とっとこ とっとこ
湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)
🍡一話完結🍵
「こら、ケイタ! おきなさーいっ!」
ぼくの目覚ましは、いつも、母さんの怒鳴り声です。
「こらぁー!」
「ああ、はいはい、起きたよ。起きた!」
怒鳴り声に叫び声を返すと、のそのそとカメのように、ダイニングへと向かいます。
「おはよー、じっちゃん」
「おはよう、ケイタ。今日の夢はどんなだった?」
「ええっとねぇ」
「夢なんてどうでもいいんです! ただでさえ起きるのが遅いんですから。ほら、とっとこ準備しなさい! とっとこ!」
母さんは、ぼくらの話に割り入らずにはいられないほど、ぷりぷりと怒っています。
ぼくはじっちゃんと〝やれやれ〟という顔で、母さんに気づかれないように小さく笑いあいました。
それから、用意された朝ご飯を食べ始めました。今日は、ご飯とお味噌汁と、卵焼きです。
「こら、食べる前に言うことがあるでしょ?」
「へ? ああ、いただきます」
まったく、どうしてこうも、ぷりぷりとうるさいのでしょう。
そっとじっちゃんのほうへ視線を動かすと、じっちゃんは何食わぬ顔をして、優雅にご飯を食べていました。
ちぇ。じっちゃんだって「いただきます」って言ってないじゃないか。
「ケイタ」
もうすぐ朝ご飯を食べ終わる、というとき、じっちゃんが囁き声で話しかけてきました。
「なに?」
こういうとき、同じような声のボリュームで返事をしてしまうのは、聞かれないように話すことにワクワクしてしまうのは、きっと、ぼくだけではないでしょう。
「植物ってもんはな、ずーっと寝てるらしいぞ」
「……ん?」
「昔、ある人から聞いたんだけどな。植物ってやつは、生まれてこの方ずーっと寝ているんだってよ。だからな、朝でも昼でも夜でも、起きるだけですげぇと、じっちゃんは思うんだ。ケイタ、お前はな、すげぇんだよ。どれだけ母ちゃんに怒られようが、すげぇんだよ。本当に」
じっちゃんが、なんと言ったかはわかります。
けれど、その内容を、ぼくはすぐに理解できませんでした。
首をかしげて考えていると、
「こら! ぼーっとしてないで、準備しなさい!」
また、母さんに怒られてしまいました。
ぼくは、歩きなれた通学路をとぼとぼと歩きました。
じっちゃんの話を聞いたからでしょう。いつもは全然気にならない、木や草を見ずにはいられません。
じっちゃんが言っていたことが本当であるとしたら、目に映る、この木や草たちは寝ているということになります。
風がふわーっと吹くと、葉っぱが揺れました。
風がびゅうと吹くと、枝までもが揺れました。
その様は、寝ているというより、踊っているように見えました。
そして、葉たちは太陽に向かって手を伸ばすように生えているし、太陽の光を浴びた葉はきらきらと輝いています。
「本当に、寝てるのかなぁ」
ぼくには、どうにも信じられませんでした。
ぼくには、彼らも朝になったら目覚めて、踊ったり、太陽の光と遊んでいるように見えたのです。
その日の午後、家に帰るとすぐ、ぼくはじっちゃんに話しかけました。
「朝してくれた、植物が寝てるって話は、本当の話?」
すると、じっちゃんは、
「たぶんな」と言って、にっと笑いました。
「たぶん?」
「自分で本やらなんやら読み漁ったわけでもねぇし、植物に『寝てるんですか?』なんて確認したわけでもねぇからな。ま、会話ができるやつらだったとしても、寝てたら話にならねぇだろうけど」
「まぁ、そっか」
「でもまぁ、じっちゃんが信用している奴の話だからよ。少なくとも、じっちゃんは信じているぞ。植物はずっと寝ているって話を」
「ふーん」と言うと、
「おいケイタ。じっちゃんが話すと、信じられないか?」と、じっちゃんは、ぼくを疑っているような目で見ました。
「いや、そんなことはないけどさ」
「そうかぁ? いま、〝信用ならんなぁ〟って顔してなかったか?」
「そんなこと、ないない」
じっちゃんは、眉間に皺を寄せて、ぼくを見ました。
じっちゃんもじっちゃんとて、ぼくの言葉を信用していないようでした。
「よぅし。じゃあ、ケイタ。お前、調べてこい」
「なにを?」
「植物はずっと寝ているのか、をだよ」
「ええ、なんでよ」
「じっちゃんの話、信用しきれてねぇだろ? じゃあよ、じっちゃんの話が間違ってることを証明しろ。じっちゃんからの宿題だ。いいな?」
「わ、わかったよ」
ぼくは、じっちゃんの気迫におされて、約束をしてしまいました。
けれど、なにからどうやって調べればいいのか、さっぱりわかりませんでした。
なにをどうしようかと、ぐるぐると考えました。
なにもできなかったときの言い訳も、いろいろと考えました。
考えるうち、ぼくは眠りに落ちました。
いつものように母ちゃんに起こされました。「いただきます」をしてごはんを食べ、バタバタと準備をすると、追い出されるように家を出て、学校へと向かいます。
なんてことないいつもの道をずんずんと歩いていると、後ろからどしんどしんと音がしました。
それは、聞きなれない音でした。
ぼくは、その音の主が誰なのか気になって、立ち止まり、振り返りました。
「……えっ!」
なんと、その音の主は、木でした。
『ああ、いそがしい、いそがしい!』
木はどこからか声を発しながら、はぁはぁと息をしながら、とっとこと駆けていきます。
ぼくは足を動かせないまま、視線で木を追いました。
すると、木は花壇のところで足――いいや、根を止めました。
