厥魚群 〈けつぎょむらがる〉
中2の時は、そこまで仲良くなかった。
中3は受験でそれどころじゃないのと、そもそも誕生日を知らなかった。
高1、初めて誕生日を知ったのが、誕生日を過ぎた後だった。
あれだけ一緒にいたのに、俺たちは互いの誕生日を祝ったことがない。
12月19日。
何も言わずに、お互いに休みを入れていた。
年末、クリスマス前、お互いに仕事の忙しいこの時期に、どうにかもぎ取った休日。
最高の思い出を、また1つ増やしたい。
「明日楽しみ過ぎるから、今日は自分の部屋で寝るね」
最近はずっと俺のベッドで一緒に寝てたのに、風呂からあがったコータはそう言って早々に自分の部屋に引き上げた。
俺は洗い物を片付けると、最終確認の連絡を各所に送った。
続々と返ってくる答え。どんどん笑顔になり、同時に緊張してくる。
最難関だと思っていたところも、案外すんなりと話が進んで、拍子抜けしたくらいに上手くいってる。
スマホのスケジュールに、決定した時間を打ち込んで、明日の流れをシミュレーションする。
こういうのも、コータが隣にいたらやりにくい。
それを折込済みで、部屋引っ込んだんだろ?
ふとコータの部屋のドアを見つめる。
俺が遠足前の子供の様に、ワクワクしてるみたいに、コータも楽しみにしてくれてたらいいな。
あれ?
ところで、一緒に住んでる場合、一体いつ『おめでとう』を言うのが正解?
コータが生まれた時間は、確か夜の7時くらいって聞いてたから、パーティーはその時間に設定したけど……。
日付が変わったらすぐ?
朝起きたら?
それとも……
いや、誰かが0時にメッセージ送ったりしたら、先を越されてしまうんじゃないのか?
それは、嫌だ。
一緒にいるのに、それは絶対に嫌だ。
だとすると……
無駄に緊張して、バクバクいう鼓動を右手で抑え込むようにして、左手でゆっくりとドアノブをまわす。
少し開いたドアの向こうは、オレンジの常夜灯しかついていない。もう本当に寝てるみたいだ。微かな寝息も聞こえてくる。
少し安心して、光で気付かれないよう、急いでドアを開け、中に入る。
何してんだ、俺。
コータのベッドに置いてある時計が、間もなく0時を指そうとしている。
そっとベッドに近付いてしゃがみ込む。
こちら側に顔を向けて寝ているコータの寝顔を見つめる。いつも見てるのに、こうして改めてじっくり見ると、愛しさに切なくなる。
「コータ、誕生日おめでと」
小さな声で呟くと、その左頬に口づけようとした。
「何? 穂高が夜這いとかサイコーなんだけど」
突然眼を開けたコータに逆に口づけられ、布団に引きずりこまれる。
「ちげーよ、夜這いじゃないって」
「『誕生日おめでと』でしょ? 聞こえてたよ」
コータの指が脇腹を滑るから、身体がピクリと反応する。
「ダメだって」
「煽るなよ」
「煽ってねーし」
上へと向っていた指が、抵抗されて下り始めた。
ヤバい。計画がはなから崩れてしまう。
その指を両手で掴んで、静止する。
「今はダメだって」
その言葉に、何かを察したコータが力を抜いた。
「夜まで待って」
「今、夜だよ」
意地悪な返しに、脇腹に猫パンチ食らわして、懇願するように見つめると、コータがくしゃりと笑った。
「何かヤラしい」
耳元で囁いて、コータの指が離れていく。
ホントは俺だって、このまま抱き合ってたい。
「お預け食らった分、めちゃくちゃ期待しとく」
俺はその言葉の意味に俯いた。
「どうしても、一番最初に『おめでとう』って言いたかったからさ」
「なるほど」
両腕が俺を包み込む。
「それだけで、最高に幸せ」
コータの鼓動を聴きながら微笑む。
「まだまだあるよ」
「こうして眠るのはアリ? 何もしないから」
俺は答えずに、コータの背中に手を回した。
コータが言うように、コータの誕生日に、こうして抱き合って眠る。
それだけで、涙が出るくらい幸せなんだ。
朝。
