異邦人、終末より

何もかんもダルい

第1話 アイリ

 少年の名はアイリという。

 年齢は16歳。ヨーロッパ系の血が4分の1混じったクォーターで、日本で暮らしていた。


 ある日、パンデミックが世界を襲った。人がゾンビになるというよくあるパニック映画がそのまま現実となった光景に、人々は耐えられなかった。

 アイリとそのクラスメイトは学校に籠城し、ひとまず事なきを得た。


 最初の1週間は上手く行った。だが、1ヶ月、2ヶ月と過ぎる毎に少年少女達は可笑しくなっていった。一部の暴力性に優れた生徒達が行き過ぎた階級制を敷き始め、贅を尽くして異性同性問わず犯し、下位の生徒達を危険な外へと蹴り出して物資を集めさせる。女子生徒達も、上に媚びながら下を嘲り、手慰みにして鬱憤を晴らす。止めようとした教員達は数の暴力で追い出され、ゾンビに食われ人として死んだ。


 アイリは階級としては中堅だった。自ら物資を集めに出掛けては無事に帰って来て、自分の分を確保すると上下を問わず配分していた。

 上位に立った者からすれば文句も垂れない有能な働き蟻。下位に叩き落とされた者からすれば威張って虐めることのない存在。どちらからも程々に好かれる一方、どちらからも嫌われかねない。そんな地位に収まった。


 ある日、アイリは下位層の面々を引き連れてやや遠方のスーパーへ物資を取りに行った。単純に頭数が居る方が多くの荷物を持ち帰れるからだ。

 当初は渋る者も居たが、アイリが先頭に立って進み、帰りも率先して荷物を背負う姿を見たことで悪し様に見る者は居なくなった。

 そうして大量の物資を得て無事に帰り、戦果を威張り散らす上位層共に自慢してやろうと生徒達が湧き上がる最中、事件は起きた。


 ────突然、アイリは懐に仕舞っていた防犯ブザーを盛大に鳴らした。

 

 それの本来の用途は大音量でゾンビを引き付け、ブザーに気を取られている間に逃げるためのもの。

 あろうことか、それを人が大勢いる場所で鳴らしたのだ。それも一つや二つではなく、リュックに隠し持っていた十数個を一斉に。当然ゾンビ達はそれを聞きつけやって来る。一体や二体ではなく、それこそ音が響いた学校の周囲全域のゾンビが校舎へ押し寄せた。


 押し寄せたゾンビの動きにつられて音が聞こえていなかった地域のゾンビも動き出し、さらにそれにつられて……とゾンビの大襲撃は連鎖した。対ゾンビ用の罠にはしっかり嵌っていたが、しかしそれがどうなるという程の数の腐肉の群れ。あっという間に安全地帯はこの世の地獄と化した。


 アイリは屋上へといの一番に走り抜け、鍵の番をしていた生徒からくすねていたマスターキーで施錠。そのまま鍵を菜園の土に埋め、給水タンクの裏に隠れた。鍵をくすねる時に本来の屋上の鍵も奪い去っていたため、極厚の鉄扉を物理破壊する以外でアイリの元へ辿り着ける者は居なくなった。

 時折自分の名を恨めしそうに叫ぶ声がアイリには聞こえていたが、その全てを彼は無視した。


 かくして野晒しで耐えること2週間。

 人の声が聞こえなくなった頃に、アイリは今度は火災警報器を作動させた。非常ベルの音とスプリンクラーの散水によって物音がかき消された状態で室外機の裏に隠していたタンクいっぱいの灯油を屋上の階段から慎重に撒き、そして音に混乱しているゾンビ達をかわして脱出。

 最後に自分に襲いかかって来た1体のゾンビを転ばせ、残った少量の灯油を被せてマッチで火を放った。


 燃え広がった炎は校舎内だけでなく、火だるまのゾンビを介して校庭すら焼き尽くす。

 確実に火の手が回るよう計算されて学校の至る所に置かれていた灯油入りの容器。地雷のように埋めてまで設置されたそれが、秘めた猛威を撒き散らす。

 それに飽き足らず、学校の外にまで等間隔で設置されていた灯油入り容器。一つ一つに注がれた灯油の量は高が知れていたが、しかし学校という大きな施設1つを焼き尽くすほどの火災旋風が巻き起こっていれば話は別だ。高熱に中てられた容器から融解や燃焼を起こして次々と発火。そうでなくともアイリが可燃物へ意図的に大量の放火を行っているが故に火災は留まるところを知らない。

 放置された自動車などの燃料にも引火し始め、あっという間に彼の故郷は文字通りの火の海に呑まれた。


 それら全て、アイリは学校へ立てこもった直後からずっと計画していた。

 

 巡回の名目で灯油容器の隠し場所に目星を付け、物資回収の名目で屋内に居た全てのゾンビを虱潰しに探し出して屋外へ締め出し、学校近くへ誘導。秘密裏に灯油と小さな容器を集めて周り、ゾンビ対策、あるいは探索時の道具という名目で灯油の入った容器を量産。

 巡回の間に少しずつ仕掛け続けていたそれがようやく終わり、念には念を入れて校内の鍵を1つずつ破壊することで施錠による籠城を不可能にした。

 誰にもばれないために脳内で何度も何度も念入りに工程をシミュレーションし、決行日を気温の高い晴れた日に定め、最後に鍵を盗める瞬間を待ち続けた。


 自身が率先して最前線で物資回収を行うことで他の人間の仕事や視線を奪い、鍵を盗めると踏んだその日に物資の大量運送の名目で監視の人員をギリギリまで持って行き、ゾンビが校舎付近に集中していることに気付かせないことを徹底した。

 

