嘘と彼女は隣同士

笹木ジロ

嘘と彼女は隣同士


「私と君はね、糸で繋がれてるんだよ」


――――。


「でも、赤い糸なんかじゃなくて、強靭だけど繊細なワイヤーみたいなもので、手のひらで溶けて消えてしまいそうな糸」


――――。


「だからお互いに引っ張ったり、離れたりしたら、指が切れちゃうね。でも、寄り添うことは出来るかも」


――――。


「さっきから何も喋ってくれないね。こっちも暇なんだけど」


 ああ、つい、どうやら放心してたみたい。リコの言ってることがよくわからなくて。結局、何をどうしてほしいって?


「別に。そういう話じゃない。何もわかってない」


 ただでさえわからないのに、そこにわからないを上乗せしないでくれよ。つまり、俺は何もしなくていいってことなのか? もっと直球で言ってくれれば、いくらかは理解できるのに。

 ああ、ごめん。別に、リコが煙たいわけじゃない。ただ単に、理解に時間がかかっていて、それでも最適解がわからなくて。だったら、訊いたほうが早いんじゃないかって思っただけで。


「理解してほしいなんて押し付けてない。しかも、最適解って。なんか馬鹿みたい」


 なんだよ、馬鹿って。ひたすらに相槌を打ってればいい、ってわけにもいかないだろう。俺はただ、思考と思考が行き来して、そこに心が通っているような感覚を――いや、そんなことないか。俺はさっき、「結局」なんて言葉で簡単に片付けようとした。相手の意思を深堀って、肉眼ではなく慧眼で捉えてるつもり、なんてことを口に出しそうになったけど、そんなものは願望だけの思い込みだ。自分のことを、そんな人間だったら良いって思い描いてるだけ。


「要するに?」


 何も。リコの言葉を聞いて、何も言えず、想いふけっているだけ。


「それでいい。それ以上は求めてない。それ以上は迷惑」


――――。


「何か言った時に、『わかる』と言われるのが大嫌い。わかるわけないじゃん。ちょっとだけ、それっぽく似た体験をしただけじゃん。私がそこに至るのに、無数の思いを巡らせたのに、それをたった三文字って、残酷だよ」


 それって俺に言ってるのかな。ああ、たしかに何度もそう答えちゃったかもしれない。でも、本当にわかるかもって思っただけで。俺もそういうことあったかも、俺もその立場だったらそう感じるかもって、それは共感や共有みたいなものだったんだけど。


「君の『わかる』は良い。君の『わかる』は安心する」


 さっき、そう言われるのが嫌いだって言ってたのに。それって、俺を気遣って遠慮して、気を悪くさせちゃったかもって優しくしてない? だとしたら、それは要らない。なんか複雑だよ。


「違うって。君のは、違う」


 人によって違うもんなのか。そこにどんな差があるのか、あんまりわからないけど。けど、ずいぶんと善悪の決定に非対称性があるような、さすがにバイアスかかってる気がする。


「君はよく考えてくれてる。私はわかってる。もう、五年以上の付き合いなんだから」


 そういえば、もう五年以上たつのか。今でも憶えてるよ。高校の食堂で、たしかうどんを啜ってた気がするけど、そこにリコが話しかけてきたんだ。あの頃のリコは、明るい茶髪で、それが綺麗な曲線を描くように切りそろえられていて、小さくまとまった短い髪がとても似合ってた思い出がある。それをきっかけに仲良くなって――。


「待って待って。それ、君の妄想が入ってる。髪じゃなくて、きっかけの方。君が声かけてきたんじゃん。廊下で、私に」


 あれ、そうだっけ。その話こそ、君の憧憬で言ってない? 俺にそんなことできる勇気なんて。いや、たしかにそうだったかも。言われたら思い出してきた。

 朝早くだったか、放課後だったか、よく憶えてないけど。長い廊下で、どんなに見渡しても、リコと俺しかいない。窓も、教室の扉も、備え付けられたロッカーもまったく目に入らなくて。床の硬い感触から、僅かな冷たさを感じながら。二人分の足音だけが響いてて。


「変な言い回し。それで、君からよく連絡がくるようになって、ご飯にも誘ってきて、なんか、必死だなあって思った。でも、その必死さに私は騙されちゃったって感じ」


 騙すのは得意だから。


「最悪。でもいいよ。嫌だったら、こんなに続いてない」


 けど、騙すのも限界がある。最近、そんな気がしてるよ。このままで、十分に幸福感は感じられるんだけど。このままで、いいのかって、現状維持に対して過度に恐怖感が湧いてくるんだよね。