いつものように、コータの腕から抜け出して、カーテンを少し開けて外を見ると、辺りは真っ白に染まっていた。
「コータ!」
俺が呼びかけるから、コータがゆっくり寝返りをうった。
「積もってる!」
「雪?」
まだ眼を開けずにコータが問う。
「真っ白」
「マジで?」
驚いたコータが起き上がり、俺の隣でカーテンを被るみたいに外を覗き込んだ。
何度かチラチラ舞ったことはあったけど、こんなにしっかり積もったのはこの冬初めてだ。
「車、大丈夫?」
「誰に聞いてる? タイヤは先週替えたよ」
「いや、雪道の運転……」
「だから……」
笑ってコータの顔を見たら、思いがけず怒り顔で笑顔が消える。
「その過信でスピンしたろ」
こいつの心配症を、もう笑えない。
「うん。気を付ける」
もうあんなの2度と経験したくない。
それに、例え入院でも、コイツと離れるなんて出来ない。
「仕度して。出かけるよ」
頷いたコータが、俺の髪をくしゃくしゃっと撫でて微笑んだ。
助手席で俺の横顔を見ては、子供みたいにはしゃいでたコータが、窓の外に大きな鳥居を見つけて、問いかける。
「え、もしかして神社?」
「今に分かるよ」
駐車場に車を停めて外に出ると、雪雲の合間から少し日の光が差した。
「このくらいなら、傘なしでいいでしょ」
ハラハラと舞う雪が、僅かに前髪を濡らした。
「ここは初めてだな。有名なとこ?」
寒さに身体を丸めて、コータが聞く。
「うん。日本三大熊野だったかな」
「へぇ」
駐車場から参道に向かって歩く俺たちの前に、ひと際大きな御神木が現れる。
銀杏の木だというのは、細かく大きく広がった枝で分かるのに、枝一杯に雪が積もって、まるで白い花が咲き乱れているようで、神々しく美しかった。
2人でその木を見上げる。
「秋にはライトアップとかもあって、凄い綺麗なんだって」
コータが小さく笑う。
「でも、今この瞬間のこの木が、最高に神々しいって、思ってるでしょ?」
俺は驚いてコータを見る。
「俺もそう思ったから」
俺も思わず微笑んで頷いた。
俺とコータは全然違う。
真逆とまではいかなくても、違うところだらけだ。
でも、どこかここぞというところの感じ方が似ていて、何とも言えない心地良さがあるんだ。
だからこそ、俺たちは今、一緒にいるのかもしれない。
「帰りにそこのカフェでブランチしよ。お茶したいって言ってただろ?」
「嬉しい」
狙い通り、コータがくしゃりと笑った。
緩やかな長い石段に、もう10センチくらい雪が積もっている。踏みしめる度に、雪がキュッキュと小さく鳴いて、俺たちしかいない参道に響いていく。
「ねぇ、なんでここなの?」
木々の隙間から降りてくる雪を見上げながら、コータが聞いた。
俺は、ポケットから車のキーを取り出して、そこに付いている鈴守を鳴らした。
「ここ、縁結びで有名でさ。大切な人に想いが伝わるお守り、イズが俺たちが再会出来るように、貰って来てくれたんだ」
足を止めて、『なるほど』と頷くコータを見つめる。
それに気が付いて、コータが首を傾げて俺を見る。
「これ受け取ったの、いつだと思う?」
少し思いを巡らすも、答えは出ない。
「あの夜だよ。お前から電話が来た」
少し驚いて、微笑んで、コータが俺の手をしっかりと握った。
「お礼しなきゃね。いっぱいいっぱい」
「うん」
俺も握り返すと、袖に引っかかってた組紐が、コータのそれと重なった。
静謐な境内に、微かに流れる神楽の音を聴きながら、俺たちはただただ感謝を伝えた。
あの夜、ほんの少しタイミングが違えば、俺は電話を受けられず、俺たちは違う人生を歩んだかもしれない。
でも、あの夜俺は電話を受け、お互いの気持ちに初めて素直になれたんだ。
決して忘れない、あの夜。
「これ返して、新しいの一緒に受けよう」
俺の提案に、コータが嬉しそうに頷いた。
授与所であれやこれや悩んだけれど、やっぱりこれがいいねと2人が選んだのは、同じ紫の鈴守だった。
「ご飯の前に、もうひとつ」
