14.エピローグ
あれから一か月が経った。
首の痣は完全に消えて、心なしか身体も軽い。庭へ出ると、生い茂る緑の隙間から陽光がこぼれていて、とても美しい世界に見えた。
元孝さんが庭の向こうで家庭菜園をやっている。彼が育てていた野菜のようで、また世話が出来て良かったと笑っていた。あれから元孝さんは一度病院へと戻ったが、しばらくすると嘘のように元気になり、退院することができた。
数か月前ここに来る前は、こんな生活は想像も出来なかった。
ずいぶんと楽になった気がする。
今では毎日のリズムも出来上がって、一つ一つ学ぶように毎日を過ごしていた。
子供の頃は、幽霊が見えることが嫌で仕方が無かった。けれど今は違う。もっと陰陽師としての力をつけて、何かあった時に大事な人を守りたい。
雪華さんは、今日は学校に行っている。学級閉鎖もなくなり、クラスで流行っていた遊びは今はもう誰もやっていないそうだ。
玄関まで戻ると「大神君、ここにいたのか」と声をかけられた。振り返ると、旭さんが紙袋を掲げながら歩み寄って来るのが見えた。
「それは?」
渋い紺色に金色のロゴが入った高級そうなデザインで、旭さんが中身を見せてくれる。お菓子の詰め合わせだった。
「山城さんからだよ。最近、連絡があってね。君にもよろしくと言っていたよ」
「え、山城さん、また呪われたんですか?」
「違うよ。会社の同僚で、霊関係で悩んでいる人がいるからって紹介されたんだ。今日はその話を聞きに行っていたんだよ。難しい除霊じゃなかったから、すぐに終わってしまったんだがね」
旭さんは笑顔で話を続ける。
「どうも山城さんは人が良いみたいでね。困ってる人を見ると放っておけないみたいだ」
そういう人が、霊に付け込まれやすいんだけれどね。そう旭さんは苦笑した。
「山城さんの依頼、これで三回目になるんですね。一つは紹介だけど、やっぱり会社とか人が多いところは大変なんだな……」
「バンドのライブなんて、もっと人が多いんじゃないか?」
「いや、アマチュアですから。まだ再開したばかりですし」
「七海君の調子は?」
「良い感じですよ」
あれから俺とフォンロンは、たまに七海君のバンドに参加させてもらっている。彼はすっかり元気になって、初めて会った時とは別人のように明るい。
そんな話をしていると雪華さんの姿が見えた。
「旭お兄ちゃん、大神さん。ただいま」
旭さんが歩み寄り、二人は笑顔で会話をしている。それがいつもの日常になるまで、少し時間がかかった。
良惠と照人はあれから見つかっていない。どこにいるのか、気配さえも感じない。
「双牙君」
考え事をしていて気が付かなかったが、いつの間にかフォンロンが目の前に立っていた。
「どうしましたか? ぼんやりして」
「――良惠と照人はどこに行ったんだろうなって。考えてたんだ」
「そうですね。それは僕も考えます。思うんですが、ひょっとしたらまだあの世界にいるんじゃないでしょうか。彼らが住んでいた『夢』の世界に」
「……うん。そうかもしれないな」
真実は分からない。ただ、あの二人はとても恐ろしいことになっているような気がして――それ以上は考えないことにした。
あまり考えてしまうと、また『向こう』に行ってしまいそうだから。
「もう関わらない方が良いですよ」
顔を上げると、心配そうな瞳がこちらを見ていた。
「うん。分かったよ」
そう答えると、安心したように笑顔を浮かべてから背中を向ける。
「そろそろ家に戻りましょう。夕方になると冷えますからね」
ゆっくりと歩き出す。風が頬を撫でる。
「ありがとうな、フォンロン」
たくさん心配させてしまったけど、お陰で俺は前向きになれた。
「え? 何かお礼を言われるようなことをしましたっけ?」
「たくさんあったと思うけど」
フォンロンは「とんでもない」と笑ってから再び歩き出した。
先の事なんて分からないけれど、俺は自分のできることをやっていきたい。庭には花が咲き零れている。夕暮れに広がる雲は、とても大きく感じた。
――立派な陰陽師になれますように。
ふいに雪華さんの声を思い出して、つい笑ってしまう。
「俺、立派な陰陽師になるよ」
フォンロンの背中に向けて独り言のように呟くと、聞こえたようで肩越しに返事があった。「応援していますよ」と。
見習い陰陽師の難卦 日守悠 @sunstar_8
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