【短編小説】星の道を遥かに ―Two Souls, One Song―(約6,700字)

藍埜佑(あいのたすく)

【短編小説】星の道を遥かに ―Two Souls, One Song―(約6,700字)

## 第一章 星空の誘い


 満月の夜、縄文の里を包む闇は深く、しかし優しかった。


 夏の終わりを告げる風が、木々の梢を揺らしていた。カナタは弓を背に負い、獣道を静かに歩いていた。十七の少年は、村一番の狩人として知られていた。鋭い眼光と確かな腕、そして何より、獣たちの心を読むかのような直感を持っていた。


 「また来てしまったな……」


 足が自然と向かう場所があった。深い森を抜けると開ける小さな丘。満月の光を浴びる草原に、不思議な石の環が横たわっていた。誰が、何のために置いたのか分からない。村の長老でさえ、「遥か昔からそこにあった」としか答えられない謎の遺構だった。


 しかし、カナタにはそこが特別な場所に思えた。星々が最も美しく輝いて見える場所。そして、どこか遠くへと誘われるような不思議な感覚に襲われる場所。


「アオイ、もう帰ろう」


 幼なじみの少女、アオイが後ろから声をかけた。彼女は村の巫女見習い。カナタの狩りの才能を見出し、育ててくれた祖母・ナギサの弟子でもあった。


「ああ、もう少しだけ」


 カナタは石の環に腰掛け、夜空を見上げた。星々は確かにいつもより鮮やかに煌めいていた。まるで、何かを伝えようとしているかのように。


 その時だった。


 突如として空気が震え、石の環が淡い光を放ち始めた。


「カナタ!」


 アオイが叫ぶ声が遠のいていく。カナタの体は光に包まれ、意識が遠のいていった……。



 意識が戻ったとき、最初に感じたのは灼熱の大地の息吹だった。


「ここは……?」


 見渡す限りの赤土。どこまでも続く荒野。そして、慣れ親しんだ森の湿り気を含んだ空気ではなく、乾いた熱風が頬を撫でていく。


 カナタは混乱しながらも、本能的に周囲を警戒した。ここが自分の知る世界ではないことは明らかだった。しかし、どうやってここに来たのか。そして、どうやって戻ればいいのか。


 そんな思考に浸っているとき、風に乗って歌声が聞こえてきた。


 不思議な旋律。聞いたこともない言葉。しかし、心に直接響いてくるような、神秘的な歌声。


 カナタは音の方向へと足を向けた。赤土の上に刻まれた足跡を追いながら、歌声の主を探していく。


 やがて、小高い丘の上に一人の少女の姿を見つけた。


 褐色の肌に、黒く長い髪。全身に白い粉で描かれた不思議な文様。そして、星空を見上げながら歌を歌う姿は、まるで精霊のようだった。


 少女は歌を中断し、カナタの方を振り向いた。


「……誰?」


 言葉は通じないはずなのに、カナタには少女の問いかけが心に響いた。


「俺は……カナタ」


 少女は首を傾げ、しばらくカナタを見つめていた。そして、ゆっくりと微笑んだ。


「ミラミル」


 彼女は自分の胸に手を当て、そう名乗った。


 その瞬間、二人の間に不思議な共鳴が走った。まるで、遠い昔から知っていた人に再会したような感覚。


 ミラミルは手招きをし、カナタを自分の村へと案内し始めた。


 赤土の大地を歩きながら、カナタは自分がどこにいるのか、なぜここに来たのか、考えを巡らせた。しかし、不思議なことに恐怖は感じなかった。


 むしろ、これまで心の奥底で求めていた何かに、ようやく出会えたような感覚があった。



 ミラミルの村は、赤い岩山の麓にあった。


 土でできた円形の家々が点在し、中央には大きな広場がある。そこでは、白髪の長老たちが集まり、何やら話し合っていた。


 村人たちは最初、カナタの姿を見て驚いた様子を見せた。しかし、ミラミルが何かを説明すると、次第に打ち解けた雰囲気になっていった。


 夕暮れ時、村の中央で祭りが始まった。


 太鼓のリズムに合わせ、村人たちが輪になって踊る。その中心で、ミラミルが歌い始めた。


 カナタには言葉の意味は分からなかったが、それは大地と星々の物語を歌った古い唄のようだった。村人たちは、まるでその歌に導かれるように、リズミカルな動きで踊り続ける。