新しい鈴守を車のキーに付け直した俺は、お守を揺らして含み笑いした。
「何?」
「俺と勝負な」
「へっ?」
拝殿の脇を進み、拝殿の後ろにある本殿の更に後ろに回り込む。
不思議そうに俺の顔を見るコータ。
俺が、ゆっくり羽ばたくように伸ばした右手の先を眼で追う。
「さぁて、この本殿裏の彫刻の中に、3羽のウサギが隠し彫りされています。3羽見つけると幸せになれるとの言い伝えです」
コータがこれでもか、と眼を細めた。
「どっちが先に3羽見つけるか、レディー、ファイ!」
俺はコータを挑発するように手招きして、彫刻がよく見える位置を探した。
「えーっ、まず暗いし遠いし、彫刻見えづらいよ」
「はい、神様の真後ろで騒がない、騒がない」
口チャックのジェスチャーをしたコータが、また眼を細めて彫刻を見上げた。
実は、俺は昔じっちゃんと来た時に、2羽見つけている。
でも、昔過ぎてもう覚えていない。
今も、1羽目にすでに苦戦している。
「言っとくけど、3羽目見つけても言うなよ。人から聞いたり、教えられたら、ご利益なくなるって言うから」
「まず1羽目が……」
そう言いかけたコータが、
「あ、いた!」
と小さく声をあげる。
「おっ、ヤバッ」
俺も眼を凝らしてウサギを探す。
顔に静かに降りかかる雪を、たまに払いながら、俺たちは黙々とウサギを探した。
俺も、コータも2羽は見つけられた。
でも、3羽目が見つからない。
「ガキの頃、じっちゃんと来て探してさ、やっぱり3羽目が見つからなくて、じっちゃんに教えてってせがんだんだよ。そしたらさ『これは神様からの宿題だから、教えられん』って。『人生の教科書なんだ』って」
「人生の教科書?」
「人生と一緒なんだって。『みんな、幸せを探すけど、なかなか見つけられない。人に教えられて見つけたって、そんなもんに意味はない。どんだけ時間がかかっても、どんなに大変でも、自分で見つけ出すのが幸せなんだ』ってね。痺れたね、じっちゃんかっけーって」
俺は、あの日のじっちゃんの横顔を思い出しながら、もう一度彫刻を見上げた。
「見つけられるまで、何度でも来よう。そして、俺らなりの幸せ、見つけていこう」
同じように彫刻を見上げていたコータが、微かに笑う。
「毎年来ようよ。誕生日の恒例行事。2人ともじーちゃんになっても『腰痛えよ』って言いながら、ウサギ探そう」
「その前に見つけるよ、俺が」
笑い合いながら、コータの手を取ると、すっかり冷え切っているのがわかった。
俺も芯まで冷えた。
「あったまろうか」
俺の前髪の雪を拾って、コータが微笑んだ。
銀杏の木の下に、昔の売店を改装したカフェがあった。
店の外には薪が山のように積まれていて、ガラス張りの店内を覗くと、薪ストーブがオレンジの暖かい光を放っていた。
2人で駆け込むように店内に入ると、
「お好きな席へどうぞ」
と声をかけられる。
雪の平日。誰もいない店内。
俺たちは吸い寄せられる様に、薪ストーブに近い奥の席についた。
ダウンコートを脱ぎながら、コータがメニューに視線を落とす。
「うわ、ランチセットのナポリタン美味しそう。酒粕かかってるんだって。オレ、これにしようかな」
「コータはそれだろうな、と思ってた」
「穂高はカレーでしょ?お米、つや姫使用だってよ」
そこは触れられたくないところだったけど、まあ俺をよく知るコータなら、当たり前にそう思うだろうな。
「いや、今日はナポリタンにする」
少し動揺して、瞬きが多くなったのをコータは見逃さない。
「さては、夕食カレーだな」
「いや、だって酒粕とか珍しくて美味そうじゃん?」
コータがニタリと笑って
「そういう事にしとく」
と手を上げた。
冷え切った身体を、薪ストーブと酒粕が薫るナポリタンが優しく暖める。
「あんまり外で食事とかもなかったもんね。これから、記念日には外で食事しようよ」
記念日。
もう来月、俺の誕生日が控えてる。
コータは、どんな風に祝ってくれるんだろう。