 そうして彼は校舎内の全生存者を釣り餌にしてゾンビを纏めて焼き払った。

 火災が鎮火し残された高熱が収まると、彼は再び校舎へと戻り生活を始めた。隣町まで行く必要が出た事に辟易としながら、木灰と土を集めて持ち出していた野菜の苗で菜園を作り、雨の日には大量の水を集め、その全てを集めた薪で煮沸する。

 

 彼がやったことは結局大規模放火を行う前とほとんど変わらなかった。そこだけを見れば、彼が火を放つ理由など無い。

 何故ここまでのことをやったのか。アイリはこう語る。


「消毒がしたかった」



 ◇


 最近、街の様子がおかしいとアイリは思う。


  パンデミックから1年半。ゾンビ達は肉体を維持する術を失い、皆腐り落ちて土に還った。隣町への物資回収の遠征で、アイリはその事実を確認している。

 だが、日が昇るとのだ。それは生前――と言っていいかは微妙だが――のような腐乱死体のそれではなく、黒い影として出現する。黒い硝子片のような物体が人の形に寄り集まったかのような朧げな外観で、彼らはふらふらと街を徘徊する。そして、日が沈むと全身が黒い岩になって崩れてしまう。

 黒影には人間を襲おうとする意志があるらしく、出現初期に昼間に行動したアイリは多数の影に追い回されたことがある。ある程度の距離を移動すると、影は力尽きたかのようにその形を失って崩れ去り、周囲の物質を自身が変じたものと同じ黒い岩へ変えてしまった。

 

 朝に湧き、夜に崩れる。そのサイクルで黒い影の数が減るかと言えばそうではなく、日によって波はあるもののそれなりの数が毎朝湧いては毎晩崩れる。そして時折力尽きては周囲を巻き込んで岩になる。では実体が無いだけで夜間も徘徊しているのかと思えばそうでもなく、暗いうちにどれだけ虱潰しに念入りに探しても黒い影を見つけることはアイリにはできなかった。


 黒い影達が残していく遺骸の中には、時折物資が紛れていることがある。それは食料であったり、あるいは衣類や医療品などであったりと多種多様。これを集めれば十二分な生活を送ることが出来るため、アイリが街の外へ出る理由はほぼ無くなった。

 念のためとアイリは自転車で数時間かかる道のりの先まで遠征したこともある。それだけ離れた場所でも起きている事象は同様で、昼間に沸いた黒い影が夜間には岩へと変わり、物資が紛れている。つまるところ、おそらくは全世界でこのような状況が起きていた。

 黒い影達が残していく岩はそれなりの重量があるうえに何か特別な材質ということも無い火山岩のようなもので、退かすことも出来ずどんどんと堆積していく。ついには積み上げられた重量に耐え兼ねて崩れる建物まで現れる始末。

 

 世界は岩に埋め尽くされていく一方。

 だが、同時に奇妙なことも起きていた。


『俺、俺の、鍵……』

「……」


 冬を迎え、雪の降り始めた深夜。

 アイリの前にいたのは、白いストールを巻いた影だった。黒い影の中に、こうして何かしらの特徴を持つ存在が時折現れるのだ。それらは日没を迎えても消えることがなく、自我ともいえぬ自我を持ち、基本的にその場を動かず、そしてそれぞれに特徴的な行動を起こす。

 その黒影は、何かの鍵を探しているようだった。


『鍵、お前、鍵を知らないか?』

「何の鍵?」

『…………分からない。でも、鍵がないんだ……』


 ノイズが走ったような奇異な声。アイリはその声を聞いたことがあった。

 校舎ごとゾンビを焼き尽くしたあの日、決行日に鍵の入ったロッカーの監視をしていた同級生。ボイスチェンジャーに掛けたうえでさらに加工までしたような声のため判別はほぼ不可能だが、アイリの耳には同一人物のように聞こえた。


「少し待ってて」


 そう言って、アイリは学校まで走る。

 あの日に盗み、そして隠した鍵。幸いにして学校は業火にさらされながらも倒壊していなかったため、容易に屋上の元菜園からそれを持ち出すことが出来た。


 学校から走って3分ほど、アイリは先ほどの場所へ戻って来る。特異な黒影は共通する特徴通りにそこに佇んでいた。


「これ」

『あ、鍵……』

 

 差し出されたマスターキーと屋上の鍵を、黒影は受け取る。まじまじと見つめるような動作をした後、それは動かなくなる。

 足元から岩へ変わり始めたのを見て、アイリは口を開いた。


「勝手に持ってってごめん。すごく怒られたろ」

『…………あぁ……そうだったんだ……』


 ぼそり、と呟くように言葉を発して、影は岩と化して崩れ落ちた。

 鍵が落ちて甲高い音を立て、少し遅れて白いストールが地に落ちる。鍵をポケットに入れてからストールを拾い上げると、暖かいを通り越して熱いほどの温度を帯びている。一度、二度と凍えるような外気の中で振っても冷める様子はなく、かといって発火するような様子もなく。ただただ一定の温度を保ち続けていた。


 特異な黒影は、どうやって応答したかに応じてこういった身に着けていた物品を落とすことがあった。それらは漏れなく何かしらの不思議な力を帯びているが、しかし何かが劇的に改善するほどのアーティファクトのようなものではない。

 持ち主の何かしらを宿したかのようなそれは、「忘れないでくれ」と暗に告げているかのような、まさしくだった。

 

「ごめん」


 一言告げて、アイリはストールを両肩に掛ける。首に巻けば熱くて低温火傷になりそうなそれは、羽織るように風に靡かせれば外気と混じって丁度いい暖かさをアイリへと与えてくれる。

 夜明けまで1時間ほどの猶予をもって、アイリは拾い集めた物資と共に拠点へと帰った。

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