第10話 高性能の荒業
パートナーであるティーユの声も聞こえなくなるとは思っていなかった。
いや、勝手に問題ないと思い込んでいたのだ。これから行動を共にするこのおしゃべりカメレオンが、頭の中に直接話しかけてくれるだろうと。
「……」
「……何? 聞こえないよ!」
どうしていいかわからなくなっていると、突然ティーユの目が光った。
そして空中に文字が浮かび上がる。これは……ティーユの言葉か。
『悪い悪い、聞こえないんだったな。これから俺が話すことはこんな感じで空中に出るから、ちゃんと見とけよ』
「すごい……未来って感じ。でもちょっと見づらいね。なんか別の方法ないの?」
『はん?』
「例えば、メガネをかけてれば話したことが見えるようになるとか」
『ない』
「空中に文字を出せるなら、それくらい作れるはずだよね?」
『あのなぁ……』
ティーユが呆れた顔をしているように見える。表情まで人間と同じような感じなのだろうか。
『それがあったら楽にやりとりできて実験の効果が薄れるだろ』
「そうだけど……」
『とりあえず外に出ろよ』
「ちょっと待って」
『今度はなんだよ』
「どうしてわたしの言ってることがわかるの? それに、どうしてわたしはこんなにスムーズに話せるの? 自分の口から出る言葉も聞こえないのに」
『めんどくせぇ……』
「いいから答えて」
『はぁ……順番に説明するからよく見とけよ』
「うん」
『まず、お前の言っていることがなぜわかるか。それは俺が高性能ロボットだからだ』
「はぁ?」
『はっきり言うが、今のお前が何を言っているのか正確に理解するのは簡単じゃない。ただ、それはあくまで普通の人だった場合だ。でも俺はちがう。お前の声を正しく変換できる。わかりにくい場合でも口の形や表情から予測変換し、もともと何を言っているかわかるようにしてるんだ』
「あっ、なるほど……」
さすがに天才と自慢するだけはある。ただ、そこまでするなら言葉が見えるメガネでも同じだと思うけど……。
それより、高性能がゆえなのか、ため息まで見せないでほしい。表情だけでもアレなのに、文字まで見せられると気分が落ち込む。
『そして耳の聞こえないお前がなぜスムーズに話せるか。それにはふたつの理由がある』
「ふたつ……」
『ひとつは、聴覚が消える前に普通に話していたからだ』
「あぁ」
『どうやって話せば声が出るかを体が覚えているから、お前は変わらず話せるわけだ。簡単なことだろ?』
「言われてみれば……」
『そしてもうひとつは、お前が空っぽだからだ』
「えっ?」
『頭の中が空っぽだから、自分が話すことを知らないうちに頭の中でイメージしてるのさ。そしてそのイメージをそのまま外に出すように話してるから、スムーズに話せるってわけだ。まあ、実際にはそこまでスムーズじゃないけどな』
「わたしが空っぽだから……」
それは会話の際に自分の言葉以外は頭の中に何もないということ。わたしもそう思う。わたしはいつも空っぽだから。
『もういいか?』
「……うん、大丈夫」
『やっとか……よし、じゃあ外に出るか』
「わかった」
わたしはノブを回して扉を開けようとした。ふと、かなり重たく感じた。片手では無理だと思い、体で押すように開けた。
実際、そこまで重たくはなかった。おそらく片手でも問題なかった。
ただ、わたしにはこの扉が動かない壁にも思えた。そんな謎の圧を感じたのは、音が聞こえないからだと思う。
なにかしら音が鳴ればある程度の重さはイメージできそうだけど、無音だとそうはいかないのかもしれない。まだこの扉だけだから全部に当てはまるかはわからないけど。
『どうだ? 外の空気は』
目覚めてからはじめて外に出た。
窓から入ってくる風と全身に感じる風はやっぱりちがう。空気はとてもおいしいとは言えないけど、肺の中に入り込んでくる感覚が屋内とは段違いだ。
今日は雲ひとつない青空。
ずっと上を見ていると、なんだか涙が出そうになる。これは悲しいとかそういうのではない。光が目に染みているのだ。
「……イタッ!」
ティーユが肩に乗っていきなり尻尾でビンタしてきた。
「なんなの?!」
『無視すんなよ。外の空気はどうだって聞いただろ』
