九割九分九厘

家猫のノラ

第1話

「『"your story"(ユアストーリー!)

あなたは3,996グラムで生まれます。重大な疾患は持たない健康児です。 (99.3%)』あなた大きすぎるのよ。

『そして人工ミルクよりも母乳の方が好きです。 (97.8%) 乳離れはとっても大変そう。 (87.6%)』まさしく」

「まぁ色々あるけどこのページは飛ばすわ。親の苦労を知るのはあなたが漢字を読めるようになってからでいいもの。あと5年ね。そしてここから先はまだ起きていないこと」

「『ハイハイはせずに歩き始めます。 (96.5%)』

『かけっこでは毎回一位でしょう。 (88.9%)』」

「『たくさんの人が、あなたを慕います。 (83.5%)』

『その代わり、自分から距離をつめるのは少し苦手かも。 (92.4%)』」

「『少年野球チームにスカウトされます。 (99.2%)』」

「『勉強では少し苦労するかもしれません。特に数学的な思考が苦手です。 (98.5%)』

『だけどあなたにはスポーツ、野球があります。足の速さ、肩の強さ、動体視力、情報処理能力、判断能力全てずば抜けています。野球の才能に恵まれています。 (99.5%)』」

「『中学では野球部のエース。そして高校も野球で推薦がもらえるでしょう。 (98.4%)』

『高校二年生にして、甲子園に出場します。 (99.7%)』」

「『あなたは責任感なども持ち合わせているため初めての甲子園では、一本も当てることができません。 (99.9%)』」

「『あなたはその悔しさをバネにして、野球にさらに打ち込んでいきます。その結果メジャーデビュー一年目で、打率九割九分九厘という記録を叩き出します。 (67.7%)』」

「第一章はこれでおしまい。明日は第二章を読んであげる。

でもこれだけは言わせて。

『あなたの人生は100%のハッピーエンドが約束されています。       JAPANゲノム読書会より。カミサダアキヨシさんへ』」


 二重螺旋の発見からおよそ180年。科学者だけでなく一般企業もヒトゲノムのより高度な解析を求めて研究を続けてきた。そして20年前、JAPANゲノム読書会が、your storyという画期的な商品、読書体験を開発した。価格は七万円と本にしては高価だ。しかしそれは発売日から飛ぶように売れた。特に小さな子どものいる家庭は子どものstoryを欲した。市場規模は二兆円に届こうとしている。

 storyには、生まれてから死ぬまでの出来事が、確立と共に記されている。


 物心つく前から、俺の母親は俺のstoryを読み聞かせた。母親は俺を産んだことがとにかく誇らしかったのだろう。そして打率九割九分九厘とかいうバケモノじみた記録を出させようと必死になった。四部構成のstory、全てを暗記するまでに読み込み、そして確率の上げ方、下げ方を教える”読書会”にも参加した。


「神定…!!」

「かっ飛ばせ!!神定ー!!」


 ほぼ怒号のようになった歓声。今は九回裏、この試合で俺たちは三点の失点を許した。このイニングも、立て続けに盗塁に失敗した。しかしその後はなんとか打席が繋がり、現在ツーアウト満塁。

 そして俺にとっては、高校二年生の、初出場の甲子園だ。まさかこんな時に、打順が回ってくるとは。俺はここまで一回もヒットさせていない。おそらく、この後も、この次の球も、当てることはできない。

 storyにそう書かれているから。99.9%の確率で、打てないのだ。


 ずっと読み聞かされてきた甲子園球場。土煙と歓声と拍動。しかしバッドを持ち、マウンドに上がると、それら全てが止まった。

 脳内に溢れるのは、今まで思い出すこともなかった人たちだ。こんなことstoryに書いてなかった。


 とんでもなく頭が良くて、2歳から塾に行ってた深瀬、元気かな。たまたま近所だったから、何回か一緒にサッカーしたな。下手で、もう一回ってよく泣きつかれた。いつの間にか遊ばなくなった。最後の日、俺なんて言ったかな。

 嘘つきの才能があって、第一章の終わりに詐欺師になると書かれていた阿島、元気かな。そんなんだから、皆んなから嫌われてたし、本人もどこか諦めていた。でも俺、あいつの嘘結構好きだったな。

 何を成し遂げるとも書いていなかった田中、元気かな。親からも先生からも見捨てられて、ヘラヘラ笑ってたな。あの笑顔が寂しいって気づいたのはいつだったのかな。

 17歳で死ぬって書いてあった藤枝、生きてるかな。やけに薄いstoryを、これが私の命の重みだと、クラス全員に見せつけたのはなんでだったかな。


「かっ飛ばせー!!神定!!」


 どうやら読書会の講師によると俺のstoryにとってこの試合が重要で、その後の確率を上げるためにはなんとしてでも出場しなければならないらしい。だから母親はstoryを、俺が打てない確率が99.9%を超えていることを監督、学校関係者の誰にも伝えていない。

 この球場で、俺の母親が一番俺の人生に期待をし、俺の母親だけが今この瞬間に期待をしていない。


「かっ飛ばせー!!神定!!」


 俺は?


「かっ飛ばせー!!神定!!」


 なんであんな四人を思い出したのかが分かった。それは俺が仲良くしたかったからだ。でも結局、今生きているかどうかも俺は知らない。自分から行動しなかったから当然だ。

 俺は自分から距離を詰めるのが苦手だから。storyにそう書かれているから。


「『あなたの人生は100%のハッピーエンドが約束されています』」


 は?とキャッチャーが呟くのが聞こえた。そういやこの言葉の後ろに修正ペンで消した跡があったな。それに、よく読んでもらっていたのは一章から三章までで、最終章は読んでもらった記憶がない。そうだ。この文だって勝手に読んだ。そのページ以外は開けなかった。のりではっつけてあったんだ。

 もし、最後の行まで、storyは俺のゲノム解析の結果を伝えているのなら、その修正ペンの下には、本当の、俺が『ハッピーエンドになる』確率が書いてあったんじゃないか。俺の母親のことだ。低くて見るのが嫌になったんだろう。なんてグロテスクな物語だ。それなら最後の文を書かなくたっていいのに。深瀬のにも、阿島のにも、田中のにも、藤枝のにも、書いてあったのかな。

 キャッチャーが合図を送り、ピッチャーが頷いた。どんな球を投げるのか、どんな風に受けるのか、こいつらのstoryには書いてあるんだろうか。

 守備をちらと確認し、グローブの中でボールを握るピッチャーに、俺は片手を前に出した。ピッチャーは意図が伝わったのか、唖然としたのか、とにかく動きを止めた。


「これは、俺の物語だ」


 俺は、バッドを掲げて外野席に向けた。

 



 



 



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