ぼくはハッとして、木の元へと急ぎました。
「ねぇ!」
『ん? なにか用?』
「あの、なにをしているの?」
問うと木は、
『なにって。仕事だよ、仕事。日陰を届ける仕事をしているんだ。最近は木が減ってしまったからね、あっちからこっちから来いと言われて、てんてこまいだよ』
木の先端が、だらりと垂れました。しょげているように、ぼくには見えました。
「それは、大変だね」
『ああ、大変さ。こんなことなら、ずっと眠っていられたらいいのにって思っちゃうよ。……あ、いけない! お花さん、そろそろいいかい? 次の仕事場へ行かなくてはならないんだ』
木が言うと、花たちがぴょこぴょこと動きました。それぞれの動きはバラバラだったけれど、ぼくにはそれが、「どうぞ」であったり、「行って」であったり、「ありがとう」と言っているように見えました。
『それじゃあ、出発だ!』
「ね、ねぇ! 次の仕事をするところまで、ぼくもついていってもいい?」
問うと木は、
『君には君のすべきことがあるんじゃないのか?』と言いました。
「まぁ、そうだけど。キミの仕事に興味があるんだ」
と言うと、木は先端を大きく傾げました。
困惑しているように、ぼくには見えました。
『ついてこられるのなら、いいけれど』
「ありがとう」
木が〝ついてこられるのなら〟と言った理由は、すぐにわかりました。
木はとっとことっとこ走るし、なかなかにスピードが速いのです。
全速力で走っても置いていかれそうになります。
ぼくには木ほど体力がないようで、すぐにバテて、失速してしまいました。
途中、「待って!」と、叫んでみたけれど、木はぼくのことなんてお構いなしに、とっとことっとこ根を動かしていました。
そうしていよいよ、ぼくは木を見失ってしまいました。
ぼくは、はぁはぁと荒く息をしながら、声を絞り出します。
「なんて速いんだ……」
「こら、ケイタ! おきなさーいっ!」
目覚ましの声がしました。
「こらぁー!」
「ああ、はいはい、起きたよ。起きた!」
怒鳴り声に叫び声を返すと、ぐしぐしと目をこすります。
「なんだ、夢か」
ついさっきまで、木を追いかけて走っていたはずです。
けれどそれは、現実ではなくて、ぼくが寝ている間に見た世界のお話だったようです。
のそのそとダイニングへ向かいました。そこで、慌ただしい母さんと、のんびりしているじっちゃんと、トーストとココアがぼくを待っていました。
「おはよー、じっちゃん」
「おはよう、ケイタ。今日の夢はどんなだった?」
「いただきます。えっとね、今日の夢は、木が動く夢だったよ」
「ほぅ」
「木がね、日陰を作る仕事をして、街を走り回っているんだ」
「ほぅほぅ。どんな風に?」
「根でとっとことっとこ」
話していたら、後ろからなにやら不穏な気配を感じました。
ゆっくりと振り返って見てみると、母さんが、しっかりと根を張った大木のように、腕を組んで仁王立ちして、ぼくらのことを見下ろしていました。
「夢なんてどうでもいいんです! ただでさえ起きるのが遅いんですから。ほら、とっとこ準備しなさい! とっとこ!」
「はいはい、急ぎます! とっとことっとこ準備します!」
言って、急いでトーストにかじりつきました。
途中、噛み足りなかったトーストが喉に詰まりかけました。ぼくはぐびぐびとココアを飲んで、それを飲み下し、ほっと息をしました。
「木が、起きていたのか」
もうすぐ朝ご飯を食べ終わる、というとき、じっちゃんが囁き声で話しかけてきました。
その目は、いつものじっちゃんの目とは違いました。いつもはほんのりと濁っているように見えるけれど、このときは、まるで同い年くらいの子のように、キラキラと輝いているように見えたのです。
「うん」
ぼくは、じっちゃんと同じくらいのボリュームで言いました。
「そうか、そうか」
じっちゃんが、くしゃっと笑いました。
「オレも、見てみたいなぁ」
じっちゃんは、ぼくの言葉を信用してくれているようでした。
「ぼくも、じっちゃんに見てほしいなぁ」
言いながら、ぼくは、自分で本やらなんやら読み漁ったわけではないけれど、じっちゃんが信用している説を信じようと思いました。
なぜなら、夢の中で起きた話でも、それを信じてもらえる、ということに心が躍ったからです。
想像するしかないことを、真実として受け止めてもらえることが、どんなに温かいことなのか、痛感したからです。
それからぼくは、母さんに背中を突き飛ばされるようにして、家を出ました。
いつもの道をとことこと歩きながら、木や草を見ました。
風がふわーっと吹くと、葉っぱが揺れます。
風がびゅうと吹くと、枝までもが揺れます。
その様は、気持ちよさそうに寝返りを打っているように見えました。
「目が覚めて、動くのもね、楽しいよ。だけど、そうしてゆらゆらうとうとするのも、いいよね」
木に囁きかけます。すると、葉が一枚、ゆらゆらと舞いながら落ちてきました。
ぼくにはそれが、木のよだれにみえました。
「いい夢を見ているみたいだね。さぁ、ぼくは、学校へ行ってくるよ。じゃあ、もう寝てるみたいだし、こんなことを言ってもしょうがないのかもしれないけど……おやすみ!」
声をかけるとぼくは、目覚め、駆ける木のように、自分が行くべき場所へと、とっとことっとこ駆けだしました。
了
とっとこ とっとこ 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya
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