 やがて、ミラミルはカナタの元へと歩み寄ってきた。


「踊って」


 言葉は通じなくとも、その仕草で意味は伝わった。


 カナタは戸惑いながらも、立ち上がる。見よう見まねで、村人たちの踊りの輪に加わった。


 最初は不器用な動きだったが、次第に体が音楽のリズムを覚えていく。ミラミルの歌声に導かれるように、カナタの体は自然と動き始めた。


 夜が更けていく中、踊りの輪は大きくなっていった。星々が煌めく空の下、赤い大地で繰り広げられる祭りは、カナタにとって初めての体験だった。


 しかし、どこか懐かしいような、心が温かくなるような感覚があった。



 祭りが終わった後、ミラミルはカナタを村はずれの小屋に案内した。


 小屋の中は質素ながらも清潔で、壁には不思議な模様が描かれていた。


「ここで休んで」


 ミラミルの仕草で、カナタはここが自分の寝床になることを理解した。


 一人になり、藁の寝床に横たわると、急に故郷のことを思い出した。アオイは無事だっただろうか。村の人々は自分の失踪を心配しているだろうか。


 特に、祖母のナギサの心配そうな顔が目に浮かんだ。


「帰り方を見つけないと……」


 しかし、その思いと同時に、この不思議な場所にもう少し留まりたいという気持ちもあった。


 ミラミルとの出会い。村人たちの温かな歓迎。そして、この赤い大地が醸し出す神秘的な雰囲気。


 全てが、カナタの心を捉えて離さなかった。


 星空を見上げながら、カナタは静かに目を閉じた。


## 第二章 赤い大地の歌


 夜明け前、小屋の外から物音が聞こえた。


 カナタが戸を開けると、ミラミルが立っていた。彼女は何かを告げると、カナタの手を取って村の外へと案内し始めた。


 東の空がほのかに明るくなり始める中、二人は赤い岩山を登っていった。


 山頂に着くと、ミラミルは岩の上に腰を下ろし、カナタにも同じようにするよう促した。


 そして、日の出を待った。


 地平線から太陽が顔を出した瞬間、ミラミルは歌い始めた。


 それは、昨夜の祭りの歌とは違う、もっと静かで厳かな歌だった。朝日に照らされる大地に向かって歌われるその歌は、まるで太陽への祈りのようだった。


 歌が終わると、ミラミルはカナタに向き直った。


「毎朝の儀式なんだな」


 カナタが呟くと、ミラミルは頷いた。言葉は通じなくとも、彼女は自分の文化をカナタに伝えようとしているようだった。


 その日から、カナタは村での生活を始めた。


 朝は日の出とともに目覚め、ミラミルと共に祈りの歌を歌う。その後、村の男たちと共に狩りに出かけた。


 カナタの弓の技術は、この異郷の地でも役立った。カンガルーや野鳥を射止める腕前に、村人たちは驚きの声を上げた。


 一方で、村人たちからは新しい狩りの技を教わった。投槍器の使い方や、獲物の足跡を読む方法など、カナタの知らない技術がたくさんあった。


 日が暮れると、村人たちは広場に集まり、その日の出来事を語り合った。


 カナタは言葉こそ通じなかったが、身振り手振りと表情で、多くのことを理解し、また伝えることができた。


 特にミラミルとの間では、不思議な意思疎通が成立していた。


「カナタ、来て」


 ある日、ミラミルは夕暮れ時にカナタを呼び出した。


 二人は村を少し離れた場所まで歩いた。そこには、大きな岩壁があった。


 岩壁には、無数の絵が描かれていた。動物たち、人々、そして不思議な文様。それは、この土地に暮らす人々の歴史を記録した壁画だった。


 ミラミルは一つ一つの絵を指さしながら、何かを説明し始めた。


 言葉は分からなくても、彼女が語ろうとしていることは伝わってきた。


 これは「夢の時代」の物語。全ての命が繋がっていた時代の記憶。精霊たちと人々が共に歩んだ道の記録。


 カナタは、自分の村でナギサから聞いた神々の物語を思い出していた。


 形は違えど、この地の人々も、自分たちと同じように自然との繋がりを大切にしているのだと理解した。


 夜が更けていく中、二人は岩壁の前で座り込み、星空を見上げていた。


「ミラミル……俺にも教えてくれ。お前たちの歌を」


 カナタの言葉に、ミラミルは優しく微笑んだ。


 そして、ゆっくりと歌い始めた。カナタは必死にその旋律を覚えようとした。


 何度も間違え、つまずきながらも、少しずつ歌を覚えていく。


 やがて、二人の歌声が夜空に響き渡った。


 異なる言葉で歌われる同じ旋律。それは不思議な調和を生み出していた。



 時が流れるにつれ、カナタは村の生活に馴染んでいった。


