聴
第9話 お助けロボット・ティーユ
四感実験——開始二日目。
視覚の実験は無事に終わったけど、次がどの感覚になるかは伝えられていない。
まだひとつしか終わっていないにもかかわらず、すでにかなりの疲労感がある。
もともとある感覚を消すというのは、それ相応の負担がかかるのだろう。
朝食は部屋に運ばれてきて、そこでそのままパッと済ませた。お腹は空いていなかったけど、サンドイッチだったからぺろりだ。
「そろそろ来れるかい?」
天井に設置されているスピーカーから博士の声が聞こえてきた。
食べ終わったら行くとわかっていたはずなのに、せっかちだな。
「はい。いま行きます」
博士が待つ部屋の近くまで来ると、昨日の夜のことを思い出した。お風呂に入っていたときの、湯けむり短編映画だ。
微笑みながらの簡単な自己紹介と差し出した右手。それが科学に興味を持つきっかけとなった出会い。
わたしにはなんの関係もないけど、なんだか懐かしい感じがした。
この現象は博士に伝えておこうと思ったけど、いつかの武器として今は心の中に留めておく。
「おはようございます」
「おはよう。昨日はよく眠れたかい?」
「はい」
「それはよかった。今日から新しい実験がはじまるわけだけど、準備はできているかい?」
「できてません」
「えぇ……」
「何も聞かされていないのに、何を準備すればいいんですか?」
「あはは、それもそうだね」
「それで、次はどの感覚なんですか?」
「次は聴覚だよ」
「聴覚……耳が聞こえなくなるってことですね」
「ああ」
視覚のときはいきなりはじまったから想像する余地もなかったけど、耳は耳で想像するのが難しい。
指で塞いでもまったく聞こえないとはならないし、水の中にいても音は感じる。
聴覚を失うというのは、いったいどんな感じなのだろうか。
「今回からは少しやり方を変える」
「どういうことですか?」
「視覚の実験は研究所の中でやったけど、聴覚を含む残りの感覚については外でやってもらう」
「外……?」
「ああ。いつまでも研究所内にいては実験の効果が薄くなってしまう。それだと成果が得られないままになる可能性がある。外に出たうえでさらに感覚を消すことによって、脳への刺激を増やして効果を上げようってわけだ」
「それはかなりサディスト的発言ですね」
「いやいや、これもすべて君のためなんだ。実験を無駄にはしたくないだろ?」
「まあそうですけど……」
「それと悪いけど、ここからは僕とは別行動だ」
「えっ……どうしてですか?」
「僕が近くにいては、実験に集中できないだろ? それに、僕には他にもやらなければいけないことがあるんだ。ずっと君に付ききりというわけにはいかないんだよ」
「それはつまり、研究所にも戻ってくるなということですか?」
「言い方を悪くするとそうなるね」
「そう……ですか」
「もちろんずっとではないよ。僕が戻ってほしいと言ったときは戻ってきてね」
「わかりました」
博士がいなくなるということは、ひとりだけで実験を進めていくということ。ただ生活するぶんには問題はないと思うけど、特定の感覚を消した状態だと思うと、少し不安だ。
「ただ、外は危険だから君をひとりにするわけにはいかない」
「えっ? でも別行動って」
「あくまで僕とはって意味だ。君にはパートナーを用意してる」
「パートナー?」
「来たまえ」
「?」
博士が誰かを呼んだ。
そしてその誰かは誰かではなく、何かだった。
「呼んだか?」
博士に呼ばれて現れたのは、ギリギリ肩に乗せられるくらいの大きさしかない、黄緑色の生き物。その姿形からわたしの頭にパッと浮かんできたのは、カメレオンだ。
「こいつはカメレオン型ロボットのティーユだ」
「ロボット!? 本物かと思いました」
「そういうふうに作ったからね」
「へぇ……」
どこからどう見ても本物にしか見えないロボットに、わたしは開いた口が塞がらない。
「なんだそのアホ面は」
「……はぁ? 初対面でいきなりすぎでしょ」
「まあまあ。ティーユは少し口は悪いが面倒見はいいから。実験の手助けをする相棒と思っていいよ」
「相棒? こんなのが?」
「おいお前、こんなのとはひどい言い草だな」
「ロボットにしてはずいぶんとおしゃべりですね。どうなってるんですか?」
「最新の人工知能を搭載してるからね。話すことや考えることに関しては人間と遜色ないよ」
「なるほど。天才と言うだけはあるってことですね」
「あれぇ、信じてなかったのかい?」
「はい」
「はぁ……」
人間と同じように会話や思考をするカメレオン型ロボット。それがこれから進めていく実験のパートナー。
思ったよりもすんなり頭に入ったことに驚きつつ、博士不在による懸念点があることに気づき、わたしは確認することにした。
「ひとつ聞きたいことがあります」
「ん、なんだい?」
「感覚を戻すためには詩がトリガーになっているとわかった今、わたしは博士と別行動をしても大丈夫なんですか? 今はどれくらいの時間を空けていいのかもわからないわけで、研究所に戻るまでにまた詩が必要な状態になったらと思うと……」
「ああ、それについては対策したから問題ないよ」
「対策?」
「君が詩を歌い終わったら、僕の代わりにティーユが電磁波を流すから」
「えっ?!」
「なんだよ、文句あんのか?」
「い、いや別にそういうわけじゃ……」
「最初に言った遠隔ってのは、あくまで研究所内での話だった。ただ、今ではティーユに消すのも戻すのも頼める。本当の意味で遠隔になったわけだ」
「な、なるほど……」
「感謝しな」
かなりうるさいロボットだけど、いちばんの心配は解消したのか。かなりうるさいロボットだけど。
「そろそろ実験をはじめようと思うんだけど、何か聞いておきたいことはあるかい?」
「そうですね……研究所に戻れないとなると、どこか別のところに拠点を置く必要があると思うんですが、生活費はどうすればいいですか?」
「それもティーユに任せればいいよ」
「はあ」
生活費も任せていいとはいったいどういうことだろう。博士が遠隔で支払いを済ませてくれるのだろうか。
「他には?」
「……博士から伝えておくことがなければ大丈夫です。わたしが聞いても、どうせティーユに任せればいいという生返事でしょうし」
「君、ちょっと当たりが強くなってないかい?」
「気のせいでしょう」
「気のせい、ね……」
「おいまだか? さっさとしてくれ」
「ああそうだな。じゃあ、エトリーを頼んだよ」
「おう」
「あれ、ここで消さないんですか?」
「外に出る直前でティーユにやってもらうよ。問題ないか確認もしたいからね」
「はあ」
問題ないかは事前に確認しておくべきだと思うけど……。
「ほら行くぞ」
「あっ、待ってよ」
わたしはティーユに連れられ、研究所の外に出る扉の前まで来た。
そこまでいくつかの扉があったけど、いったいどれだけ部屋があるのだろう。
「準備はいいか?」
「うん」
ティーユはわたしに問いかけると、博士直伝の特殊な電磁波をわたしの脳に放った。
あいかわらずこの間は何も感じない。何も感じないからこそ、いきなり感覚の一部が消え去ることに、わたしはとてつもない違和感を覚えるのだ。
「……」
「……えっ?」
ティーユの声が届かなくなった。
今、わたしは聴覚を失った。
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