ちょっと考えて、結果どんなんでも嬉しいや、と微笑む。
「ただ、あんま高いとことかやめてよ。俺、緊張しちゃうから」
右手でOKサインを出しながら、コーヒーを口に運んだコータが、ウインクする。
相変わらず、コイツには敵わねぇ。
カフェを出る頃には、雪がやんで少し明るくなった。
「次は?」
コータがまた子供のようにせがむから、俺は渋い顔で、
「内緒」
と答える。
車に戻る途中、みんなからの連絡を確認する。
大丈夫、順調に進んでる。
コータが、画面を盗み見るしぐさをするから、俺は目潰しするジェスチャーをして笑った。
幸い雪がやんだことで、車の流れは来た時よりスムーズだ。
さて、1つ目のクライマックス。
コータはどんな顔をするだろう。
最初は、俺の実家に行くんだろうと思ってたみたいで、その辺りを通り越すと、あからさまにキョロキョロし始めた。
次は実家の最寄り駅かと思ったらしく、それも過ぎるとコータの眉間にシワが寄った。
暫く走って、俺たちの高校の最寄り駅に着いた時、ようやく〈次〉が何か分かったらしい。
ロータリーに1人立つ、その姿を見つけたからだ。
「えっ? えっ、瑞穂?」
俺の車を見つけた瑞穂が手を振った。
そのそばに車を停める。
ロックを解除すると、直ぐ様後部座席に乗り込んでくる。
「待った?」
「全然。さっき新幹線着いて、お祖父ちゃんに荷物預けたとこ」
「良かった」
俺たちの会話に割って入るように、コータが聞いた。
「えっ、瑞穂学校は?」
「今日が終業式。どうせ冬休みもお祖父ちゃんとこだから、『早く行きたい!』って言って、そのまま新幹線乗って来た」
コータが言葉を失った。
「驚いた?」
嬉しいけど、それをそのまま出せなくて、隠したいけど、でも顔には出てしまう。
そんな顔して、コータが聞いた。
「穂高が呼んだの?」
「正確にはマチルダさん。ナイトが瑞穂に連絡取るのに、マチルダさんのスマホ使ってんの知ってたから、瑞穂にちょっと聞いてみてって頼んだ」
話の流れを知って安心したものの、素直に喜べないコータを見て、瑞穂が拗ねるように聞いた。
「私に会えて、コータは嬉しくないの?」
コータの手が、後部座席に伸びる。
その手を瑞穂が掴んだ。
「嬉しくないと思う?」
コータの声が震えるのを聞きながら、俺はそれを見ずに車を走らせた。
車が実家に着くと同時に、玄関からナイトが飛び出して来るのが見えた。
「え、ナイトまた背伸びてない?」
コータが驚いて問いかけるけど、俺も姿を見たのは久しぶりで、俺自身驚いて言葉にならない。
「来た来た、うるさいの」
そう言いながら、瑞穂もちょっと嬉しそうだ。
車を降りて、駆け寄って行く。
俺も車を降りようと、シートベルトに手をかけた時、コータが声をかけた。
「穂高、ありがと」
また、声が震えてたから、振り向かずに答える。
「まだまだこれからですよ」
さて、第2のクライマックス。
俺たちが車を降りると、玄関にコータの両親が出てきたのが見えた。
ナイトが瑞穂を2人の前に連れていく。
コータのお母さんが、挨拶の途中でフライング気味に瑞穂を抱きしめたから、すぐ隣のコータが後ろを向こうとした。
「見とけよ。今日のハイライトだぞ」
「こんなサプライズ、反則だろ」
「『2人に会わせたい』って言ってたじゃん」
俺が言い終わる前に、コータのお父さんが大きく手招きして、俺たちを呼んだ。
俺はポケットからハンカチを出して、コータに差し出す。
「涙拭いて、笑顔で会えよ」
ハンカチを受け取ったコータが、ゆっくりと歩き出した。
お父さんがコータを抱き寄せて、その背中を2度叩いて、離した。
お母さんが、お父さんと瑞穂を引き寄せて、お父さんが恐る恐る瑞穂の頭を撫でた。
それを見て、涙を拭うお母さんの肩を、コータが抱いた。
気が付くと、ナイトが俺を見ていた。
俺がどんな顔をしてるのか、見ているようだった。
だから、最高に幸せそうに笑ってやった。