 ええと、なんか誤解を生みそうな言い方をしたかも。恋仲によくあるそういうやつ、ではなくて。今以上に、なにかリコにしてあげられないか。必要とされたらいいなって。


「そうなんだ。必要かどうかで言えば、別に私は、君が必要とは思ってないけど」


――――。


「ほしいものが必要とは限らないし。ただそれだけ、なんだけどなあ。たまに重い時があるよね、君は」


 つまりは、今のままでいいってことなのかな。


「知らない。今のままでも、そうじゃなくても、なんでもいい。私がほしいのは、そういうことじゃない」


――――。


「ていうか、君の悩みも十分、恋仲によくあるそういうやつ、の一つでしょ。みんな思うことだよ」


 そんなの知らないよ。俺はリコしか知らないんだから。何がよくあることで、どうやって解決してるかなんて知らない。

 サンプルが一つなんだから、正解なんてわからないよ。


「君のめんどくさいところ、出てるよ。しかも、まるで私の他に一人二人知ってれば、理解できるみたいな言い方だね」


 リコ以外の人のことなんて、もちろん考えてない。でも、頭の中で、ふと思ってしまっただけ。経験値があれば、いくらか上手くできるんじゃないかって。どっかの誰かだったら、こんなことも問題じゃないって思うと、なんだか悔しいとすら感じるよ。


「まあ、失敗から学べるってことも否定はしないけど。でも、君は本当に単純なことを、いつもいつも難しく考えるね。疲れそう」


――――。


「私のことは、私からしか学べないし。あと、どっかの誰かよりも君の方が私を知ってる」


――――。


「あんまり余計なこと考えないほうが、お互いのためだよ。私はただ、君を振り回して、それでも君はそばにいてくれて、こうして私の話し相手になってくれてる。これ以上のものは、たぶん、ないよ」


――――。


「どうしたの、急に黙っちゃって。こっちも暇なんだけど」


 いや、なんかわかったような、わからないような。真っ暗な頭の中を、煙草の煙が一筋だけ漂っていて。それが段々と絵になっていくような。ああ、駄目だな。手で掴もうとすると、飛散して消えてしまう。何もかも、わからなくなりそうだ。

 一文字一文字を繋ぎ合わせて、その一篇から意味を捉えようとすることが、こんなにも苦しいことなんて思ってもみなかった。


「そんな難しい話じゃないと思うけど」


 難しくはないだろうね。お前と俺が普通の関係だったなら。けど、普通じゃない。何にも干渉されず、淡々と言葉を交わし合う。初めからお前は俺をわかってるだろうし、俺はお前をわかってる。そのはずだ。

 大体、俺はこの数分間、一度だって喋っていない。なのに、なぜお前は俺と会話ができるのか。


「それは、だって。私がいるのは、君の頭の――」


「おまたせ。けっこう待ったよね?」


 駅前の喫茶店で珈琲の入ったグラスを傾けながら、眉をひそめて頬杖をついていた。そんな、あたかも苛立っているように見える俺の横に、彼女は座った。見慣れた明るい茶髪は長く伸びていて、先端になるにつれて緩やかに渦を巻いている。

 仕事帰りの待ち合わせ。何分待たされようと、そんなこと気にするだけ無駄だ。事前に連絡さえあれば、何も気にすることじゃない。皆、いろいろと都合があるだろうから。


「別に大丈夫。考えごとをして時間をつぶしてた」


「あ、あとさ、ごめん。明日は予定あるんだよね。それと、年末はずっと地元に帰ってる」


「わかった。そしたら、次に会うのは来年かな」


 地元は彼女と一緒だけど、俺はとくに地元に帰る予定はない。いつも通り、のんびりと趣味にでも没頭しながら過ごそうか。積んでいる本も、観たい映画もたくさんあるんだ。

 彼女は今も忙しそうにしている。連絡の返事でも溜まってるのか。そんな彼女を俺は眺める。しばらくの間、無言のまま時間だけが過ぎていった。

 こういった時間が苦になるわけじゃない。けど、気がつけば俺は飲みかけの珈琲を、ちびちびと口に運びながら、それを味わうわけでもなく繰り返した。ここが喫煙可能なら良かったのに。そうすれば、この手に持つ冷たいグラスが煙草になるのだから。


「私、そういえば、明日着てく服、お店が閉まる前に見ておきたいんだった」


「そしたら、今から一緒に見に行く?」


「んん。いや、いいよ。このあと一人でちゃちゃっと見てく」


 そうか。それなら、今日は早めの解散になりそうだ。

 帰りは何か食べて帰ろうかな。ここの駅は大きいし、混んでることに目を瞑れば選び放題だから嬉しい。どうせなら、普段あまり食べないものがいいな。


「相変わらずだね、リコは。五年以上の付き合いだから慣れたけど」


「うそ? もうそんなに経つんだっけ」


「俺もたまたま思い出しただけだよ。つい、さっき」


 相変わらず、なんて言ったけど。もう昔のリコのことは、ぼんやりとしか憶えてないよ。一番最初はどっちから声をかけたのか、それすら忘れた。はっきりと憶えてるのは、その明るい髪色だけ。

 でも、そんなことは別にどうでもよくて。今も変わらず、こうしてるだけで満足だ。自分の環境に、俺はだいたい満足できている。リコも、仕事も、プライベートも。


 騙すのが得意なんだ。自分を。

 そして、こんな日々が、ただただ心地よいと感じる。

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