ヒューマンエラーとレディ蛾々
ギンバネヒメシャクの蛾々山さんは、真っ白な翅を持つ美しいマドンナ。僕の憧れの先輩です。茶色いコイガの僕は地味だけど、いつかは勇気を振り絞って、蛾々山さんに気持ちを伝えたいと思っています。
「古蛾くん、この配線群に新しい集落ができたのよ」蛾々山さんが嬉しそうに教えてくれました。よく見ると、小さな人間たちが協力してケーブルを編み、住処を作っている最中でした。僕は翅を優しく震わせて、細かな鱗粉を散らしました。鱗粉は彼らの食事になります。「可愛いですね、蛾々山さん。おや、あの子はホコリで布を織っているのかぁ。器用だなぁ」
僕たち蛾は今、計算機という建物の中で暮らしています。この建物には、人間という小さな生き物が昔から住み着いています。彼らは発熱する部品の周りに小さな居住区を作り、その熱で暖を取ったり、食べ物を焼いたりしています。
小さな人間たちは、僕たち蛾を怖がったりはしません。時には僕の後脚を引っ張って、計算機のホットスポットまで案内してくれたりもします。彼らは、メモリチップの隙間に布団を敷いて昼寝をしたり、配線の結び目でブランコを作って遊んだりしています。僕たちはそこにお邪魔して、人間たちの生活を支えています。
そういえば、人間たちが口をそろえて言う注意事項が一つだけあって。建物の奥、真空管の部屋に近づいてはいけないらしいんだ。その部屋は、建物の中でも一番危険な場所らしい。でも、それがどんなものなのかは誰も知りませんでした。
ある日、僕と人間たちが、ダニの卵でゴルフをしていた時です。遠くから小さな悲鳴が聞こえてきました。
「大変よ、古蛾くん! 人間の子供が真空管の部屋に入っちゃったの!」蛾々山さんの声が震えています。「でも……近づくなって言われているし」「そんな場合じゃないでしょ! このまま放っておけないわ!」蛾々山さんは躊躇なく飛び立っていきました。舞い上がったポテチのカスが、急いで行けと合図しているようでした。
真空管の部屋に着くと、そこは異常に熱を帯びていて、空気全体がゆらゆらと歪んでいました。奥を見ると、人間の子供がキラキラした眼で、真空管に触ろうとしているところでした。
「危ない!」蛾々山さんが咄嗟に前脚を伸ばし、子供を掴もうとした時です。部屋に甲高い音が響き渡りました。真空管が弾け飛び、蛾々山さんの白い体は、炎によって燃え尽きてしまいました。心に穴が開いた僕は、急いで子供を探しましたが、不思議なことにどこにもいませんでした。
「蛾々山さん……」記憶媒体の隙間に戻った僕は、コンデンサに突っ伏して嗚咽を漏らしていました。僕の周りには小さな人間たちが集まってきて、彼らは僕の翅に寄り添うようにして座り込みました。誰もが黙って、計算機の低いうなりに耳を傾けています。
その時、天井が音を立てて開きました。薄暗かった建物の中に、眩しい光が差し込んできます。見上げた先には、白衣を着た大きな人間が二人、僕たちを見下ろしていたのです。
「あー、こいつらがショートさせたのかー」「これがほんとのバグってやつか……ったくもう」
大きな指につままれ引きずり出される間、僕は計算機の全体を見下ろし眺めていました。僕たちは小さな人間たちに寄り添い、確かにこの計算機の中で生きていた。暖かい空気を分け合い、ダニの卵で遊び、配線の隙間で眠りについた。あの日々は、きっと誰かの中では「エラー」なんだ。でも僕たちにとっての日々は、かけがえのない生活だったんだ。
床に叩きつけられる直前、僕は目を閉じました。蛾々山さんの白い翅が、最後に見せた輝きを思い出しながら。
不定期ショートショート(熊埜御堂ディアブロ) 熊埜御堂ディアブロ @keigu_vi
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