これが、俺の幸せだから。
実家の居間に、俺たちの家族が勢揃いしてる。
リストアップして頼んでおいた、コータが好きな食べ物は、マチルダさんが全部揃えてくれた。
座卓の上に並んだご馳走を、もうナイトと瑞穂がつまみ食いしてる。
親父が、コータのお父さんにビールをついで、お父さんがいたく恐縮してる。親父のイカつい見た目のせいで、少し怯えてるんだろう。
その2人の姿を見て、コータとイズとマチルダさんが、コソコソと話しながら楽しそうに笑ってる。
俺は、玄関側からそれを見ていた。
ずっと見たかった景色だ。
「幸せそうね」
コータのお母さんが台所から、声をかけた。
俺は答えずに、微笑んだ。
「さぁ、仕上げよ」
前に、あの日のカレーを作ろうとしたけど、イメージした味にならなかったから、作った本人に教えて貰おうと企んだんだ。
「なんてことはないのよ。特別なスパイスを入れてる訳でもないし、市販のルーに普通の具材を入れるだけ。強いて言うなら、チョコレートかな」
「あぁ、隠し味にチョコはよく聞きますね」
お母さんが板チョコを3欠片ほど鍋に入れて、お玉でかき混ぜた。
「紘太、小さい頃辛いの苦手だったの。だから、ちょっとまろやかにしてあげたくて。ね、よく聞く隠し味でしょ」
「今度やってみます」
そう言った俺を見て、お母さんがくしゃりと笑った。
俺はハッとして、ニヤける口元を隠して眼を逸らした。
「あともうひとつ、大事な隠し味」
俺が驚いて視線を戻すと、お母さんは全く躊躇なく、まるで魔法をかけるように右手を振って、鍋に向かって言った。
「美味しくなーれ!」
「!」
俺は、花巻の注文が多い料理店でのコータを思い出した。
あれは、コレだったんだ。
「何してるの。料理には愛情が一番の隠し味。大真面目ですからね。さ、やって」
「えっ、俺もすか?」
この感じ、誰かさんにそっくりだ。
「『教えて欲しい』って言ったのは、あなたでしょ?」
「そうですけど……」
「恥ずかしくないわよ。必要なレシピだから」
もう、ここまで来たら、逃げられそうもない。
俺は人差し指で小さく指揮をするように
「お、美味しくなーれ」
と呟いて、お母さんを見た。
「もっと気持ち込めて!」
えーい、もうヤケだ。
「美味しくなーれ!」
お母さんがくしゃくしゃの笑顔で、拍手した。
ああ、この人に愛情込めて育てられて、コータは今のコータになったんだ。
恥ずかしさより、感謝の気持ちに胸が一杯になって、俺は苦笑いしながら涙ぐんだ。
「穂高。オレ、もうお腹いっぱいだよ」
帰り道、助手席でずっと黙ってたコータが、ポツリと言った。
「え? そんな食べたっけ?」
俺は少し驚いて、コータをチラリと見た。
「そうじゃなくてさ。幸せでお腹いっぱい。こんな誕生日、一生忘れらんないよ」
そういうことか。
「良かった。喜んで貰えて」
また少し雪が降り始めて、フロントガラスに落ちては消える。
「ホントは物をプレゼントする事も考えたんだけど、どれも何か違う気がしてさ。イズに相談したりもしたんだけど……。昔、お前が『賢者の贈り物』読んだ後、怒ってたの思い出してさ」
「あったね」
「『あれは賢者の贈り物じゃない。結局、大切なものは失われてしまった。初めから、物なんていいから、その気持ちを伝えろよ』って。あの頃、なんでそんなに怒るのか、よく分かんなかったけどさ。今なら分かるよ。コータらしいなって思った。だから、コータが笑顔になれる事を、全力で贈ろうって思ったんだ」
ずっと横顔を見つめていたコータが、嬉しそうに俯いた。
「まさに『賢者の贈り物』だったよ」
雪に慣れてないらしい前の車がまごついて、思いがけず赤信号に捕まった。
「ありがとう」
耳元で、コータが呟いた。
「だから、まだだって。次のは別腹だから」
俺はそう言って、不意打ちみたいにキスをした。
俺がシャワーを浴びて出てくると、コータが実家での集合写真を見ていた。
1回目はイズが、2回目は親父が撮った。