 しかし、時折、故郷のことを思い出す。特に、満月の夜には強く心が揺れた。


 あの夜、石の環で何が起きたのか。そして、どうやって戻ることができるのか。


 そんな思いを抱えながらも、カナタは日々を過ごしていた。


 ミラミルとの時間は、そんな不安を忘れさせてくれた。


 彼女から学ぶことは多かった。歌だけでなく、この地に生きる知恵や、精霊たちとの対話の方法など。


 カナタも、自分の知識を彼女に伝えた。弓矢の作り方や、獲物の解体方法、そして縄文の里で伝わる神々の物語。


 二人は互いの文化を交換し合いながら、次第に心を通わせていった。


 しかし、その平穏な日々は、突然の異変によって揺らぐことになる。


## 第三章 精霊たちの試練


 それは、満月の夜に始まった。


 突如として空が赤く染まり、暴風が村を襲った。


 「炎の精霊の怒りだ!」


 村の長老たちが叫ぶ。大地が揺れ、砂嵐が渦を巻く。


 カナタは必死にミラミルを探した。彼女は広場の中央で、両手を天に掲げ、必死に歌を歌っていた。嵐を鎮めようとする祈りの歌。しかし、その声は風にかき消されていく。


 「どうして……こんなことに」


 長老の一人が、震える声でカナタに告げた。


 「お前が来てから、星の道が乱れた。精霊たちの怒りを買ったのだ」


 言葉こそ理解できなかったが、その意味するところは伝わってきた。自分の存在が、この地の調和を乱しているのだと。


 カナタの胸に、重い痛みが走る。


 しかし、ミラミルは違う意見だった。彼女は長老たちに向かって何かを訴えかける。その仕草は必死で、時に怒りすら含んでいた。


 やがて、長老の一人が口を開いた。


 「星の道の中心へ行け。そこで正しい歌を捧げれば、精霊たちの怒りは収まるかもしれない」


 ミラミルはカナタの手を取り、意味を伝えようとした。


 「俺と一緒に行くって言うのか?」


 彼女は頷いた。その瞳には迷いがなかった。


 二人は夜明けとともに旅立つことを決めた。



 赤い大地を歩く。


 灼熱の太陽が照りつける中、二人は黙々と歩を進めた。時折、ミラミルが立ち止まっては歌を歌う。それは道を示す歌。先祖たちが歩いた道を伝える「ソングライン」だった。


 しかし、道のりは険しかった。


 まず最初に現れたのは、巨大な砂嵐だった。


 渦を巻く砂の中に、人の形をした影が見える。それは「風の精霊」。踊るような動きで、二人の行く手を阻んだ。


 ミラミルが歌い始める。カナタも、彼女から教わった歌声を重ねた。


 二つの声が響き合うと、風の精霊は静かに姿を消していった。


 次に待ち受けていたのは、燃える谷だった。


 大地の割れ目から炎が噴き出し、道を遮る。その炎の中には、火の精霊が棲んでいた。


 今度はカナタが、祖母から教わった祝詞を唱えた。ミラミルの歌と重なり合い、不思議な共鳴を生む。


 炎は静かに収まり、道が開かれた。


 三日目の夜、二人は大きな湖のほとりにたどり着いた。


 月明かりに照らされた水面は、まるで星空の写し絵のよう。その中心に、光る島が浮かんでいた。


 「あそこか……星の道の中心は」


 ミラミルは頷いた。しかし、その表情には不安の色が浮かんでいた。


 湖には、水の精霊が棲んでいるという。そして、それは最も強い試練になるだろうと。


 二人は夜明けを待って、湖を渡ることにした。


 岸辺で火を起こし、互いの体を寄せ合って眠りについた。


 明日、全ての運命が決まる。


 カナタは、ミラミルの寝顔を見つめながら考えた。


 自分は、この世界に来るべきだったのだろうか。


 しかし、ミラミルと出会えたことを、後悔することはできなかった。


## 第四章 魂の共鳴


 夜明け。


 湖面は鏡のように凪いでいた。


 カナタとミラミルは、村人たちが用意してくれた小舟に乗り込んだ。


 櫂を漕ぐ音だけが、静寂を破る。


 しかし、島に近づくにつれ、水面が波立ち始めた。


 突如として、巨大な渦が二人の小舟を包み込む。


 水面から浮かび上がったのは、巨大な蛇のような姿をした水の精霊。その瞳は深い悲しみに満ちていた。


 ミラミルが歌い始める。しかし、今度は歌では鎮められないようだった。


 水の精霊は、激しく渦を巻き始めた。小舟は揺さぶられ、二人は湖に投げ出されそうになる。


 その時、カナタは気付いた。


 水の精霊の瞳に映る悲しみ。それは、失われた何かを嘆く色。


 そうか……これは試練ではない。


