷりあるし」
サンティ侯爵家の屋敷は国王の計らいで、ルドヴィカの所有物となっている。もともとフラヴィアーナに贈られた、由緒ある邸宅だったのだ。
屋根裏は大切に保存中だが、ミエーレのためにもハチミツは移し替えておいた方が良いだろうか?
「それにさ。俺が還っちゃうと、ルドヴィカは寂しいだろう?」
至近距離で囁かれて、不覚にもルドヴィカは心臓が跳ねた。
なんだろう。くすぐるような彼の声に、時々不整脈が起こるのは病気かもしれない。
どきどきと焦るルドヴィカに、面白そうな視線を送ったミエーレは、さらに彼女に近づいた。
「俺、ルドヴィカには、まだいろいろ教えてあげたいことがあるんだけど」
「? そうなの? 有益なことなら喜んで聞くわ」
「ハチミツよりもっと別の、甘ーい味」
「えっ。それは砂糖とか? 砂糖なら知ってるわよ?」
「ははっ。とりあえず、食べ物じゃないんだけど……。うん、まあ、もう少し育ってからね。きみはまだ、食べることの方が好きだから」
「?」
(食べることは、いつまでも一番好きだと思うけど)
ミエーレの言うことは、時々わからない。
顔見知りの精霊が"青年貴族"を名乗り、雇用を求めてルドヴィカの元に来たのは、それからしばらくしてのこと。
ルドヴィカの"一番好き"が変動したのも、その頃で。
光の加護を持つルドヴィカ女王の隣に金色の精霊が並び立ち、彼女を守護し続けた話は、子どもも知るほど有名な逸話である。
悪女かどうか、私を見たらわかるでしょう みこと。 @miraca
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