「あっごめん、気づかなかった」
外に出るのはこれがはじめてではないだろうけど、わたしは感動のあまり耳が聞こえないことを忘れていた。いや、耳が聞こえていたとしても、おそらく今のわたしには何も聞こえなかったと思う。それほどまでに心が動いているのだ。
「よくはわからないけど、外にいるなって感じ」
『なんだそれ。聞いた俺がバカだったわ』
「それどういう意味?」
『なんでもない。気にするな』
「ふんっ」
『さて、これからどうする?』
「それはアンタが決めるんじゃないの?」
『俺はあくまでお助けキャラだ。実験の進め方はお前が決めろ』
「えぇ……」
『俺はなるべく口出ししないようにする。いや、文字出しか。はっはっは』
「別にうまくないけど……」
『それと、俺はアンタじゃねぇ。ティーユだ。よく覚えておけ』
「それを言うなら、わたしだってお前じゃない。エトリーよ。よく覚えておいて」
『善処するよ』
「はぁ、ほんとにロボットなの……?」
『なんか言ったか?』
「なんでもない」
見た目はカメレオンだけど、中身はかなりイラつく人間もどきだってことはわかった。
博士に文句を言いたくなったけど、どうせ無駄に終わる。脳に変わった刺激を与えるためと返してきそうだから。
『それで、どうすんだ?』
ただ、結局はわたしの記憶を戻すためのもの。ティーユはそれを手伝ってくれるわけで、これからしばらくは一緒にいることになるだろうから、なるべく仲良くいたい。わたしが大人にならなきゃ。
「まずは拠点を探そう」
『いい判断だ。俺は場所を取らねぇからな。お前の好きな場所でいいぞ』
「わたしはお風呂さえあれば別にどこでもいいけど。とりあえず近くのホテルにしよう」
『おう』
「そうだ、支払いはどうするの?」
『お前はタッチポイントに手をかざせばいい。あとは俺がタイミングを合わせて電子マネーで支払う』
「えっ、それって変じゃない? 怪しまれない?」
『安心しろ。今じゃ手の中にチップを埋め込んでるやつはいくらでもいる。まあ日本もそうかは知らないけどな』
「なら安心できないじゃん」
『払えりゃなんだっていいんだよ』
「うーん……まあそうだね」
とりあえずお金さえ払えば問題ないわけだし、そこまで心配することでもないか。
わたしはティーユの言葉を信じて前に進んだ。
そして数分が経ったころ、拠点によさそうなホテルを見つけた。
さっそく入ってチェックインをしようと思ったけど、自動ドアのガラスに映る自分を見て、わたしはすぐに木陰に隠れた。
『なにやってんだ?』
「いや、自分の見た目のことをすっかり忘れてたから。こんな子どもじゃ入れないんじゃないかなって」
『そういえば言い忘れてたな。俺が特殊な電波を出してるから、周りの人たちにはお前が大人に見えてるんだよ。ちなみに俺の姿は見えないようになってる』
「ほんとに?」
『ああ。その見た目じゃいろいろと面倒だし、実験に関係ないごたごたには巻き込まれたくないからな』
「そう……じゃあ髪とか、服とかは?」
『髪は黒くて、服は地味な感じだな』
「黒髪はいいけど、服は地味なんだ……」
『そこは我慢しろよ』
「……わかった」
このあと、わたしはフロントで長期的に部屋を借りる旨を伝え、すんなり部屋まで来ることができた。
耳が聞こえないことは伝えていない。のどが痛いふりで筆談をした。細かい気遣いをしてもらっては実験の効果が薄れるからだ。
それに、聴覚実験が終わってもここから離れなかったときに矛盾する。お風呂が気に入らないとならない限りは新しい場所には移らないだろうから。
『悪くはないんじゃないか?』
「そうだね。お風呂もいい感じだし」
『それで、今日はこのあとどうすんだ?』
「とりあえず外に出て、周辺を散歩する感じがいいと思う。耳が聞こえないことに少しでも慣れないとだし」
『そうか』
わたしは軽く荷物を整理し、肩にティーユを乗せて部屋を出た。
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四感のエトリー 平葉与雨 @hiraba_you
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