第2話Psychopathic Healer

 先日の嵐が嘘のように、医院の上空には、雲ひとつない晴天が広がっていた。


 隣町に住んでいるフォンファは、キリアと同様に住み込みで働かせてもらうことになり、誰よりも早く起きて、院内の清掃をしている。


 開院する30分前には、あらかた綺麗に院内を拭き上げることができた。


「結局、昨日は、ウチしか患者きてなかったし、金払ってねえけど、大丈夫なのか。ウチが言えたことじゃないけど」


 身の丈より少し小さい箒の柄に、両掌を置き、頬杖をついて、自分が掃除した院内を見渡した。


 拭き残しはないかと探っていると、出入り口のドアベルは拭いていないのに、埃がかぶっていないことに気づいた。と、同時に、ドアが開きベルがその身を揺らした。


「おはようございます」

壮年のゴブリンが恭しくお辞儀をして、慇懃な所作で待合の椅子に腰掛けた。


まだ始業前で、オフモードだったフォンファは面を食らう。

「あ、おはようございます」

言いきらぬまに、再度ベルが鳴る。


「おはよー。あら、みなさん早いのね」

妙齢の雪女が戸を押して入ってきたので、ベルの音が小さくなる前に、ベルの音が大きくなった。

「おはよっす」

「うっす」

「お世話になります」

「どうも」

「……」

続け様にドアが開いては閉じて、ベルはしばらく鳴り止まなかった。


多種多様なモンスターが待合の椅子に並んでいる。


「あ、おはようっす。み、みなさんお待ちになって。ください。」


 壮観な光景に、フォンファは圧倒されてしまった。冒険者が、この医院に入ったらモンスターハウスかと思い卒倒するだろう。


「みんな、診察券をだすゆ」

どこから現れたのか、いつの間にかキリアが受付におり、患者を整理し始めた。


「おはようっす。キリア先輩」


「ふんゆ。もう医院には慣れたかゆ」


「先輩、ウチ昨日入ったばっかっす」


キリアが話の最中に、顔を顰める


「うっわ、あいつが来る」

「あいつって、誰かいらっしゃるんですか」


出入り口の方向をキリアが睨む。


「最悪だゆ。混んでるのにゆ。空気読めゆ」


ベルの音はしていなかった。それなのに、ドアは開かれ、一人の女が式台に上がろうとしていた。


 魔導士の暗いローブに、肉感的な曲線を帯びた背の高い女が、脱いだブーツを揃えていた。フォンファの身長は170cm後半だが、女は、段下のたたきにいるのに、フォンファと同じ頭の位置であり、その女が所持している杖はもっと大きかった。