 「ミラミル! 俺たちの歌が足りないんだ!」


 カナタは必死に伝えようとした。言葉は通じなくとも、ミラミルには理解できたようだ。


 二人は手を取り合い、新しい歌を歌い始めた。


 それは、これまで二人が教え合ってきた歌。縄文の里の祝詞とアボリジニの歌が溶け合った、新しい調べ。


 歌声が響き渡ると、水の精霊の動きが緩やかになっていく。


 そして、静かに二人を見つめた後、道を開いた。


 島に到着した時、太陽は真上に昇っていた。


 島の中央には、石で組まれた祭壇があった。それは、カナタが来た時の石の環と、どこか似ていた。


 「ここで歌うんだな」


 ミラミルが頷く。


 二人は祭壇を囲み、最後の歌を歌い始めた。


 それは、二つの文化が出会い、新しい調和を生み出す歌。


 歌声が天に届いたとき、空が開き、光が降り注いだ。


 その中に、大地の精霊の姿が現れる。


 それは、人の形を持たない、純粋な光の存在だった。


 大地の精霊は、二人に語りかけた。


 言葉ではなく、心に直接響く声で。


 「お前たちは、新しい道を示してくれた」


 「異なるものが出会い、理解し合い、新しい調和を生み出す。それこそが、星の道の本当の意味だった」


 空を覆っていた赤い雲が晴れていく。


 嵐は収まり、精霊たちの怒りは鎮まった。


 カナタとミラミルは、互いを見つめ合った。


 そこには、もう言葉は必要なかった。


## 第五章 新たな夜明け


 村に戻ると、人々は二人を英雄として迎えた。


 長老たちも、最初の判断を改め、カナタの存在を受け入れた。


 しかし、カナタの心には新たな決断が芽生えていた。


 満月の夜。


 石の環の前で、カナタはミラミルに告げた。


 「俺は、帰らなきゃいけない」


 言葉は通じなくとも、ミラミルには理解できたようだ。


 彼女は悲しそうな表情を浮かべながらも、頷いた。


 「でも、約束する。必ずまた会いに来る」


 カナタは、自分の腕輪を外し、ミラミルに渡した。


 ミラミルも、首飾りを外し、カナタに手渡した。


 月の光が強まる中、二人は最後の抱擁を交わした。


 そして、光に包まれるカナタを見送りながら、ミラミルは新しい歌を歌い始めた。


 それは、別れを告げる歌であると同時に、再会を誓う歌でもあった。



 意識が戻った時、カナタは見慣れた丘の上にいた。


 アオイが、涙を流しながら駆け寄ってくる。


 「カナタ! どこに行っていたの? 三日も姿を消して!」


 三日。


 あちらの世界での長い時間が、こちらではたった三日だったのか。


 カナタは首に掛けられた首飾りに触れた。


 全て夢だったわけではない。確かな証がここにある。


 「アオイ、話がある。祖母にも聞いてもらいたい」


 カナタは、自分の体験を語り始めた。


 最初は誰も信じなかったが、首飾りと、カナタが歌う不思議な歌が、その真実を証明していた。


## 第六章 永遠の絆


 それから一年が過ぎた。


 カナタは、アボリジニの歌と縄文の祝詞を組み合わせた新しい祈りの方法を確立していた。


 それは、より強く精霊たちの声を聴き、自然との調和を保つ方法として、村人たちに受け入れられていった。


 そして再び、満月の夜が訪れた。


 カナタは石の環の前に立っていた。


 首飾りが、かすかに光を放つ。


 「行ってきます」


 アオイと祖母に見送られながら、カナタは光の中に消えていった。


 赤い大地に降り立つと、懐かしい歌声が聞こえてきた。


 ミラミルが、彼を待っていた。


 二人は言葉を交わすことなく、抱きしめ合った。


 腕輪と首飾りが、かすかな光を放つ。


 それは、永遠の絆の証。


 星の道は、これからも二つの世界をつないでいく。


 カナタとミラミルは、新しい歌を歌い始めた。


 それは、別れと出会いを繰り返しながらも、永遠に続く愛の歌。


 大地と星々が見守る中、二つの魂は響き合い、新しい調和を奏でていく。


## エピローグ:星の回廊


 時は流れ、カナタとミラミルの物語は伝説となった。


 しかし、満月の夜に石の環を訪れると、今でも二人の歌声が聞こえてくるという。


 二つの文化が出会い、新しい調和を生み出した物語。


 それは、星々が永遠に語り継ぐ、愛と希望の証となった。


                       (完)

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