みんな本当にいい顔してる。
「これが特別じゃなくて、当たり前になればいいな」
コータの後ろから、スマホを覗き込んで言った。
ナイトと瑞穂が揃ってピースして笑ってる。
「俺……お前に言えてなかったけどさ」
「ナイトの事?」
「知ってたの?」
「お前が母さんとカレー作ってる時、瑞穂が教えてくれた。『親友って言ってたのに、親友じゃなかった』とか、『イズを捨てた』って言って怒ってるって」
予想はついてたけど、そんな風に感じてたんだな。
「それを聞いてたイズが『私は捨てられるような女じゃないし、ほだがそんな男じゃないのは、あんたが1番近くで見てきたんじゃないの?あんたの眼は節穴なの?』って聞いてたよ」
「イズ節全開だな」
「ナイトが『節穴って何?』って聞いて、みんな大爆笑。マチルダさんが『ごめーん、ナイトはコウちゃん似なの』って言って、親父さんが『おい!』ってツッコんで、また大爆笑」
「何か盛り上がってると思ったら、そんな面白いことになってたのかよ」
肩に触れていた俺の指に触れて、コータが優しく言い聞かせるみたいに呟く。
「大丈夫。ナイトなら大丈夫」
そのコータの温もりを感じながら、俺は小さく
「うん」
と答えた。
最後のプレゼント。
俺は自分の部屋のベッドで、コータを待つ。
自分の部屋なのに、落ち着かなくて、立ったり座ったりを繰り返してる。
この想いを、俺はちゃんと伝えることが出来るだろうか。
シャワーを浴び終えたコータが、迷わず俺の部屋に入って来た。
「最後の贈り物、オレ何か分かっちゃった」
そう言って、ベッドに座ってる俺の隣に座る。
「穂高でしょ?」
そう言って、顔を覗き込む。
改めて言われると小っ恥ずかしい。
「当たりだ。だって、耳まで真っ赤になってるもん」
コータの指が耳たぶに触れるから、その手を掴んで止める。
「ちょっとだけ聞いて」
指先が触れたまま、宙で止まる。
「俺、お前が言う通り、まだ恥ずかしさとか、遠慮とか、トラウマの名残とか、色々あって自分の全部を見せれてないと思う。言えてないこともあるし……。気付いてて、敢えて気付かない振りしてたろ?」
コータがこのタイミングで、くしゃりと笑った。
「何の事?」
何処までも誤魔化すつもりだな。
それがコータの優しさ。
俺は意を決して告げた。
「今日は、お前の好きにしていいよ。俺も、もう隠さないし、拒否らない。」
宙に浮いていた手が、俺の頭をゆっくり撫でる。
「解放するのと、無理するのは違うよ。無理なんて欲しくない」
俺の指が、コータを求めて伸びる。
「ただ……」
「ただ?」
「最後はしっかり顔見たい。大切な人の幸せな瞬間を見て、俺も幸せ実感したい、とは思ってたよ」
ゆっくりと頬に降りて来た親指の先が、その感触を確かめるように、何度も往復する。
「お前はカッコ悪いとこ見せたくないって思ってるんだろうけど、カッコ悪いとこじゃないよ。むしろ、最高に幸せな瞬間。なのに、それをお前も見逃してんだからな」
こないだの嫉妬の話みたいに、視点の違いに眼から鱗が剥がれて落ちる。
俺は、いったい何を取り繕ってたんだ。
「情けなくてもいい。みっともなくてもいい。それもみんな、オレの大切な穂高だから」
何でそんな言葉を、お前は真っ直ぐに言えるんだよ。
「バカヤロー」
吐き出すように呟いて、コータを見つめる。
そんな風に言われて、カッコつけてなんかいられねぇだろ。
「全部解放して、みっともない顔してても、嫌いになんなよ」
「嫌いになれないから、困っちゃうんだよね、これが」
俺たちは笑い合い、そして口づける。
眼を逸らさずに心の底から、お前みたいに真っ直ぐに伝えさせて。
「愛してる」
完
草木萠動〈そうもくめばえいずる〉後日譚・厥魚群 〈けつぎょむらがる〉 じーく @Siegfried1111
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