 巨人の両腕を肩からもぎって、そのままくっけたような杖で、その杖の左手は地面に手をついたような形で広がっており、右手は拳を天に突き上げるように硬く握られていた。


「先に言っておきますが、私は、敵意はないですよ。ここの患者です」


 女が待合に立ち睥睨すると、一気に緊張が走る。それは、モンスター側の殺気ではなく、恐怖からくるものだった。


「サイコパスヒーラーだ。なんでここにいる。自分で治せるだろ」


「死神のゲラティー……」


「目を合わせちゃダメよ」


女の名前と、二つ名が飛び交い、院内がざわつく。


「やめときなよ。すいません。診てもらったらすぐに出ますので」


ゲラティーの方から、少年の声が聞こえる。声の主を探すが見当たらない。


「持ち主と違ってロッドさんはまともだゆ」


「ロッドさん?どちらさま?」


「あのへんてこな杖だゆ」


杖をよく観察すると、巨人腕の杖の右掌が開いており、掌の真ん中に男の顔があった。人型であれば、かなりのイケメンであるが、残念ながら杖である。


 フォンファはイケメン杖と目が合い、目を逸らそうとする前に微笑みかけられ、ぎこちない笑顔を返した。


「変じゃないわ。これは造形美よ。クソ人魚姫様」


 受付のカウンターに、愛杖を押し当てて、これみよがしにロッドさんを、キリアの眼前に押しやった。


「やあ。キリアさん元気?変だよね。わかってる」

イケメン杖は、二人の間に挟まれるも、その爽やかな面を崩そうとしない。


「こんにちはロッドさん、元気だゆ。他意はないゆ。ゲラティー。貴様の診察券だけ、オリコカードにしてやろうかゆ」


「先輩それは、伝わらん。ニッチ過ぎるツッコミだ」


「あんな大きいの、毎回、カウンターを壊しちゃうんじゃない?はい、これ。診察券ですわ」


ゲラティーは、診察券を慎ましく両手で渡そうとするも、あえてキリアの手を通過し、透明なコイントレーの上に診察券を置いた。


「どうもだゆ。ユイ・クソ・ゲロティー様」

「あ?」

「はい。そこまでー」


手をぱんぱんと、乾いた音をさせ、院長のアサギが、受付の奥からやってきた。


「あんらー!アマギ先生ー!ご無沙汰しておりますー!」

先ほどまでのドスの効いた声はどこえやら、ゲラティーは、艶やかな猫撫で声で、アマギに挨拶した。


「騒がしいと思ったらあなたでしたか、ユイさん。では早速ですけど、どうぞこちらに」

アマギはにこやかにゲラティーを院内に案内しようとした。


「先生、他の方が先にいらしてるゆ」

そんなアマギニ対して不機嫌そうに俯いたまま、キリアは呟いた。


そう言われると思ったのかすかさず、アマギがキリアにだか聞こえるよう耳打ちした。

「(めんどうだろ)」


聞いたそばからキリアはふっと鼻息を鳴らす

「たしかにゆ。苦いものはさっさと飲み込んじゃった方がいいゆ」


「聞こえてるぞ。マーメイドの煮付けにしてやろうか」


「やってみるゆ。先生がだまってないゆ。貴様こそ、その無駄にでかいチチカブを焼けば、近年の食糧難も解決するんじゃないかゆ」

「なにをう!」


再度騒がしくなった待合をみて、アマギは声を張り上げた。


「はーい、ユイさん五番のお部屋どうぞー」

「はい!先生!」

「五番ゆ。さっさといけゆ。間違えんなゆ」

「間違えんわ」

「魔族のくせに、人間側につきやがってゆ」

「先生だって人間だが、魔族を見ている」

「先生と貴様を一緒にして欲しくないゆ。先生は誰も傷つけてないゆ」

「ユイさん、どうぞー」

「はーい。誤解があるようだ。またあとで話そう」

「話すことはないゆ」


キリアは、そっぽをむいてカタカタとパソコンに受付業務を始めた。


ゲラティーは、五番目のユニットに向かうため、廊下を進み始めた。その足取りは重そうである。


 誰であっても歯科医院は憂鬱なのだろうか。フォンファは待合の別の入り口から回って先にユニットの頭側に回る。

 AMDSの始業にはまだ十分ほど早いが、問題児をユニットに通すことに成功した。


「それで、今日はどうされましたか」

「アマギ先生に見てもらいたいことがあって」

そういうと、ユニットに寝転がり、ロッドさんを縦にして、右掌がユニットの頭の部分に来るぐらいで胸の前に抱える。


「俺の口、最近やたらと、口内炎ができるんです」

ゆっくりとロッドさんが、口を開けた。


「いや、そっちかい」


フォンファは、噴出した疑問に耐えきれず発言してしまう。


すぐに口に手を当て、失言だったと反省した。



「そういうことも、ありますよね。失礼しました」



「大丈夫。僕も最初に拝診した時、同じこと言ったから」


アマギはドクターチェアに腰掛けて、両手を青色の光で一層包んだあと、ロッドさんの口の中を伺った。


 グローブのような魔法なのだろうか。アマギの手に器具が完全に触れないように見える。


 天井の方をみて、フォンファの時はしていたのだろうかと思いを巡らせるも、緊張で覚えていなかった。


 再び視線をユニットに戻す。アマギは覗き込まずに姿勢正しいままだ。そんなもので見えるのかとフォンファは不思議におもったが、アマギの両眼の前に赤い小さな魔法陣が二つ並んでいるのを見つけた。


 どうやら、視力関係の魔法を使っているみたいだ。フォンファは魔法の心得があるので、魔法陣にかかれている文字列から予想を立てた。本来遠隔地をみるための鷹の目魔法の応用と並行して、透視魔法を使用しているのだろうか。


「うーん、炎症性細胞の浸潤はあるけど、感染症の類ではなさそう」


 フォンファの予想はあたった。さながら人間マイクロスコープだ。


「食べてるものは、二人とも同じなんですけど、私にはできないんです」


「ユイさんは、魔王の一撃すら、数時間で治ってしまうオートヒールがついてるからじゃないですか」

「それはそう」


「アフタ、いわゆる口内炎って、種々の原因があるからね。」


「例えば、なんですか」 


「今除外したウィルスや細菌などの感染症、熱傷などの怪我、アレルギー、ストレス」


「アレルギー、もストレスもないだろうし」


動けないストレスがありそうだと思うが、最近できたなら違うかと、素人ながらにフォンファは考えた。


「ロッドさんの各部なんかイジりました?」


「あ、分かります?」


「いや明らかにロッドさんのお顔変わってますよね」


「先週、彼の顔見てたらちょっと口元にアクセントが欲しくなりまして。ヒールの要領でちょっと造形を変化させました」


「なにそれ、いつ?俺整形させられてたの」


「ロッドさん、初診から比べたら、だいぶ顔違いますよ」

「え」

「面影はないです」

「そうなの?」

「はい。残念ながら」 


「ふふ。歯医者さんで残念ながらって言われるとなんか嫌ですね」

ゲラティーが、綺麗に微笑する


「君が笑うとこだった?」

「仕方ないじゃない。美の代償よ」


「まー、えっと、ユイさんでも治せるとは思うけど。治療法は二パターンでして、極小の火炎か雷魔法で創部をやいて、ご自身の治癒活性のバフをかける。これは焼くときに少々痛みを伴います。もう一つは、隣在組織、ようは正常な粘膜の状態をコピーして、ペーストする魔法。繋ぎ目は神経と血管をドチャクソにしますので、粘膜のターンオーバー、簡単に言うと、粘膜の置き換わりが二週間なので、それまでじわじわ痛いですね。前者は5万、後者は10万ルビーになります。どちらも麻酔魔法はできますけど、麻酔魔法は加減が難しくオーバートリートメントになりやすいし、追加で20万ルビーですね」


「たかだか口内炎なのに、たっか」


フォンファは、アシストとしてあるまじき言葉を放つ。ピクリと反応したのは、ユニットに寝ているゲラティーだった。


「ヒーラー的には、かなり格安だけどね」

なぜか患者側であるゲラティーがフォローを入れる。


「私がやるとして、同じ処置だったら100万はとるかな」


「たっかあ!!アホですよ。貼っときゃ治るんですから」


「だって、口の中の痛みをかかえながら、戦闘に入ったら負けない?」


「ウチはステゴロっす」


「貴方みたいな前衛、それも魔法を使わない特殊なジョブならいいかもね。貴方みたいな特殊なケースを除いて、近代戦闘において、魔法を使わない局面なんてほぼないわ。一分、一秒が、死に目を分ける戦いで、詠唱する時に、口腔に問題があったらどうなると思う?自分の魔法は後手後手、最悪不発になって、相手の魔法が先に着弾する。つまり、口内炎で、死ぬわ。」

「う……」

まるで生徒を叱る先生のような鋭い眼差しを向けられ、フォンファは萎縮した。


「見たところ貴方も魔法の心得があるようだけど、独学なのかしら?魔法職にとって、お口のトラブルは、死に直結するの。ジャムりやすい銃をもって戦場いくようなものよ」


「おっしゃる通りそうっすね。言われてみれば。納得っす」


フォンファは、まるで自分がミジンコになった気分になる。


「ご高説ありがとうございます。こういうことをご存じな方がお相手だと、こちらも大変助かります。」 


アマギは、グローブ魔法を一旦解除して、フォンファの後頭部に左手をおき、一緒にお辞儀するよう促した。されるがままにお辞儀をする。


「いいのよ。良かったわね、フォンファちゃん。死ぬ前に気づいて。先手で口を狙ってくる輩が多いことや、あらかじめ魔法をこめた呪具が高い値段で取引されているのはそのためよ」


「あざっす」


「フォンファ、ありがとうございますだよ」


「ありがとうございます」


「そ、色々これから学んでいこう」


フォンファは、能動的に自ら深々とお辞儀した。


「それで、どちらにします?」

「私が治します。ありがとうございました」


「ええ!!」

フォンファの背筋が、ものすごい勢いで収縮し、驚きの余り、一直線に直立した。


「もちろんお金はお支払いしますわ。フォンファちゃん」

面白いおもちゃを見たかのように、フォンファに笑いかけた。


「フォンファには勉強になったようで、むしろ御費用は結構です」


「そういうわけにはいかないわ。先生のお時間を奪ってるのだもの。この時間で、何人の方の痛みをとってあげれたか」


アマギは頭をポリポリとかいた。

「わかりました。再診料のみ頂戴致します。」


「受付に渡しておくわね」

ユニットが起こされ、ゲラティーは、先ほどとは違う軽い足取りで、キリアの元に向かった。


「終わったわよ。治療はしてないわ。再診料だけみたいよ」

キリアの怪訝に満ちた辛辣な感嘆詞が、受付の方から聞こえた。


 アマギ先生は、すぐさまキリアの誤解を解くため、受付に急いだ。フォンファは、この調子でいくと、自分への給料どころではないのではないか、医院の稼ぎを心配し始めた。

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怪物の歯医者さん @takaradataraba

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